<明後日はメーデー>

pressココロ上




僕がラーメン店時代に納得できないことの一つに求人広告がありました。納得できない理由はその金額の高さと不透明さです。不透明さについてはテキストで書いていますが、本当に効果があるのがわからないのです。そのような状況で出稿代金が高いのは広告を出す側としては納得できるものではありませんでした。
僕がラーメン店をやっていた当時、縦横3~4センチの枠で出稿代金が3万5千円でした。たったの1回の金額です。ラーメン店の1日の儲けをはるかに超える金額です。この広告を1ヶ月に2回出したら7万円です。しかも、一人も応募がないこともあります。これほど費用対効果が悪いことはありません。ですから、納得できなかったのです。
しかし、当時の求人方法はこれしかありませんでした。受け入れるしか術はなかったのです。それから時代が移り変わり、現在は求人募集をする段階ではなく採用が決まったときに代金が発生するシステムが登場しています。インターネットを活用した求人システムですが、これまでのような無駄な求人募集をしなくて済むようになっています。初めてこのシステムを知ったとき「素晴らしい!」と思ったのは言うまでもありません。
ご存知ない方のために簡単に説明しますと、インターネット上の求人サイトに広告を載せます。そして、それを見た人が応募して問題がなければ採用となり、求人活動は成功したことになります。このシステムのすごいところは採用が決まったことを「求人会社がどのようにして知るか」です。募集をかけた会社が報告しなければ求人会社は報酬を受け取ることができません。
そこで考え出されたのが採用された人に求人会社がお祝い金を支払うシステムです。採用されるだけでお金がもらえるのですからほとんどの人がお祝い金の申請をします。そのときに求人会社は採用の事実を知ることができます。よくできたシステムです。
ですが、もちろん100%完璧ではありません。抜け道もあります。募集をかけた会社が採用した人に「求人会社に申請しないよう」に依頼することです。このような対応をされますと、求人会社は採用の事実を知ることができず報酬を受け取ることができません。もちろん募集をかけた会社は採用した人にお祝い金と同じ金額以上を採用者に支払いますので採用者が損を被ることはありません。
このお話は、僕が体験したことです。
このように科学の進歩は世の中の無駄を減らすこと、もしくはなくすことに貢献しますが、中には進歩を受け入れることを拒否する人もいます。その理由は「進歩すると自分が損失を被る」からです。政治的な言い方をするなら既得権益者の発想です。
古い話すぎて恐縮ですが、今のバスはワンマンバスですが、昔のバスは運転手さんと車掌さんがいました。運転手さんは運転だけを行い、乗車するお客様に切符を売るのは車掌さんが行っていたのです。それが科学の進歩により運転手さん一人で運転と乗車料金の徴収もするようになりました。もちろん当時のバス会社で働いている人たちは大反対しました。
僕は自分でも不思議なのですが、脱サラするくらいですから経営者側の発想もしますが、労働者側の発想にも共感します。経営側と労働者側の発想の対立で僕が今までで一番記憶に残っているのは、僕と僕の父との言い争いです。確か、僕は学生でしたが、父の考え方にやけに反発してかなり激しい言い争いになった記憶があります。
それは今のJR、昔の国鉄時代の労働環境についてです。父は地方公務員の末端の現場で働いていた経験があります。その父と言い争いになった論点は「勤務時間中のお風呂」でした。昔の国鉄で働いている人は仕事の最後にお風呂に入っていたそうですが、そのお風呂に入るのを勤務時間中にするか勤務時間が終わってからにするかで父と揉めました。
父は「勤務時間中にお風呂に入るのは当然」という発想で、僕は「お給料をもらっているのだから勤務時間中にお風呂に入るのはダメ」という発想です。「言い争い」というのはいつも「答えが出ない」ものですが、このときも両方が納得できる落としどころはでないまま終了しました。
おそらく父はあまり覚えていないでしょうが、僕にとっては社会人として働く際の心構えに大きな影響を与えています。僕が会社勤めではなく個人事業主として働きたいと考えるようになった遠因と言えなくもありません。
ある経済評論家が「経済はゼロサムだ」と話していました。ゼロサムを辞書で調べますと「本来の意味としては、合計するとゼロ(0)になることをいいます。これは、一方の利益が他方の損失になることであり、通常、マーケット(市場)においては、一方が利益を得たならば、もう一方は損をして、全体としてはプラスマイナスゼロになることをいいます」と説明していますが、誰かが得をしていることは違う誰かが損をしていることになります。
国鉄が民営化された理由は巨額の赤字が累積していたからです。その原因は勤務時間中にお風呂に入るような慣習が労働現場に根付いていたからです。そして、それを可能にしていたのは強い労働組合でした。現在の労働組合の組織率はわずか20%前後ですが、その根本的理由は現場で働いている人たちが労働組合に共感していないからです。
過激な労働組合の発想が若い人たちに支持されず、少しずつ組合離れが起き今の惨状になっています。そもそも論になりますが、今の労働組合は現場で働いている人に寄り添った活動をしていないのが実状です。なにしろ労働者の約4割が非正規の状況ですが、非正規の人たちは労働組合とは無縁の人たちです。
しかも真の意味で労働組合の活動をしているのはいわゆる大企業に働いている人だけです。そして、日本の企業における大企業の割合もわずか10%前後です。このような状況で労働組合が現場で働いている人の代表を標榜するのは無理があります。
今国会では働き方改革が審議されていますが、真面目に働きたいと考えている人たちが満足はできなくとも納得できる労働環境になるような社会になればいいな、と思っています。
明後日はメーデーです。
じゃ、また。




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