暑い最中、僕は朝7時から1時間ほどウォーキングをしています。寒がりの僕としては、多少の暑さは耐えることができますので、上は半袖シャツですが、下は長ズボンでも問題ありませんでした。ところが、梅雨が明けてからはさすがにキツくなり、上はTシャツ、下は半ズボンに変えることにしました。帽子も野球帽から麦わら帽子に変更しました。麦わら帽子は四方につばがあるので、頭を日差しから守ってくれます。
ウォーキングの目的は体力維持でもありますが、ラジオを聴くことでもあります。TBSの「森本毅郎・スタンバイ!」は朝の情報を得るのに最適な番組だと思っています。AIに「森本毅郎・スタンバイ!」について尋ねますと、「朝の人気情報ワイド番組」と返してきますが、僕は「情報ワイド番組」というよりも王道の「ニュース番組」だと思っています。
反対に、王道ではない「ニュース番組」としては、例えば平日夜10時から放送しているテレビ朝日系「報道ステーション」があります。この番組は「ニュース番組」というよりも、それこそ「人気情報ワイド番組」だと思っています。なにが違うのかと言いますと、ニュースの内容です。
例えば人気のある著名人の訃報が報じられたとき、「森本毅郎・スタンバイ!」ではほかのニュースと同程度に報じるだけですが、「報道ステーション」では視聴率が稼げそうな人の場合は、ほかのニュースを短くして、その方の特集などに時間を割いています。僕はそれが不満です。
僕が今のメディア・マスコミの報じ方で最も違和感を持つのは、「出来事」を伝えるのではなく、「ストーリー」を伝えようとすることです。「ストーリー」については僕はたびたび書いていますが、今回も書きます。
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「伝えよう」とするだけならまだしも、時にはストーリーを「作ろう」とすることがあります。さらにひどいときには「無理やり」のときさえあります。そこまできてしまいますと、それはニュースではなく、それこそ「ものがたり」になってしまいます。それもこれも視聴率を稼ごうという魂胆があるからですが、それでは純粋な「ニュース番組」ではなくなってしまいます。
その点、「森本毅郎・スタンバイ!」はニュースを淡々と伝えています。もちろん、わかりにくいニュースのときは解説もしてくれますが、「ストーリー」とは無縁な伝え方をしているところに好感が持てます。その「森本毅郎・スタンバイ!」で、先日興味深いウクライナ情報が伝えられていました。最近は米国のイラン攻撃が注目されることが多く、ロシアのウクライナ侵攻については報じられることが少なくなっていました。
そのニュースでは、ウクライナでの兵士不足について報じていました。ウクライナは現在徴兵制ですが、兵役逃れが横行しているそうです。それについてもこのコラムで取り上げたことがありますが、先日のニュースでは徴兵業務を行う組織(TCC)と住民の衝突を伝えていました。
***7月8日にウクライナ西部のリヴィウで、徴兵業務を行う「地域採用・社会支援センター(TCC)」の職員と住民が大規模に衝突しました。***
TCCの職員が、兵役登録義務違反で指名手配されていた男性を発見し、身柄を確保しようとしたところ、周りの住民や若者が、そのやり方が「強引すぎる」として職員や警察ともみ合いになり、大規模な衝突になったそうです。
こうした状況を見ていますと、本当に複雑な気持ちになります。ロシアの侵攻を許したなら、ウクライナの行く末は間違いなく暗いものになります。どんな国でもそうですが、植民地化された国に自由で幸せな未来が待っていることはありません。ウクライナには過去に「ホロドモール」という悲惨な事件がありました。当時はソ連でしたが、ソ連に食料を納める義務を負わされ、400万人以上とも言われるウクライナ国民が餓死した事件です。
そうした悲惨な目に遭わないためには、ロシアの侵攻に勝利する必要があるはずです。侵攻が始まった当初は国民が一体となって戦う雰囲気がありました。ロシアから侵攻を受けた翌日、ゼレンスキー大統領が「わたしたちはここにいる」と投稿した動画は感動的でさえありました。おそらくプーチン大統領は、コメディアン出身の大統領は「すぐに逃げる」と思っていたのでしょう。それが堂々と「戦う宣言」をしたのですから、本当に感動ものでした。
世界もまたウクライナに同情的・好意的でした。米国バイデン大統領は全面的支援を表明していましたし、周りのEU諸国も同様でした。ウクライナから逃れてきた人たちに支援の手を差し伸べる光景も印象的でした。しかし、以前から書いていますように、「感動」は長続きしません。現米国大統領であるトランプ大統領は「感動」とは関係なく支援に後ろ向きですが、周りのEU諸国の支援姿勢も初期の頃より後退している印象があります。
最近一番驚いたのは、侵攻があった当初あれほどウクライナ支援を行っていたポーランドが「支援から距離を置き始めた」というニュースです。両国間の歴史認識問題が背景にあるようですが、そうした問題が表面化すること自体が「時間の経過」を思わせます。「時間の経過」は他国だけに限りません。先日はウクライナ政権内での対立も表面化しました。
国防相と総司令官(名前を書いてもいいのですが、横文字カタカナだと読者もすぐに忘れるだろうなぁ、と思って(笑))が対立したのですが、国防相は若く、ドローン戦略などで実績を上げていた人物でした。その国防相と生粋の職業軍人である総司令官が対立していたのですが、ゼレンスキー大統領は国防相を解任したのです。しかし、この人事に反発したのが国民でした。その声の大きさに押されるように、1週間後にゼレンスキー大統領は総司令官も解任しています。
ここに来て、ウクライナは攻勢に転じているのですが、その一番の理由は「ドローン攻撃がうまく機能していたから」と言われています。それにもかかわらず、ゼレンスキー大統領が国防相を解任したことに多くの国民が反発の声を上げていました。「森本毅郎・スタンバイ!」では、ゼレンスキー大統領が国防相を解任したのは「将来、自分の大統領の地位を脅かす存在になるから」と解説していました。ですが、僕はゼレンスキー大統領は「そんな器の小さい人物ではない」と思っています。僕、甘いかしら。
それにしても国民が一枚岩になることほど難しいことはありません。戦争時ではない日本で与野党が対立するのはわかりますが、戦争状態であっても「一枚岩」にならないこともあるのです。生死にかかわる状況下においても「一枚岩」になれないのです。いかに「一枚岩になる」ことが難しいかがわかります。
よく船が沈みそうになったとき、真っ先に逃げる人と最後まで残って対処する人の対比が言われることがありますが、人はどちらに好感を持つかと言いますと、自分の実際の行動は別にして、「最後まで残って対処する人」に尊敬の念を抱くのではないでしょうか。ドラマなどでは絶対にそう描くと思います。そのほうが感動しますから。
ですが、逃げ出す人がいるのも事実です。「戦うのが嫌」と国外に逃げる人たちは国民の資格がないのでしょうか。答えに窮しますが、誰かが戦わないと、自分たちの国家がなくなるのは事実です。一枚岩になるって、難しいですよねぇ。
あ、人間は岩じゃないんだ。
じゃ、また。