昨日、ギリギリで「NHKスペシャル“冤(えん)罪”の深層~警視庁公安部・内部音声の衝撃~」を観ることができました。「ギリギリ」という意味は、「NHKプラス」での公開期限の最終日だったからです。この番組に気づいたのは、僕が毎日見ているサイト「note」の記事で紹介されていたからです。あやうく見逃すところでした。
僕はNHKの番組では「20世紀の映像」と「NHKスペシャル」を毎週楽しみにしているのですが、年末年始は番組編成が変わっていましたので「NHKスペシャル」を見逃していました。「見逃している」こと自体に気づいていませんでしたので、番組を紹介していた記事がなかったなら見逃したままで終わっていたはずです。その記事には本当に感謝です。ご存じのように「NHKプラス」は1週間が期限ですので、それを過ぎてしまいますと有料でしか見られなくなります。
前にも書きましたが、NHK放送の「20世紀の映像」と「NHKスペシャル」は本当に勉強になります。最近はこれに「最後の講義」(Eテレ)という番組も加わったのですが、この3つを見るだけでも受信料を払う価値があると思っています。褒め過ぎかな。しかし、本当に毎回とはいえませんが、感動しています。
今回の「NHKスペシャル」は「大川原化工機」という化学機械製造会社が冤罪で逮捕されるまでを追った内容でした。タイトルにあるように“冤(えん)罪”が作り上げられていく過程を録音を交えながら伝えているのですが、マスコミの本来の姿を見ているようで感激しました。最近では「マス“ゴミ”」などと揶揄されることが多い「マスコミ」ですが、NHKスペシャルはマスコミの本領を発揮していました。現実問題として、権力を追及できるのはマスコミしかいないのですから、是非ともこれからも頑張ってほしいと思います。
この番組を観ていて驚いたというか憤りを感じたのは、権力を持っている警察の人たちが、権力についてあまりにも軽く考えていることです。一般の人がほかの誰かの自由を奪ったなら立派な犯罪です。それに対して、警察はそれを堂々と行うことができます。ですので、権力を行使する際は慎重に慎重を重ねているはず、と思っていましたが、番組で流していた録音の音声からは「慎み深さ」が微塵も感じられませんでした。
今回“冤(えん)罪”があきらかになったのは良識のある部下の方々がいたからで、一つ間違えば、大川原化工機の社長は今も「犯罪者」として拘束されていた可能性もあります。世の中の人たちはもっと怒っていいのではないでしょうか。いえ、怒るべきです。先月のコラムでは、大阪地検特捜部が大手不動産会社の社長を21億円の横領事件で逮捕・起訴し、その後無罪になった事件について書きましたが、今の司法制度は間違いなく歪みがあります。
僕が「“冤(えん)罪”の深層~警視庁公安部……」を見逃さずに済んだのは、「note」というサイトの記事で紹介していたからです。しかし、さらに深く考えていきますと、そうした情報・記事に接する時間を持てていることが最も大きな要因です。僕は自営業ですので定年はありませんが、会社勤めをしていたならとうに定年を過ぎている年齢です。ですので、現役でバリバリ働いている人に比べますと時間の余裕がありますし、自分で仕事の量を調節していますので余裕の時間を作ることも可能です。だからこそのニュースや記事のチェックです。
前に書きましたように、現在僕は新聞購読をやめています。この決断を自分自身では結構評価していて、もし新聞購読を続けていたなら今ほど多くの情報に接することはできていないと思います。今は時間が許す限りいろいろなニュース・記事を読んでいますので1日最低でも2時間、通常は3時間以上を充てています。連続ではなく合間にですが、現役バリバリの社会人には無理な時間割です。
