<信頼フィルター>

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日本中が歓喜したであろう羽生選手の金メダルでした。あれだけのプレッシャーの中で結果を出せるのですから並外れた精神力の持ち主であることを証明しました。スケーティングの技術力もさることながらあの精神力だけでも十分に金メダルに値する価値があります。
普通の人は緊張すると普段の実力を出せないものです。僕なども経験がありますが、入学試験の際に試験に向かうときにお腹が痛くなったりする人はよくいます。入学試験と比べるのもおこがましいですが、オリンピックは4年に一度しかない特別な大会です。そのうえ多くの人からの期待度も半端ではありません。そのような状況の中で実力を出すのですからやはりヒーローになるに相応しい選手です。
羽生選手と言いますと、スケーティングの技術力の素晴らしさとともにマスコミ対応においても賞賛されることがあります。今ふうに言いますと「神対応」というようですが、マスコミが取材しやすいように対応してくれることでマスコミの人からも人気があるそうです。まだ23才ですが、あの若さでマスコミ対応の術を身につけているのですから内面的な面においても金メダルに相応しい人格者ということになります。
オリンピックに限らず、スポーツ選手はマスコミとの関係はとても重要です。どんなスポーツであろうともマスコミに取り上げられて初めてスポーツとして認められます。例えプロでなくアマチュアであっても同じです。プロの場合は社会的認知度がそのまま業界そして選手の収入に直結しますし、アマチュアの場合でも活動をするには資金が必要です。資金がなければ練習もままならないのが現実です。
アマチュア競技でも技術レベルを上げるにはすそ野を広げることが大切です。競技人口が増えることは増えた人数分だけ才能を持っている人を見つける確率が高くなるからです。そしてやはりすそ野を広げるには資金が必要です。
このようにどのようなスポーツであろうとも資金の確保、それに伴う知名度の向上はとても大切です。その両方において重要な要因となるのがマスコミ対策です。僕は「ミュンヘンへの道」という男子バレーボールが金メダルを獲得するまでの感動物語をコラムで書いたり「まとめnaver」に投稿したりしています。その感動物語の立役者は松平康隆さんとう方ですが、この方が重視したのがマスコミとの連携でした。「ミュンヘンへの道」は1972年のことですが、今から40年以上も前からスポーツにおけるマスコミの重要性が大切だったことがわかります。
スポーツ選手はマスコミに取り上げてもらうことで知名度が上がりますが、ここで問題なのはスポーツ選手は芸能人ではないことです。ですから、マスコミが喜びそうな対応や振る舞いをする必要性を全員が感じているわけではありません。選手の中には取材を鬱陶しく感じている選手もいます。そのような選手はおそらく個人的資質もあるでしょうが、マスコミに対する不信感が根底に横たわっているケースもあります。
選手がマスコミに対して不信感を持つきっかけになるのはほとんどがマスコミに責任があるように僕は思っています。これはマスコミの昔からの悪弊と言ってもいいと思いますが、「レッテルを貼りたがる」傾向が影響しています。その理由は新聞や雑誌ですと「売れる」からでテレビですと「視聴率がとれる」からです。要は会社の収入に影響するからです。
「レッテルを貼りたがる」傾向がありますと、どうしても選手の本当の姿とは少し離れた報道になりがちです。「レッテル」は単純でシンプルなほうが効果が高まるからですが、そこには選手の微妙な気持ちや心理状態が入り込む余地がありません。そうして「レッテル」が独り歩きすることによって選手の人物像が出来上がっていきます。選手はそこに不信感を抱くようになります。
僕がマスコミとスポーツ選手の関係で印象に残っているのはプロ野球の野茂投手でした。野茂選手は口数の少ない実直な感じの選手でしたのでマスコミ対応を苦手とする選手でした。マスコミはニュースになるようなコメントなどを求める傾向がありますが、そうした面が苦手だったように思います。やはりマスコミに対して好意的でない選手はマスコミも好意的には報じないのが普通です。
野茂投手の次に米国に渡った有名な選手はイチロー選手ですが、イチロー選手もマスコミに対して心を開くタイプではありませんでした。しかし、イチロー選手の場合は球団および親会社と仰木監督が守ってくれた印象があります。
イチロー選手に比べてマスコミとよい関係を築いていたのが松井秀喜選手です。松井選手の場合はマスコミというよりは「番記者」の方々との関係をうまく築いていたことが大きいように感じています。それを実現できたのは、高校時代にすでにマスコミの持つ影響力を体験していたからです。甲子園というマスコミが押し寄せる場ですべての打席を敬遠されるという異常な状況を経験したことでマスコミの殺到状況も尋常ではありませんでした。そうした経験がマスコミと上手に接することの重要性を認識させたように思います。
最近の選手では、ダルビッシュ有選手が記憶に残っています。ダルビッシュ選手は高卒で入団したときに二十歳前でもあるにもかかわらず喫煙が発覚してしまい、マスコミからものすごいバッシングを受けました。その経験が影響していないはずはありません。そのときにマスコミとの距離感の持ち方を学んだのではないでしょうか。
選手として成功し業界または社会的にも存在が大きくなりますと、選手とマスコミの立場は逆転します。選手のほうが圧倒的に強くなりますのでその立場まで行きますと選手としてはマスコミ対応に困ることはありません。大切なのはそこに行くまでの間です。
選手として成功しますと、マスコミの人たちの中では選手との親密度が仕事に影響を与えることになります。マスコミとしては選手のコメントがほしいわけですが、インタビューをするのも容易ではなくなっています。そうなりますと、頼りになるのは記者と選手の個人的人間関係だけということになります。
このように見てきますと、選手とマスコミの関係において最後にモノをいうのは選手にしろマスコミ人にしろ人間性のように思います。単に相手を利用するだけが目的の関係は長続きはしないものです。なにしろ利用することが目的ですから、両方それぞれが相手に価値がないと思ったなら自然に疎遠になるからです。
本当に信頼できる相手に巡り合うには年月というフィルターが必要です。
じゃ、また。




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