<上っ面の優しさ>

pressココロ上




熊本市の議会で女性議員が赤ちゃんを一緒に連れて議場に入った騒動がありました。賛否両論があったと報じられましたが、その割合は圧倒的に反対が多かったようです。しかし、どちらかと言いますとマスコミ論調はこの市議を擁護する視点が多かったようで、そのマスコミの姿勢に対しても批判があったそうです。
マスコミの姿勢については、普段からマスコミは「弱者の見方」の立ち場を取ることが多く、こうした姿勢からマスコミは全体的にリベラルの傾向があると指摘されています。僕からしますとリベラルというよりも「美談にしたがる傾向」と思いますが、無理矢理にでも「弱者が必死に頑張っている姿を撮ろう」としている節が見えます。理由は、もちろん感動的な映像が欲しいからです。
昔でしたら情報はマスコミだけの特権でした。しかし、今は誰でもが情報を発信できます。ですから、マスコミの報道の仕方さえも批判の対象になっています。僕はこれはとてもよいことだと考えています。今回の騒動ももしSNSやネットが発達していなかったなら「出産した女性議員がいじわるされている」という表面的な報道で終わっていた可能性があります。SNSやネットの発達は情報の中立性に貢献しているように思います。
さて、女性議員の行動についてですが、「女性が働きやすく、女性に優しい議会にする」という視点だけで捉えるなら女性議員を擁護するマスコミの姿勢は好意的に見られたはずです。しかし、現実は「女性議員の行動を批判する」意見が多くを占めていました。
一見冷たいようですが、その理由には納得できるものがありました。年配の女性が賛成できない理由をインタビューで答えていました。
「赤ちゃんを育てるのはプライベートなことだから、それを仕事に持ち込むのは違うと思う」という内容でした。僕もこの意見に賛成です。
それでも女性議員を擁護する立場の人からしますと「女性が社会で活躍できるような環境を作ること」を訴える意味で意義があると主張します。しかし、この主張に対する批判派からの反論も理に適っているように思えます。
女性議員が議会に赤ちゃんを連れて行くことをほかの職業にあてはめてみればわかりやすくなります。例えばデパートの販売員が赤ちゃんを連れていたらお客様はそのデパートで購入しなくなるはずです。コンビニの店員でも同様です。精算をしているときに背中におぶっている赤ちゃんがぐずいていたなら、二度とそのコンビニを利用しなくなるでしょう。そのようなコンビニはすぐに廃業に追い込まれるはずです。競争が激しいコンビニでは赤ちゃんを連れての業務は不可能です。
では、「赤ちゃんを待機させる場所を議会内に設ければよい」という考えもありますが、これには赤ちゃんの面倒を見る人の準備も必要になります。しかし、普通の民間であったならこれだけ経費をかけることは容易ではありません。下手をするとその経費で赤字に転落することもあるかもしれません。議会において女性議員が活躍しやすい環境を作るのは公務員への報酬を増やすことを意味します。公務員の活動費はすべて税金で賄われていることを忘れてはいけません。実は、このことがこの問題の核心です。
今回の騒動も民間であったならこれほど注目を集めなかったはずです。民間企業に勤めている女性が赤ちゃんを連れて仕事場に来たなら職場の人は全員拒否するでしょう。それで終わりです。マスコミのネタにもなりません。そもそも、今の日本の現状では仕事に応募する時点で赤ちゃんを連れていかないことが前提になっています。もし、議員にだけ認めてしまうなら、それは「議員が優遇されること」を意味します。つまり、議員の特権を「増やしてほしい」というのと同じです。
僕は女性議員の気持ちも考えもわからないではありません。この議員が強硬手段に及んだのは世の中の常識や慣習を変えたいと思ったからのようです。これだけマスコミで報じられましたからその目的は果たしたことになりますが、正々堂々と自分の主義主張を訴えるという意味においては問題があると思います。
女性議員は当選してからこのような行動に出るのではなく、立候補をする段階から「議員になったときの自分の行動や振る舞いを公表しておくべき」でした。当選してからこのような行動をとることはマイナスのイメージを強くしただけで、長い目で見ますと女性の議会進出を遅らせただけの結果になったように思います。ですから、女性が働きやすい環境を作ることが目的であったなら立候補するときに「議員になってから議場に赤ちゃんを連れていく」と堂々と主張するのが正しいやり方です。ですが、そのように主張して立候補したなら当選する確率は格段に低くなると思われますが…。
僕はこれまでに心に響いた格言が2つあります。一つは
「人は遠くにいるほど、正論を叫ぶ」で
あと一つは
「人は責任を負わなくてよいときほど、優しくなれる」
です。今の欧米を見ていますとまさしくこの格言のとおりになっています。「難民を助ける」という行為は人道的な側面から見て素晴らしいことですが、そのことによって自分たちに不利益が及んでくることには不安を覚える人が多くいるようです。その証拠がヨーロッパ諸国で「難民排除を主張する政党」が伸張していることです。米国のトランプ大統領が「アメリカファースト」と訴えて当選したのも同様の意味があります。
これは日本においても同様です。熊本市議会でこの騒動が報じられて、ある著名人がツイッターで「自分の仕事場には赤ちゃん同伴でも構いせんのでどうぞ」と書き込んだことが伝えられていました。このツイッターに賛同する人が多かったように報じられていますが、赤ちゃん同伴によって自分に不利益が及んだときに本当に同じ態度をとってくれるのか疑問です。
僕は東日本大震災が起きたあとに果物販売を行っていました。そのときに梨を扱っていましたが、その中に福島産の梨がありました。実は、市場でも福島産の梨はあまり売れなかったようですが、僕は福島を応援する気持ちがあり積極的に扱っていました。しかし、ほとんどのお客さんは福島産と聞いただけで買うのをやめていました。そのときにすでに政府が「福島産の梨」の安全宣言を出しているにも関わらず、不安だからという理由で買わないお客様が圧倒的に多かったのです。
結局、口先では被災地応援と言いながら実際の行動は正反対の対応をしていたのです。たまに僕と同じ考えで「福島産だから応援する」という理由で購入してくれるお客様もいましたが、全体からしますとほんのわずかな割合でした。購入してくれるお客様と「所詮、みんなは口先だけの優しさだよねぇ」と愚痴を言い合っていたのを思い出します。
上っ面の優しさほど、空々しいことはありませn。
じゃ、また。




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