このような僕に比べますと、現役でバリバリ働いている人たちがそれなりの量のニュースや情報に接するのは並大抵のことではないと想像します。僕の若い頃、ラーメン店時代を思い返してみましても、1日のうちニュースや記事を読む時間に充てられたのはわずか30分から1時間が限界でした。残りの時間のすべてを仕事に振り向けないと仕事が回りませんでした。そうしたことを思うとき、「なにを」「なにから」情報を得るかはとても重要です。
そうしたときに最も信頼を置けるのはやはり新聞でありテレビ、ラジオです。そして、今の時代はこれらにネットやSNSがくわわります。数年前から「フェイクニュース」という言葉を目にすることが多くなりましたが、ネットやSNSは旧来のメディアに比べますと「信頼性」の点において見落とりするのは否めません。
「信頼性」はとても重要ですが、同じくらいに重要なことは「視点」です。ニュースや記事は視点が異なるだけで大きく変わることがあります。もうすぐ2度目のトランプ大統領就任がありますが、1度目のときに大きく報じられたのが「もう一つの事実」という言葉です。トランプ大統領の就任式に集まった群衆を表現した言葉が問題になったのですが、大統領顧問がその表現を使った報道官を擁護する中で出てきた言葉です。
空から撮影した写真では「オバマ大統領のときよりも“少なかった”」のが明らかであるにもかかわらず、報道官は「オバマ大統領に集まった群衆よりも“多かった”」と称賛していました。そのことに対して、ある記者から批判された際に出てきた言葉です。「もう一つの事実」とは、考えようによっては言い得て妙ですが、誰が考えても「虚偽」であるのは間違いありません。
このように視覚で比較できたり数字の比較などでわかりやすい場合はいいですが、視覚や数字のような比較ができない場合は「もう一つの事実」もあり得るのかもしれません。僕がその可能性を考えるようになったきっかけは兵庫県斎藤元彦知事のパワハラ事件から県知事選への一連の出来事でした。最近はマスコミで見ることも少なくなりましたが、一時期は斎藤知事のパワハラぶりが大きく報じられ、まるで悪の権化であるかのように思われていました。
しかし、県知事選の途中から風向きが変わり、ネットの効果的な使い方を熟知しているN党の立花孝志氏が斎藤氏を擁護・応援するようになってからは一気に斎藤氏を支持する流れが強くなりました。結局、斎藤氏が勝利したわけですが、その後に逆風となる新たな展開がありました。斎藤氏をサポートしていたPR会社の投稿が発端でした。
これも不思議なのですが、PR会社の女性社長がわざわざ選挙をサポートした内容をネット上に暴露したのです。このときに出てきたのが「キラキラ女子」という言葉ですが、承認欲求が強すぎるあまりに打った悪手です。これで斎藤知事を支持する流れが変わるかと思いきや、今度は斎藤知事のパワハラを追求する百条委員会の委員の問題が出てきました。つまり、「追及する側に問題があった」という展開です。
このあたりからもう少し深く解説した記事が増えたように思います。それらを解説を読んでいきますと、つまるところは現在の斎藤知事と前知事である井戸敏三氏との争いと考えることもできます。もちろん井戸氏は退任しているわけですから直接の「斎藤 vs 井戸」ではなく、「斎藤知事 vs 井戸一派」ということになります。井戸一派とは井戸氏に優遇されていた職員たちです。
そのような解説を読んでいますと、斎藤知事のパワハラも井戸一派の策略と考えられなくもありません。部外者である僕からしますと、そうした解説のほうが全体的に腑に落ちるとは思っています。ですが、現時点では、どちらが真実かどうかはまだ決まっていません。
斎藤知事が行ったとされるパワハラのような振る舞いも、あったことは斎藤氏も認めています。ですが、それがパワハラに該当するか否かは、斎藤氏側から見るか井戸一派側から見るかによって答えが違ってきます。「見方」によっては正反対の答えになってしまうことも当然あり得ます。
斎藤知事からしてみますと、多くの職員から批判されるパワハラ行為も、「見方」によっては、ほかの職員には「味方」となることもありそうです。なんともむずかしい。
じゃ、また。