<学歴フィルター>

pressココロ上




柔道の金メダリスト古賀稔彦氏がお亡くなりになりました。ガンを患っていたそうですが、53才という若さではあまりに早すぎます。ご冥福をお祈り申し上げます。僕は柔道の経験者でもありませんし、競技に精通しているわけでもありませんが、92年バルセロナオリンピックでの金メダルは強く記憶に残っています。

現地入りしたあとの練習中に、左膝じん帯損傷で全治1カ月の大ケガを負った状態でありながら、金メダルを取った映像が脳裏に焼き付いています。なにしろ歩くこともままならないほどの重傷の中での快挙でしたので感動をしないわけがありません。金メダルが決まった瞬間、両の拳を握り締め、天に向かって雄たけびを上げている姿は柔道の神様が乗り移ったかのような神々しささえ醸し出していました。

古賀氏は「平成の三四郎」の異名をとるほど強く、そして柔道センスにあふれていました。柔道の世界では「柔よく剛を制す」という言葉を耳にしますが、その意味は「「柔和な者でも剛直な者を制することが出来る。弱い者でも強い者を制することが出来る」ということだそうです。

一般人からしますと、「体格の小さな者が大きな者を打ち負かす」光景を思い浮かべますが、古賀氏は実際に挑んだことがあります。柔道の試合は体重別によって争われますが、本来中量級の古賀氏が国内での無差別級の大会に臨んだのです。1990年の全日本選手権、古賀氏以外は100キロ前後の体格的に勝っている選手たちが対戦相手でした。

もし、古賀氏が無差別級でも優勝していたなら、まさしく「柔よく剛を制す」を体現したことになりますが、残念ながら決勝戦で負けてしまいました。しかし、決勝まで進んだことは快挙以外のなにものでもありません。準決勝まで、出場選手中最軽量ながら100キロ台の相手を次々と破っていったのです。「平成の三四郎」の面目躍如でした。

それでも、最後は力尽きてしまいました。「武道館の天井を初めて見た」。古賀氏の敗戦後の弁ですが、古賀氏の強さを物語るエピソードです。

ビジネス関連の記事を読んでいますと、就職に関して「学歴フィルターによって、希望する就職先への応募が妨げられている」という記事を目にすることがあります。こうした記事で訴えていることは、「就職機会の公平性が損なわれている」ということです。

「学歴フィルター」とは「 特定大学の出身者以外の者を採用選考から外すこと」ですが、当初はインターネットスラングだった言葉が、次第に普通に使われるようになったそうです。ここで注意が必要なことは、「学歴フィルター」を行っている企業は大企業もしくは有名企業といった学生に人気のある、いわゆる超一流の企業に限られていることです。

このように書きますと、「学歴フィルター」は近年なってからはじまったように思われそうですが、決してそうではありません。ずっと昔から、少なくとも僕が就職活動をした40年以上前から行われていました。

僕が初めて社会の厳しさを思い知らされたのは、その就職活動でした。当時、就職企業ランキングでベスト10に入る企業の面接に臨んだとき、「国公立・早稲田・慶應」の学生とその他の学生で待機する部屋が分けられていました。今言われている「学歴フィルター」はエントリーシートにおける差別ですが、僕の時代は現場で差別が行われていました。

このように書きますと、「学歴フィルター」という言葉にネガティブなイメージを抱きます。企業が学生を選別する際に無駄な時間を省くという、特定の大学ではない学生からすると屈辱的な理由が透けて見えるからです。しかし、年を重ねながらいろいろな社会経験を経てきた僕からしますと、「学歴フィルター」には“特定の大学ではない学生”にとっても有用な効用があるように思っています。

冒頭で古賀氏の快挙について書きましたが、それができたのは古賀氏がほかの選手よりも才能にあふれていたからです。普通の中量級選手では、どんなに頑張っても無差別級では初戦で敗退します。体重が違うのですから当然です。柔道以外にも体重で別れている競技がありますが、その理由は地力が違ってくるからです。地力が違う者同士が戦っては試合にさえならない場合があります。

これは体重が影響するスポーツに限りません。例えば、野球にしてもサッカーにしても地力が違うと試合が成り立たなくなることがあります。体力やテクニックなどプロとアマチュアでは地力に相当に違いがあります。地力が違い過ぎると試合どころか、練習さえ成り立たなくなることもあります。

こうしたことは肉体を使うスポーツの世界に限りません。頭脳を使う競技においても同様です。数年前から東大生が参加するクイズ番組が花盛りですが、知識量がある人とない人では圧倒的な差があります。知識量が多い人がほとんどの中では知識量が少ない人は存在さえ許されなくなります。おそらく知識量が少ない人はその場にいたたまれない気持ちになってしまうでしょう。それほど地力の差は、当人および周りに大きな影響を与えます。

数多くのヒット曲を生み出している中島みゆきさんには「ファイト!」という名曲があります。その歌詞の出だしは「わたし、中卒やからね、仕事もらわれへんかったって書いた手紙」です。この歌を書いたきっかけはラジオパーソナリティをしているときに、こうした内容の手紙をもらったことだそうです。

職場の上司から「中卒だから、どうせできないだろう」と仕事を回してもらえなかった悔しさがしたためられていたハガキなのですが、職場では起こりがちな出来事です。ほとんどの従業員が高卒以上の中で中卒はやはり特別の目で見られてしまいます。社会はみんながみんな、相手を気遣う心優しき人ばかりではありません。

「学歴フィルター」はまさにそうした厳しい状況に陥らないために行われています。企業からしますと、選別の無駄な時間を省くためかもしれませんが、これから社会にでる学生からしますと「地力に差がある環境」に飛び込まなくて済むことにつながります。

想像してみてください。同僚が全員、国公立とか最低でも早慶という高偏差値の人たちがいる中で、普通の偏差値出身の新入社員が一緒に働けるわけがありません。おそらく引け目を感じて、精神的に追い詰められます。中量級の柔道選手と無差別級の選手では試合にならないのです。どんな難問でもすぐに正解を導き出せる人と問題の意味がわからない人ではクイズ番組として成り立ちません。地力の違いは当人を苦しめることにしかなりません。

もちろん、地力の違いがあるからといって人生をあきらめる必要はありません。あくまで「学歴フィルター」は社会人としてのスタートにおける選別でしかありません。かつてIT業界に飯野賢治さんという天才がいました。飯野さんは高校中退の学歴しかありませんが、それでもゲーム業界で大成功を収めています。

飯野さんは極端な例ですが、「学歴フィルター」で阻まれた学生は、社会人になってから実績を積んで階段を上がっていけばよいのです。そもそも学生の時に選択した就職先はほとんどが正しい選択ではありません。なぜなら、社会を経験したことがないどころか、社会の広さや実態をほとんど知らない学生が決めたことが正しい選択であるはずがないからです。

“正しい選択”とはいえない企業に「フィルター」をかけられたところで、長い人生においてはなんの意味もありません。“地力の違い”がある環境で苦しみながら働かなくて済むことになるのですから、「学歴フィルター」は快く受け入れるべき選別法です。

じゃ、また。




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