<商売の基本>

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先日、経済サイトでセゾングループの創業者・堤清二氏について書いている記事を読みました。ちょうど、僕が学生時代から新社会人となった時期と重なりますので、感慨深いものがありました。堤氏は西武王国を築いた堤康次郎氏の息子ではあるのですが、本妻の子ではなかったため、苦渋を味わったそうです。本妻の子は堤義明氏で、本業(鉄道・国土計画等)を継いでいます。清二氏は当時は三流の百貨店だった池袋のお店を継ぐことになったそうです。

そのような苦難の状況から一代でセゾングループを築いたのですから、その経営手腕は素晴らしいものがあります。僕が就職活動をしていた頃、西武百貨店に入社できるのは、早慶卒くらいのレベルが必要だったように記憶しています。それくらい百貨店として人気がありました。

堤清二氏のすごいところは、西武百貨店またはセゾンというグループを大きくしたことですが、それと同時に、自分で自分のやってきたことを破壊というか、否定しようとしていたことです。僕は定期的にショッピングモールに行きますが、どこのショッピングモールに行っても必ずあるのが「ユニクロ」や「GU」で、それらに負けずに頑張っているのが「無印良品」です。しかし、僕は、その「無印良品」に対して少しばかり違和感を持っています。

「無印良品」が出てきたとき、僕は「おお、“僕の好み”に合うものが出てきた」とうれしく思ったのを憶えています。その「無印良品」を生んだのは堤清二氏です。そこには堤氏の「ブランドに対するアンチテーゼ」の思想がありました。当時(今でもですが)、世の中でブランドがもてはやされていたことに対する反発心です。「ブランド」と言いますと「高級感」を感じさせますが、堤氏は「もっとシンプル」で生活に寄り添った商品を考えていました。

「名前や飾りで価値をつけるのではなく、モノそのものの価値で勝負する」という発想が僕の感性にピッタリはまったのです。これは僕が商品を見るときの原点なのですが、価格と品質の整合性です。僕は新卒でスーパーに入社し、「靴下」を担当していたのですが、当時、海外のブランドのロゴがついた靴下が日本製の靴下の2倍くらいの価格でした。僕は両方を購入し、履き比べたことがあるのですが、「持ち」は日本製のほうがダントツによかったのです。洗濯をする回数が増えるにしたがって、海外ブランドの靴下のほうが、履き口のところが早く伸び伸びになっていました。

そうした経験がありましたので、僕は単なる「ブランド信仰」には強く反発する気持ちがありました。ですので、僕は「無印良品」の考えにとても好感を持ったのですが、僕が好感したからといって売上げが上がる、成功するとは限りません。「無印良品」とは言うなれば、セゾンの「プライベートブランド(以下:PB)」です。今、いろいろな分野で「PB」がありますが、その走りです。

先ほど書きましたように、僕が好感したからといって成功するわけではありません。反対に、僕が「“いい”と思った」ものは失敗するほうが圧倒的に多いのです。ですので、その後「無印良品」は業績不振に陥るのですが、いろいろな紆余曲折があり、現在は好調をキープしています。そして、今僕が思うのは、「ブランド」を否定することを目的として誕生したのに、結局「無印良品」というブランドを確立したことで業績を回復させ、好調を維持していることです。これ、面白くないですか。

僕が“いい”と思うのは、「シンプル」で「基本」に忠実なところです。ですので、そうしたことを唱える経営者を見かけるとうれしくなります。そんな僕の理念に合致する経営方針を掲げて社長に就任したのが、伊勢丹の大西洋氏でした。2009年に社長に就任した方です。「伊勢丹新宿本店メンズ館」を成功させたことで頭角を現し、社長にまで上りつめたのですが、そのときにメディアのインタビューではしきりに「百貨店の基本に忠実に」と訴えていました。

ですが、悲しいことに三越との統合後、突然退任します。僕の個人的見解としては、「権力闘争により追い落とされた」と感じていますが、業績が悪かったのは確かでしたので、仕方ない面もあるかもしれません。ここで僕が言いたいのは、「基本に忠実」であっても、それだけで業績が上がるわけではないことです。僕は、それが悲しいのです。

もっと古い時代、伊勢丹には山中鏆氏という「ファッションの伊勢丹」の礎を築いた方がいました。この方は伊勢丹の創業者一族との経営観の違いから伊勢丹を離れるのですが、その山中氏を三顧の礼で迎えたのが銀座松屋でした。山中氏が重要視していたのが、僕が好きな「百貨店としての基本」でした。

山中氏は「山中塾」という勉強会を開き、若い社員たちに百貨店員としての基本姿勢を教えていました。売場を見る力、お客様を見る力、商品を編集する力などを伝えていたようです。現在、百貨店の苦境が報じられる中、松屋は今でも立派に続いています。山中氏はこのあと東武百貨店にも三顧の礼で迎えられるのですが、東武百貨店では、創業者の孫にあたる公一氏に経営を引き継ぐための指導者としての役割も果たしたようです。東武百貨店も現在、地域最大規模店として営業を続けています。

西武関連で「基本」と言って思い出すのは、和田繁明氏という方です。和田氏は堤氏の側近と言われていたのですが、途中で本流からはずれ、「レストラン西武」という傍流に左遷されます。この「左遷」という表現が正しいのかは判断が分かれるのですが、とにかく本体から離れました。

ですが、「レストラン西武」を立派に再建したあと、西武百貨店の経営が行き詰まると、堤氏は和田氏を西武百貨店の社長に呼び戻しています。この人事が「左遷」という表現の判断が分かれる理由なのですが、とにかく西武百貨店の改革を和田氏に託したのでした。百貨店の社長に戻ったあと、和田氏が口酸っぱく訴えていたのが、やはり「百貨店員としての基本」を身につけることでした。僕が忘れもしないのは、和田氏が「百貨店の社員にもかかわらず、包装ができない社員がいること」を憂い、「包装の大会を開いた」という記事でした。こうした方法で若い社員たちに百貨店の基本を植え付けようとしていました。

このようにして、和田氏は百貨店の基本を重視しながら経営を行っていたのですが、時代の流れには逆らえず、「そごう百貨店」と統合し「ミレニアムリテイリング」を作り、それでもうまくいかず、「セブン&アイ・ホールディングス」の傘下に入ります。いくら基本をやろうとも、時代の流れには逆らえないのですね。それを思わせる一連の流れでした。しかし、和田氏の潔いところは、「セブン&アイ・ホールディングス」に入ったあと、数年で退任していることです。

「潔い」で言いますと、堤清二氏ほど潔い経営者はいないのではないでしょうか。堤氏が作ったセゾングループは最終的には業績悪化で消滅するのですが、その際に私財を供出しているのです。たぶん百億円くらいだったと思います。これほど潔い経営者がいるでしょうか。僕が尊敬する経営者で一番に挙げるのは、この堤清二氏なのです。

コピーライターという職業が出てきたのも80年前後ですが、コピーライターが有名になったのは、このコラムでも幾度か取り上げていますが、糸井重里氏が作った西武百貨店の「おいしい生活」というキャッチコピーです。その糸井氏が「僕らを面白がってくれた堤さんがいたからできた」と話しているのを読んだことがあります。

堤氏は東大出身なのですが、実は東大時代に共産党に入っていました。さらに、驚くことに読売新聞のドンと言われていた渡邉恒雄氏や元日本テレビ会長・氏家齊一郎氏たちと仲間だったことです。共産党に入っていて、社会人になって経営者になるって、これ、面白くないですか。

柔らかくて、硬かった堤清二氏でした。

じゃ、また。




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