<ユニクロ考>

pressココロ上




もう10年くらい前のことですが、僕は配送の仕事をしていました。配送の仕事にもいろいろありますが、一般に知られているのは宅配です。しかし、僕が当時従事していたのはカフェチェーン店にケーキを配送する仕事でした。午前中に届ける契約になっているようで倉庫出発の時間もかなり早く、早朝5時前にはケーキ類を積み込み終え出発するスケジュールになっていました。

配送のルートは最初から決められており、そのルートに従い順番も決められていました。そのルートの中盤あたりに差し掛かりますと、午前7時前後ですが、若者が集まることで有名な繁華街の店舗に行くスケジュールになっていました。しかし、僕は毎回そこで10分~20分ほど待機しなければいけませんでした。理由は、お店の人がまだ誰も出勤していなかったからです。

待機している間、僕はやることがありませんのでやはり周りを見渡すことになります。世の常ですが、繁華街の早朝は前夜に遊びまわった若者たちが帰宅の途につく時間です。遅くまで遊びまわった若い人たちがあちらこちらにたむろしていたり、数人が話ながら駅に向かってフラフラ歩いている姿はよく見かける光景でした。

そんな中、向かいのビルの1階店舗の照明が点いているのに目が留まりました。早朝からお客様のいない店内の照明が点いていますとやはり目立ちます。看板に目をやりますと「UNIQLO」と書いてありました。当時すでに大企業になっていたユニクロでしたので、「こんな早朝から働いているのか」と感心とともに驚いた記憶があります。ですので、僕的には「ユニクロ」と聞きますと「厳しい会社」というイメージがあります。

営業時間内ですと、ショッピングウィンドウとガラス越しに見ることができる店内も、すべてカーテンで隠されており、詳細に店内を見ることはできません。ですが、ところどころカーテンが短い箇所や隙間から中をのぞき見することは可能でした。30歳前後の女性が忙しそうに動き回っていました。

これも十数年前だと思いますが、移動販売の仕事をしているときにユニクロに勤めていた青年と知り合いになりました。このときの出会いについては当時のコラムに書きましたが、お昼時に公園でたまたま近くで食べていたのがきっかけです。「お店では落ち着かなくて、外でお昼ご飯を食べている」と話していました。真面目そうな青年でしたが、非正規社員という立場の辛さや厳しさなどを教えてくれました。「もうすぐ正社員になれるかも」とあまりうれしそうでもない表情で話していたのが印象的でした。

そのような経験をしていましたので、開店時間よりもかなり早い早朝から働いている女性の姿も、正直なところそれほど驚きでもありませんでした。僕の推測では、朝早くから働いているのですから「店長」もしくはその職位に準じる肩書の方でしょう。ユニクロという企業の仕事に対する厳しさがヒシヒシと伝わってくる光景でした。

しかし、ユニクロはれっきとした大企業です。それにもかかわらずまるで中小企業のような働き方を従業員に求めている、もしくは強いている企業風土にはやはり違和感を持たずにはいられません。一般的に小売業は産業界全体の位置づけでは下位の部類に入りますが、それでも一部上場の小売業・百貨店などの企業の待遇は一味も二味も違っています。

今から40年以上前のことですが、僕は学生時代に大手百貨店でアルバイトをしていました。その百貨店の社員の人たちは早慶出身者が中心でしたが、それだけで企業の格がほかの小売業・流通業とは違っているのが感じられます。その百貨店では、当時すでに週休二日制は導入されていましたし、有給休暇の取得も問題なく普通に行われていました。それほど従業員の待遇・福利厚生が充実していました。

ですので、その大手百貨店では早朝から出勤し働くなどあり得ない職場環境です。そもそも労働組合が強いのでそのような働き方はあり得ません。そうした状況と比較しますと、早朝から女性が働いている企業風土のユニクロは「まだまだ大企業にあらず」と思ってしまいます。

思い起こせばユニクロがブレイクしたのは今から30年以上前の「フリース発売」です。このときのフィーバーぶりは忘れもしません。街中のどこを見ても誰を見てもフリースがあふれていました。お正月に妹夫婦が遊びに来たとき、「ユニクロに寄ってきた」とたくさんのフリースをみんなに見せていたのを覚えています。

そうして成長していったユニクロですが、停滞期を迎えます。いわゆる「ユニバレ」という言葉が象徴するように「ユニクロ」を着ていることが「恥ずかしいこと」と思われる雰囲気になっていった時期があります。「安い」というイメージがそうさせたのですが、この停滞期を乗り越えてからのユニクロはさらにすさまじい成長をしています。

僕がユニクロで一番強く記憶に刻まれているのは社長交代時の一連の出来事です。実質的な創業者である柳井さんは第一次成長期を終えたあと、副社長の玉塚元一さんに社長の座を譲ります。しかし、玉塚さんの経営手法に納得できず、数年で解任し自らが復帰しました。柳井さんの弁によりますと「成長のスピードが遅すぎたから」とのことですが、「表舞台に出たくなったのは」とうがった見方をする声もありました。

しかし、現状を見ていますと柳井さんが復帰してからのスピードはやはり素晴らしいものがありました。たまにマスコミが「しまむら」と比較する記事を書くことがありますが、こうした記事はユニクロに失礼です。売上げでは全く比較にならないからです。それほど現在のユニクロは世界的な企業になっています。

そのユニクロについて、先日のニュースで「半年間の売上高が過去最高を更新した」と報じられていました。そうした晴れがましいニュースに接しても、僕はどうしても従業員の待遇・環境に思いを馳せてしまいます。横田増生さんというジャーナリストがいるのですが、この方が「ユニクロ潜入一年 」という本を6年ほど前に出しています。横田さんという方は劣悪な職場を体験して世に知らしめることをポリシーとしているようで、かつてはアマゾンなどの職場もリポートしています。

かつてその横田さんがユニクロの会見時に会長である柳井さんに直接「職場環境の劣悪さ」ついて質問したことがあります。しかし、柳井さんは横田さんという人物像についてすでに知っていたようで軽くいなしながらきっぱりと否定していました。そうした柳井さんを見ていますと、実際の労働者の状況が悪いのかいいのかわからなくなる、というのが現在の正直な気持ちです。しかしそれでも、弱者の味方を信条としている僕としては、ユニクロがいくら好業績を出そうとも、「従業員の待遇・境遇の厳しさ」のほうにどうしても意識が行ってしまいます。

ユニクロが新入社員の「初任給を5万円引き上げる」ことが話題になり、政府も巻き込んだ、社会的に今注目されている「産業界の賃上げ」を牽引しているように報じられています。ですが、やはり僕的にはどこまで信頼してよいのか判断に迷うところです。成長している企業に対しては、やはり妬みの要素もありますのでネガティブな報道が出ることを理解しているだけにユニクロの正当性に迷う部分があります。

ユニクロが本当の意味で社会的に貢献している企業かはわかりませんが、ごく普通の人がごく普通に働いてそれなりの報酬を得られる企業になってくれることを願っています。間違っても、上位のエリートだけが好待遇・好境遇を受けられるような企業にはならないことを願っております。もし、悪代官ならぬ従業員を使い捨てにするような悪企業になったなら、そのときは「ユニ黒」と呼ぶことにします。

じゃ、また。




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