<やりすぎ>

pressココロ上




サッカーワールドカップが花盛りですが、どこのチャンネルを回してもワールドカップ特集をしているので、正直、辟易しています。「辟易」なんて言葉を使ってしまいますと、熱烈なサッカーファンからはブーイングを浴びそうですが、やりすぎのように思っています。情報番組がサッカーワールドカップを特集するのは許せますが、ニュース番組が政治や経済を差し置いて、スポーツ情報の時間を増やしてワールドカップを伝えるのはやりすぎです。

さすがに、NHKのニュース番組ではそのようなことはしていませんが、民間のニュース番組では政治や経済に割り当てる時間が明らかに減っています。僕はそれが不満です。民間ですので、スポンサーの意向もあるのでしょうが、それを差し引いてもやりすぎだと思っています。本当にスポンサーは、そこまでサッカーワールドカップ情報を伝えることを求めているのでしょうか。

「やりすぎ」で言いますと、テレビが伝える「ストーリー」も気になります。「ストーリー」とは、例えばある注目選手の幼少時代から現代までを「物語」のようにして報じる手法です。代表選手の今に至るまでの背景を視聴者に見せることで感動を与えようとしています。「物語」ですから「ストーリー」です。「ストーリー」は読者の感動を誘います。というか、誘おうとします。こうした手法が僕は好きではありません。

「ストーリー」を伝えるにあたって、よく出てくるのが恩師です。今回のサッカーワールドカップでも、日本代表選手の子ども時代のコーチや監督など、恩師と言われる人が番組に出演して当時の話をしています。ですが、子ども時代の恩師の話が必要でしょうか。だいたいが「ほかの子どもとは違っていた」という内容ですが、それと現時点での実力に関係があるのか甚だ疑問です。

子どもの頃、秀でていた選手が全員、日本代表になれるわけではありません。子ども時代から中学、高校と進むにつれて、優れた選手たちの中で揉まれ、勝ち残った選手だけが日本代表に選ばれます。つまり、日本代表になる選手は、おそらく何十万人という少年サッカー選手の中から競争に勝ち残った選手ということになります。子ども時代の実力など、ほとんど関係ありません。

僕が小学校5年生の頃、クラスの友人にK君というサッカー大好き少年がいました。K君はアパートに住んでいたのですが、そのアパートの住人に、サッカーが好きでスキルも高い35歳くらいの男性(当時の僕からしますとオジサンに見えましたので、以下:オジサン)がいました。K君はそのオジサンからサッカーを教えてもらっていました。ですので、K君はとてもサッカーがうまかったのです。僕もたまに一緒にサッカーをやったりしていて、そのときに初めて「オフサイド」というルールを知りました。

当時は世の中的にどんなことにも鷹揚な時代でしたので、学校関係者でないそのオジサンが学校のグランドで子どもたちを集めてサッカーをすることもありました。そうしたある日、K君が「オジサンがほかの学校のチームと試合をしないかと言っている」と話しかけてきました。いつも遊んでいる僕たちで一応11人は揃っていましたので、試合に行くことになりました。

今考えると、すごいことですよね。学校とまったく関係のない中年のオジサンが、小学校の子どもたち11人を連れて対外試合をするのですから。どうやって行ったのかまったく覚えていませんが、とにかく相手の学校に行きますと、立派なグランドでたくさんのサッカー少年が集まっていました。

僕は「オジサン」と勝手に命名しましたが、そうしたきちんとしたチームと試合ができる、ということは、そのオジサンがその学校の監督なり責任者なり、偉い人と知り合いであることが推測できます。そうでないと、ただの寄せ集めであるオジサン率いるチームと試合などするはずもありません。結局、僕たちは3試合したのですが、勝敗の記憶はありません。どうして3試合もしたかと言いますと、相手が1軍~6軍まで6つのチームがあったからです。

そのオジサンの記憶はそれしかないのですが、K君は中学に行っても一人でサッカーを続けていました。ちなみに、僕はバスケットボール部に入部しました。中学に入るとK君と遊ぶこともほとんどありませんでしたが、卒業する頃、たまたまK君と話す機会がありました。K君は「僕、帝京高校に行くんだ」とうれしそうに話していたのを覚えています。今もサッカー強豪校ですが、当時からすでにサッカーの名門でした。

高校生活も半年を過ぎた頃、学校の帰りに駅で偶然K君と会いました。中学を卒業してからまだ半年でしたが、ちょっと雰囲気が変わっていたのを感じました。あれほど望んでいた帝京のサッカー部ですから、僕はK君に「クラブの調子、どう?」と尋ねました。すると、K君はちょっと俯き加減に「やめたんだ…」と答えました。簡単に言うと、「厳しすぎる」ことに尽きるように思います。

確かに、K君は僕たちの周りではうまかったのですが、「うまい人」が集まった中では「普通の人」だったのです。こうしたことはサッカーに限りません。あらゆるスポーツに当てはまりますし、スポーツに限らず、あらゆる分野に当てはまります。「昔神童、今凡人」とは、昔から言われてきた箴言です。

先日、ビジネス関連の記事を読んでいたところ、今の若者が「仕事と私生活の境界線が明確」であることに戸惑っている上司の思いが書いてありました。例えば、「就業時間より少し早めに来て、準備をする」ことや、「休憩時間に同僚と一緒に時間を過ごして、親睦を図る」ことを拒む若者の姿です。上司としては、就業時間外でも仕事につながることなら実践するのがビジネスマンの姿勢と思っているのでしょうが、今の若い人には通じないようです。

最初に断っておきますが、僕は昭和の人間ですので、就業時間より前に来て準備をするのは当然と思っています。理由は、簡単です。試合に臨む前にウォーミングアップをするのは当然だからです。いきなり「巨人の星」で恐縮ですが(笑)、飛雄馬は練習時間に関係なく努力を続けていました。花形満だってそうです。レギュラーのポジションを投げ打ってまで大リーグボール1号のための特訓をしていました。左門豊作だって、小さな兄弟のために自分のすべての時間を費やしていました。

飛雄馬にしろ花形にしろ左門にしろ、時間など気にしていたら実力など上がるはずがないのです。あの日本の宝である大谷翔平選手にしても同様です。メジャーリーグで日本人がホームラン王を獲得するなど、いったい誰が想像したでしょう。それを成し遂げたのは、大谷選手の時間を惜しまぬ努力の賜物です。もし、練習時間の期限や制限を決めていたなら、絶対に今の大谷選手は生まれなかったでしょう。

サッカー日本代表の選手たちも同じはずです。ほかの人が休んでいるときに必死に努力をし、勉強をし、食事をし、生活を送る。これを実践できた人だけが日本代表になれるのです。それなのに、「就業時間内でない」という理由で準備をしなかったり、コミュニケーションをとる時間を惜しんだりしていては、実力が上がるはずがありません。

実力がない選手が集まったチームが試合に勝つことはできません。ですので、選手たちは試合前から入念な準備をし、チーム仲間とコミュニケーションをとろうとしているのです。今の若いみなさん。試合に勝つためには、就業時間に関係なく努力をすることが重要なんですよ!

え?…、仕事は試合ではない。

こりゃ、またしっつれいしました。

やりすぎました。

じゃ、また。




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