<鈍すれば貧する>

pressココロ上




僕はcakesというネットメディアの記事をときたま読んでいるのですが、このメディアにはある写真家が回答している人生相談の記事があります。この回答者のアドバイスは核心を突くようなものが多く、長らく人気を博していました。ところが、昨年ある一つの回答が炎上して物議を醸しました。

ネット界隈ではかなり報じられましたのでご存じの方も多いと思いますが、このときの炎上理由をひと言でいいますと、無責任な回答だったことに尽きます。具体的には、相談者および相談内容を嘘呼ばわりし、傷つける回答をしていました。このときのメディア側の対応は、回答者の謝罪と編集長の更迭だったのですが、「編集長の更迭」にまで発展したのは、メディアとしての対応に問題があったからです。

炎上しましたので、いろいろな方がその記事や回答者、さらにはネットメディアに対して様々な意見を発していましたが、それらの意見に対しての編集長の対応は適切なものではありませんでした。もしかしたなら、あまりにも批判的な意見が多すぎたために正常な判断ができなかったのかもしれませんが、それを考慮してもかなり強烈な「上から目線」の傲慢な反論を行っていました。

こうした騒動を経てきていますので、メディアを運営するにあたっての姿勢や考え方などを改善していると思っていましたが、今回また同じような炎上を起こしていました。さらに驚くべきことは、同じ人生相談の記事ということと、炎上理由までもが前回と同じ「無責任な回答」だったことです。つまり、前回の騒動からなにも学んでいないことになりますが、僕が考えますところ、人生相談という記事に無理があるように思います。

基本的に、僕は「人生相談」が好きではありません。赤の他人が自分の悩みを本当に理解できるとは思えませんし、また赤の他人が親身になって真剣に答えを考えてくれるとも思えないからです。回答する側になって考えてみますと、相談自体が本物であるかも不明です。対面で相談するならまだしも、紙面もしくはネット上という匿名で相談する人が本物の相談者という保証はありません。

仮に相談する人が本物だとしても、「相談する人は、相談する相手を決める段階ですでに答えを決めている」となにかで読んだ記憶があります。まさにそのとおりで、相談者はただ背中を押してほしいだけです。

あと一つ「好きではない理由」として、世の中に「相談コーナー」があふれ過ぎていることがあります。ネットに限らず、新聞や週刊誌といった紙媒体にも「相談コーナー」がありますが、媒体の目玉になっている感さえあります。これだけ相談コーナーが繁盛しているのは読者が多いからですが、そこには必然的に競争が発生します。どれだけ読者を引きつける「相談コーナー」にできるかが重要になってきています。

そして、競争に勝利するためにどんどん過激になることはこれまでの歴史が教えてくれています。写真家の人生相談が人気を博したのも、一般的な回答とは少し趣が違っていたことが理由です。その趣が行き過ぎた結果が前回、今回という2つの炎上につながったのかもしれません。

僕はときたま日経ビジネス・小田嶋隆氏の「ア・ピース・オブ・警句」を読んでいるのですが、今回のcakesの炎上騒動を知ったのはこの記事内でした。小田嶋氏はcakesにおける編集者の仕事ぶりに違和感を持っているようですが、小田嶋氏のような昭和時代のコラムニストからしますと、現在のネットメディアの運営方法には納得できない点が多々あるようです。

今週のタイトル「鈍すれば貧する」は、本来のことわざ「貧すれば鈍する」を“逆さ”にしたものですが、このことわざの意味は「貧乏をすると、毎日その生活のことばかり考えるようになるから、人は知恵や頭の回転が衰えてしまい、賢い人でも愚かになるという意味」(故事ことわざ辞典より引用)です。

このことわざを引用することにしたは、小田嶋氏がコラムの中で書いていたのがきっかけです。“逆さ”にしたのは、現在売れているサンデル・マイケル氏(ハーバード大学哲学教授)の著書「実力も運のうち」に倣ったものです。

ベストセラーですのでご存じの方も多いでしょうが、一応説明しておきますと著書のタイトル「実力も運のうち」は本来のことわざである「運も実力のうち」を“逆さ”にしたものです。このことわざの意味は「一見、たまたまの幸運に見えることも、実はその人の日頃の行ないや努力によって必然的に起こっているのだということ」です。

サンデル教授はそのことに異議を唱える意味でタイトルを“逆さ”にしました。極端に言ってしまいますと、「どんなに優れた能力の持ち主であろうとも、その能力を持つ」という“運”に恵まれた結果ということです。仮に、他人が真似できない苦しい努力で身につけた能力であろうとも、その「努力をする気持ち」を与えられた“運”のおかげということになります。

ここまで極端な考えになってしまいますと、努力することに意味がなくなるような気がしてきますが、それでも「努力を忘れてはいけない」と思う僕は、儒教の影響を受けているのでしょうか。それはともかく、小田嶋氏は現在の出版界を取り巻く苦境に触れて、編集という仕事の劣化を嘆いています。売上げが落ち、収益的に苦しくなってきますと、自然とお金儲けにつながることだけに手を染めるようになりがちです。

こうした傾向は出版界だけではなく、凋落傾向にある業界すべてに当てはまります。例えば、テレビ・ラジオ業界です。最近の各業界の番組を見聞きしていますと、そうした気持ちにならざるを得ません。一つ間違うと、ステマとなりそうな番組が散見されますが、放送と広告の境目が曖昧になりつつあるのは、品行方正の面から見て大きな問題です。

まさに「貧すれば鈍する」です。金銭的に苦しくなることで品行方正の感覚が鈍くなってきます。しかし、僕は少し違った考えを持っており、それが今週のタイトル「鈍すれば貧する」です。

経営の神様ドラッカー氏には「変化はコントロールできない。できるのは変化の先頭に立つことだけだ」という言葉があります。凋落傾向の企業で働いている方々は時代の変化に鈍感だったことが原因の要因ということに気がついていません。放送業界の人たちは、収入的に苦しくなってきたから感性が鈍くなってきたのではなく、感性が鈍くなってきたから収入的に苦しくなってきたことに気がつかなければいけません。

貧乏な業界になったから感性が鈍くなる、と嘆くのではなく、感性が鈍くなったから貧乏な業界になったのです。米国の株式市場では、30年でほとんどの企業が入れ替わるそうです。それだけ変化が激しいことを表していますが、経済の世界では感性が鈍くてはその変化についていくことができません。

どのような業界にいようとも収入を確保するには感性を鋭くしておくことがとても大切です。感性が鈍い人は収入的に大変苦労することになります。その証拠に、僕今、貧してます。(^_^;)

じゃ、また。







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