<アフガニスタン>

pressココロ上




パラリンピックが開催されていますが、僕としては今一つ盛り上がりに欠けた気分でいます。理由は、競技が公平でないように感じるからです。今月初めのコラムで「正しい試合」というタイトルで書きましたが、試合をする際の条件が公平でないと、やはりどこか白けた気持ちになります。

そのときのコラムの繰り返しになりますが、本来肉体を競うべきオリンピックが近年では肉体以外の部分で結果が決まるようになっています。「肉体以外の部分」とは、例えば科学的な道具を用いた練習方法とかITを活用した科学分析、進化した器具などのことですが、これらは先進国と発展途上国では雲泥の差があります。そうした状況では真の意味で肉体競技とはいえないと思っています。

僕のそうした困惑がさらに強くなるのがパラリンピックです。オリンピック以上に「肉体以外の部分」の優劣が結果に影響することになります。例えば、車椅子を使う競技ですと、その車椅子の性能が大きくモノをいうはずです。これではとうてい公平な競技など行われるはずもありません。

こうした不公平な要因が僕の気持ちを今一つ盛り上がらせない理由ですが、あと一つ理由があります。それはアフガニスタンの緊迫した状況です。全く関連のないことのように思う人もいるかもしれませんが、僕の中では大きく関連しています。僕は毎晩テレビでニュースを見ていますが、現在ニュース番組で最初に報じられるのはコロナ問題で、その次くらいにアフガニスタン情勢が伝えられます。

映画を観るような感じでざっくりと言ってしまいますと、現在のアフガニスタンは米国の後押しで樹立された民主国家がタリバンという悪党集団に国家を乗っ取られている状況です。悪党集団が国家を支配するのですから、一般の善良な人たちが虐げられる状況になるのは目に見えています。そうした情勢をニュースで伝えたあとに、オリンピック・パラリンピックの感動を見せられても心から受け入れることができません。

そもそもオリンピックならびにパラリンピックは「平和の祭典」とうたっていたはずで、「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことが目的です。それにもかかわらず、世界各地で起きている紛争に目もくれないようなオリンピック・パラリンピックには疑問を感じてしまいます。

バッハ会長がパラリンピックのために再来日をしましたが、あまりの評判の悪さを察したのかすぐに帰国してしまいました。「平和の祭典」をうたう国際オリンピック委員会の会長という要職に就き、世界的に見ても大きな影響力があるのですから、アフガニスタンの状況にもっと関与するくらいの気構えがほしいものです。

そういえば、日本がオリンピックをボイコットしたモスクワ大会は、ソ連がアフガニスタンに侵攻したことが理由でした。その後ソ連はうまくいかず撤退したのですが、同じように米国も撤退するのですから、なにやら因縁めいたものを感じます。また、アフガニスタンという国家の複雑さ、難しさがわかります。

そのアフガニスタンで多くの人命を助ける活動をしていたのが中村哲さんでした。中村さんはマスコミで取り上げられることも度々ありましたのでご存じの方も多いでしょう。中村さんはお医者さんですが、医師としての活動のほかに社会活動まで行っていました。例えば、水の確保が問題の根源と考え、用水路を建設することにまで活動範囲を広げていました。

しかし、中村さんは一昨年の12月にアフガニスタンの武力勢力により襲撃され殺害されました。用水路の建設現場に向かう途中に襲撃されたそうですが、無念でならなかったろうと思うと心が痛みます。アフガニスタンのために無私の思いで尽力していた人をどうして殺害してしまうのか、憤り以外に出てくる感情がありません。

昨日見たアフガニスタン関連ニュースでは、テロ組織「イスラム国」が自爆テロを起こし、死傷者が多数出たそうです。すっかり忘れていましたが、一時期は「イスラム国」が世界の脅威となっていました。なにしろ女性に対して奴隷のような扱いをしたり売買をしたりなど悪行の限りを尽くしていた印象があるテロ組織です。僕などはすでに壊滅していたと思っていたのですが、まだ生き残っていたようです。

僕が最初に「イスラム国」を知ったのは、深夜のドキュメント番組でした。テロ組織が国家を樹立するまでになった経緯を捉えた番組でしたが、正直なところ半信半疑でした。国家をなすためにはそれ相応の組織力が必要です。単なるテロ組織とは規模が違うと思っていたからです。ですが、あれよあれよという間に大きくなり、国際社会が無視できないほどになっていきました。

そこまできてようやっと米国主導の有志連合の空爆により壊滅させたのですが、この当時最も使われた言葉が「敵の敵は味方」です。なにしろ当時はイラク政府軍やイラン支援の民兵、クルド人の民兵組織、シラクのアサド政権軍などいろいろな勢力が入り乱れていて争いが絶えない状態でした。ですが、とりあえず「イスラム国壊滅」でまとまっていたという記憶だけはあります。

イスラム国が壊滅したときに、一部の残党が残っていることが危惧されていましたが、今回の事件でそれが現実となったことになります。タリバンでさえ凶悪なのにイスラム国はそのうえに残虐が加わります。アフガニスタンはいったいこの先どのようになってしまうのでしょう。とても心配です。

「この先」も心配ですが、真っ先に対応しなければいけないのは現地に残っている邦人と米国に協力していたアフガニスタン人も含めた人々の救助です。タリバン、イスラム国どちらが支配するにしても、米国に協力していた人たちが迫害されるのは容易に想像できます。日本からも自衛隊機が救助に向かいましたが、目的は達成されていないようです。

報道によりますと、アフガニスタンからの出国を望む人たちがカブール空港に集まっていて、空港が混乱しているそうです。米国の飛行機に無理やり乗り込もうとして亡くなった人までいるそうですから、混乱の激しさがうかがえます。イスラム国までが動き出していますので混乱がさらに高まることが予想されます。国際社会が一丸となって対処することを願ってやみません。

ところで、「敵の敵は味方」で思い出したエピソードがありましたのでご紹介したいと思います。

僕の妻はほかの人に比べて若い年齢で結婚しましたので、結婚当初は乙女で純真でしとやかな性格でした。僕が強く怒ると涙を浮かべるほど弱弱しい性格の持ち主でした。ところが、女の人というのは子供を産み年齢を重ねるに従い、段々と強くなっていきます。3年も経つと、図々しく強気な女になっていました。

そうなりますと自然と対立した関係になり、いつしか敵対関係になっていきます。さらに結婚生活を重ねるにつれて、その敵対関係の度合いもますます激しいものになっていくのは想像がつくと思います。

そんな二人の関係だったにもかかわらず、なんとか力を合わせてコロッケ店を営んでいたのですが、業績も芳しくないこともあり店舗の更新時期に合わせてコロッケ店を廃業することにしました。そこで1ヶ月前くらいから店先に「閉店のお知らせ」を貼りだしていました。そして、いよいよ廃業まで「あと2日」というときに、たまに買いに来てくれていた中年女性が話しかけてきました。

端的に言いますと、新興宗教の勧誘だったのですが、人の不幸なときを狙ってくるのはよくある手法です。話を聞いて僕は即座に断ったのですが、その女性もかなりしつこく中々引き下がろうとしません。そのときです。近くで聞いていた妻が“我慢がならない”というふうで、ものすごい剣幕で断りの言葉を発していました。

「敵の敵は味方」を感じた瞬間です。それ以来、僕たちは味方同士のまま現在に至っています、シャンシャン。

じゃ、また。




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