<終戦76年>

pressココロ上




僕は、毎年今の時期になりますとコラムで戦争に関する記事を書いています。僕は平凡なおじさん(段々とオジイさんになっていますが)ですが、戦争に対してはかなり敏感な感性を持っていますので、ついつい書きたくなってしまいます。

僕のコラムをずっと読んでくださっている人はご存じでしょうが、今の時期、僕は明石家さんまさんが主演をした「さとうきび畑の唄」という反戦ドラマを取り上げています。「ざわわ ざわわ」というあの主題歌のドラマです。

ごく普通に暮らしている男性が否応なく戦争に取り込まれている様をこれほどうまく描いたドラマはありません。戦争は人間を非情にし、非道にし、悪魔にし、人間を人間でなくしてしまいます。その一番の理由は、人間でなくなった悪魔たちが権力を握る 社会になるからです。そうした事態にならないように、ごく普通で平凡な僕たちは政治に社会に関心を持ち続けることが大切です。

“しつこい”と思われるかもしれませんが、ドラマの最後に主人公・さんまさんが発する言葉を書きます。上官から「大けがをしているアメリカ兵を殺せ」と命令された際にでた心の叫びです。

「私は人を殺すために生まれてきたんじゃないんですよ!こんな事をするために生まれてきたんじゃないんですよー!」

非情になり悪魔になった人間ではない人間が権力を握った社会では、普通の人は生きていくことができません。特別に能力が高いわけではない、ごくごく平凡な人が普通に生きていける社会が人間の社会です。人を殺すことが社会貢献になる社会は、人間が生きる社会ではありません。そうした社会にしないために私たちは常に社会に関心を持っていなければいけません。

そうした観点から、最近僕が多くの人に関心を持ってほしいと思っているのが、名古屋出入国在留管理局の施設で亡くなったスリランカ人女性の問題です。僕はテレビやラジオなどでこの事例について見聞きしましたが、現場の職員の人たちの言動はごく普通の人間が行う所業とは思えない内容でした。

最終調査報告書では「人権意識を欠いている」と結論づけていますが、管理局職員のあまりの悪行ぶりに驚かされます。人間としての感覚が麻痺しているとしか言いようがありません。同僚の方などほかの職員の方々はなんとも感じなかったのでしょうか。それも納得できないことの一つです。

僕はこの報道を見て、戦争時の社会を想像しました。戦争時は戦争に勝利することが第一義で、それに反するような言動はすべて否定されていました。上官から人殺しを命令されることが普通の時代でした。そうした空気に染まっていますと、次第に感覚が麻痺していっても当然かもしれません。

感覚が麻痺ということで関連しますと、障がい者施設における虐待事件もときたま報道されます。それらの事件はすべて施設職員の暴力が原因ですが、普通の感覚では絶対できないような暴力行為を行っています。そうした行為に至ってしまうのは、やはり感覚が麻痺しているからと想像します。

感覚が麻痺する背景には、そうした暴力行為をすることでしか入居者の方々を管理できないという実情もあるようです。管理する人数が足りないなどの理由でついつい安易な管理方法になっていくのです。当然ですが、どんな理由があろうとも虐待はあってはいけないことです。感覚が麻痺する理由にはなりません。人権意識のない管理は管理ではなく、ただの悪行です。

同じような問題のニュースとして生活保護に関するものもあります。生活困窮に陥った人がお役所に生活保護を申請しても、いろいろと難癖をつけて受け付けてもらえず、最終的には追い返される事例です。コロナ関連でもそうしたことがありましたが、田村厚生労働大臣が「生活保護は国民の権利です」と国会で答弁していました。

数日前もメンタリストのDaigoさんが、生活保護を申請する人についてのツイートが炎上していましたが、その炎上に対しても厚生労働省はすぐさま「生活保護申請は国民の権利」と反応していました。しかし、大切なことはお題目で終わるのではなく実際に行われることです。

出入国管理局と障がい者施設、そして生活保護申請について事例を書きましたが、これらに共通するのは、強い立場にいる人間の傲慢さです。これら傲慢な人間は、戦争時の非情で、非道で、悪魔になった人間と同じです。僕たち普通の人間は、そうした傲慢な人間が権力を握っている組織の存在を許してはいけないのです。

苦しさの中で亡くなったスリランカの女性や暴力で支配されている障がい者の方々、そして生活がままならず生活保護を申請する弱者の方々について無関心であってはいけないのです。その無関心が戦争という悲惨な状況を作り出していきます。

ですが、疑問がないこともありません。成人してからずっと悩んでいることですが、戦争反対であっても、他国から攻められたとき戦うしか方法がないことです。一応我が国は専守防衛をうたっていますが、政党の中には「戦争反対」ばかりを唱えていて、現実感が乏しい政党もあります。

古い話で申し訳ありませんが、かつて「55年体制」という日本の政治状況がありました。与党・自民党と野党・社会党という政治状況を映した言葉ですが、戦争放棄を掲げていた社会党は現実感が欠けており結局は消滅してしまいました。戦争反対というとき、他国から攻められたときの対応についても考えておくことが必要です。

若い皆さん、そこまで考えて日本の将来を普通の人が生きていける社会にしてほしいと思っています。平和な社会はなにもしないで築けるのではありません。それぞれが社会に対して強い関心を持ち、政治に参加して初めて得られるものです。選挙では必ず投票しましょう。

じゃ、また。




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