今年も終戦の日がやってきました。戦争が終わって73年です。戦争体験を持つ人がどんどんといなくなることは戦争の悲惨さを実感できる人が少なくなることです。僕は経験主義者ですので、どんなことに対しても経験していない人が知識や想像だけで「わかったつもり」になることに不安を覚えます。
戦争の悲惨さをいくら訴えようが、実感として伝えられないのであればその「悲惨さ」は絵空事でしかありません。ですから、戦争が起こらないような社会にするには「悲惨さ」を実感してもらう方法を考えることが大切です。
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6月のサッカーワールドカップはフランスの優勝で終わりましたが、予選で敗退したドイツでは代表選手が政治的な問題で引退を発表する出来事がありました。マスコミでも報じられましたのでご存知の方も多いでしょう。ある有名な代表選手が自らの行動に対する批判に納得ができず代表の引退を発表しました。
簡単に経緯を説明しますと、トルコ系移民であるその選手がトルコの大統領と面会することになり、その際にその大統領に敬意を表す振る舞いをしました。その対応が物議を醸すことになったのです。なぜならその大統領は独裁的で国際的に批判されている大統領だったからです。
この騒動が起きた原因の一つは間違いなく大統領が選手たち(2人)との会談を広告として政治利用したことです。これが最も大きな要因です。有名で人気があったとはいえ、一サッカー選手が自分のルーツである祖国の最高権力者と面会することは礼儀的な面で考えますとよくある普通のことです。おそらくその選手たちは深い意味も悪気もなかったはずです。ですから、自然な気持ちで面会をし、そして自然な流れでユニホームにサインをして写真に納まったと想像します。
考えようによっては、大統領にはめられたと取れなくもありませんが、脇の甘さは指摘されても仕方ないように思います。繰り返しになりますが、その大統領は独裁的で国際的に批判されている指導者だったからです。
日本プロ野球の王貞治選手が世界新記録のホームランを打ったのは僕が大学生のときです。球場が沸き上がり盛り上がっているテレビでの映像を見て、僕はなぜか「王選手がホームランを打ってみんなが盛り上がっているのも、世界が平和だからだよなぁ」と思ったことを覚えています。
そうなのです。みんなが楽しい思い出を作り笑顔になれるのは社会が平和だからです。平和は大切です。
僕が小学校の6年生のとき、担任の森山先生は「日本は戦争に負けたあと、アメリカに占領されてよかったんだよ。もし、ソ連に占領されていたら今のような自由な社会にはなってなかったな」と話していました。なぜか、このときの森山先生の言葉が50年以上過ぎた今でも覚えています。
「学者バカ」という言葉があります。辞書によりますと「専門的な知識はあるものの、一般常識に欠けている人のこと」ですが、「一般常識」という言葉は「バランス感覚」と置き換えることもできます。
プロになるほどの技術を持ったサッカー選手は知名度は高いですし、自ずと影響力も大きくなります。これはサッカー選手に限ったことではなく、あらゆるスポーツ選手に当てはまります。一流のスポーツ選手はそのことを常に頭の隅も置いておく必要があります。
先のドイツの代表選手も自分の立場を考えるなら安易に政治家と交流するのは控えるべきでした。例え、悪意はなくとも結果的に大きな影響力が生じるなら控えるべきです。それを考えることが「バランス感覚」です。
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誰しも「戦争反対!」とは言いますが、「他国から攻められたときは戦うしかない」とも言います。「戦う」ことは紛れもない「戦争」です。
他国に侵略されて占領されたら「悲惨な」社会になる、だから「戦争しなければいけない」という結論になります。ですが、戦争状態になった社会はすでに「悲惨な」社会です。なぜなら、相手と戦うために軍隊が主導権を握る社会になるからです。
軍隊が主導する社会を最近のわかりやすい例えで言うなら「日大アメフト部」です。上からの命令は絶対に従わなくてはならず、できないときは自分という存在さえ危ぶまれる社会です。一般的に強豪と言われる学校の厳しい運動部はほとんどが当てはまりそうです。女子水球の日本代表のパワハラとか日大応援部のパワハラとか、次々にパワハラが明るみになってきていますが、基本的に厳しい運動部のほとんどはパワハラが前提の構造になっているように思います。
最近、ボンボン二世というポジションでバラエティ番組で活躍している著名人に長嶋一茂さんがいます。言わずと知れた長嶋茂雄氏のご長男ですが、一茂さんは「三流」という本を出しています。著者はほかの方で一茂氏および周りの方々に取材をして一茂さんという人間を浮き彫りにしている本ですが、この本には一茂さんの大学時代のパワハラが書いてあります。
もちろん、当時はパワハラという言葉などありませんが、一茂さんが先輩として後輩に行っていた行為は今で言うと明らかにパワハラでした。しかし、当時はそうした先輩の振る舞いが当たり前の時代でした。理不尽な先輩の言動に振り回され、苦しんでいる後輩たち。こうした構図がスポーツ界の姿だったのです。
戦争という状態では、社会はこのような理不尽な世の中になります。上の者に従うしか術はなく、それができないときは社会から存在が許されない立場に追いやられるのです。
他国から攻められたとき、「戦うしか方法はない」と考える皆さんはこのような社会になることを想像してください。理不尽な世の中は占領された「悲惨な」社会と大して変わらない環境です。そのことも考えたうえでどのように対応するのがよいのかを考えてほしいと思います。
いつまでも戦争が起きませんように…。
じゃ、また。