<自浄作用>

pressココロ上




僕がテレビを見る時間帯はだいたい決まっていまして、妻と二人で仲良く(?)食べる晩御飯のときです。僕たちの晩御飯の時間はだいたい7時半くらいからはじまりますので、僕の見る番組も限られてきます。通常、テレビのチャンネル権は妻にありますが、晩御飯のときだけは僕にチャンネル権があります。一応、我が家は亭主関白を装っていますので僕の意見が通ることになっています。
このような状況で僕がチャンネル権を駆使するのですが、見たい番組がそれほどあるわけではありません。僕が好きな番組名を紹介いたしますと月曜はNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」、火曜はなくて水曜はやはりNHKの「ためしてガッテン」、木曜はなくて金曜もなくて土曜はNHKの「ブラタモリ」、日曜はNHKの「ダーウィンが来た」です。ちなみに、僕はNHKにお金を払っています。
以前、「鶴瓶の家族に乾杯」の番組の中で70才くらいの男性が「テレビは作り物ばかりでつまらないから、自分はドキュメント番組しか見ない」と話していました。テレビに対して懐疑的な考えを持っている人は「結構いるんだなぁ」と思った記憶があります。
今はSNSの時代ですが、「鶴瓶の家族に乾杯」に対しても「あれはヤラセ」という書きこみが結構あるそうです。それを意識しているようで番組の中で鶴瓶さんはしきりに「突然来てごめんなさい」というようなセリフを言っています。つまり「ヤラセではない」ということを強調しているのですが、今の時代はヤラセを想像する人がいても不思議ではありません。
そういう人がいる反面、ツイートなどの情報が事実の確認がなされないまま安易に拡散されることもあります。つい先日も、「うどんのお店にある大学の職員が大人数で予約を入れておきながら、ドタキャンした」というツイートが拡散されて、多くの人がその大学を非難するツイートをしたそうです。しかし、実はそのうどん店も大学も架空のもので実在しないことがあとから判明して物議をかもしました。
こうしたウソの書き込みの善悪は別にして、ツイートの事実を確認しないまま拡散する人がたくさんいることが証明されたことになります。一時期フェイクニュースが話題になりましたが、フェイクニュースに対して敏感になる感性はまだ育っていないようです。
かつては大手マスコミは信頼の象徴でした。つまり、大手マスコミが報じることは「真実である」ことを証明する役割を担っていました。しかし、最近は大手マスコミの信頼感も薄らいできているように感じます。また、かつてはニュースとして取り上げる際の選択基準は社会的な「価値」とか「意義」に置いていたように思っていましたが、最近は自社の主張に沿っているかどうかで選択しているように感じています。
僕がそうしたことを感じるようになきっかけは家計学園問題の報道時でした。かれこれもう1年以上疑惑が引きずられていますが、その発端を作った前川喜平氏に対する報道です。覚えているでしょうか、あのとき「出会い系バーに通っていた」と読売新聞だけが報じました。僕の中ではこの報道がマスコミに対する信頼感を一気に失せさせてしまいました。それまでにも気になる報道はあったのですが、あのニュースで一気に気持ちが覚めた記憶があります。
世の中は常に動いていますのでつい先日のような気がしますが、家計学園の疑惑が報じられてからもう1年以上経っています。そして、現在でもまだ家計学園の疑惑は晴れないままです。ことの顛末は省略しますが、先日は家計学園の事務局長が愛媛県を訪れて弁明する会見を行っていました。1年以上全く進展していないことを示しています。
僕は安倍首相を好きでも嫌いでもありませんが、強いて言うなら「好きな」ほうに入る政治家です。現在の激動する世界において極東の小さな島国である日本が存在感を出すには「安倍首相しかいない」とまで思っています。週刊誌などでは「トランプ大統領の言いなり」などと批判されていますが、どれほど常識はずれの大統領であろうとも日本は米国と親しい関係でいる以外に世界で生きていく術はありません。北朝鮮の拉致家族問題についても安倍首相以外に解決への道筋をつけられる人はいないでしょう。
このように安倍首相の政治家としての才覚は素晴らしいとは思っていますが、森友学園と家計学園問題においての対応は「あまりに誠実さに欠けている」と言わざるを得ません。共産党の小池議員が「ご飯論法」と指摘していましたが、誰が見ても質問に誠実に答えているようには見えません。「誰が見ても」というよりは「中立な第三者が見ても」が正しい言い方かもしれませんが、最近の国会ほど虚しい論戦はありません。なにしろ質問に対する答えになっていないのですから…。
今の安倍首相を取り巻く状況は、一昔前ですと間違いなく政権が倒れています。それが起こらないのは自民党内において対立する人がいないからです。かつては派閥があり、派閥間の争いがいい意味で自浄作用を起こしていました。しかし、今の自民党には安倍首相に対抗できる人材がいません。すべての問題の根源はここに行きつきます。
石破さんが遅ればせながらながら対抗者に名乗りを上げそうな言動をとっていますが、弱小派閥なのが難点です。岸田さんは今一つ気概に欠けているように映りますし、二階さんが安倍首相の三選を支持していることも見逃せません。
小泉進次郎さんは将来有望な政治家だと思いますが、まだ時期尚早です。おそらくそのあたりのタイミングはお父様がアドバイスをしているでしょうから、今は動かないでしょう。そんな中、実は僕が密かに期待しているのは河野太郎外務大臣です。今でこそ河野氏は安倍首相の閣内に入っていますが、それまでは安倍首相を追求する先鋒に立っていました。安倍首相が河野さんを外務大臣に抜擢したのは批判的な人を取り込む意図があったように思います。
まだ河野氏が要職に就く前のことですが、あるラジオ番組に出演していました。そこで話していたことは安倍首相の運営の仕方に対する批判と「自民党を変える」ということでした。今、自民党で安倍首相に批判的な発言をしているのは村上誠一郎氏ですが、そのときの河野氏は村上氏のような正論を話していました。その河野さんが外務大臣に就任したのですが、僕は安倍首相に取り込まれたというよりも閣内にいて動向を探っているように思っています。
話は逸れますが、自衛隊の日報が保存されていることが次々に明るみになっていますが、「廃棄した」と外務省が発表したときに、「いや、どこどこに残っているはずだ」と最初に声を上げたのは河野さんです。まだ閣僚になる前のことですが、河野さんは自民党や政権が正しい方向に行くように常に考えている人という印象を僕は持っています。
日大の反則行為をしたアメフト選手が会見をしたとき、マスコミ人や見ているほとんどの人が彼の真摯な態度に感銘していました。そうした周りの人たちの清廉潔白さを求め支持する姿勢や熱意が監督やコーチを辞任へと追い込んだように思います。また、ほかの選手たちも自らを省みて反省する姿勢を発表しています。
スポーツという世界においては自浄作用が働いて正しい方向へ向かう道筋を作ることができるのに、なぜ政治の世界ではできないのでしょうか。僕はそれが不思議でなりません。内田監督とコーチに対して厳しく追及したマスコミや周りの大人が、一大学の運動部よりももっと重要である国家の監督に対して追及ができずにいる状況に歯がゆさを感じています。
日本という国がしっかりとした民主国家であるなら自浄作用が働くはずです。そして、自浄作用は政治家だけが起こすのではなくマスコミや周りの大人が起こすべきものです。
じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする