<答え>

pressココロ上




アフガニスタンの復興に尽力を注いでいた中村哲さんという方がお亡くなりになりました。ニュースで報じられていましたが、報道を見る限り日本よりも世界でのほうが扱いが大きいように思います。

僕が初めて中村さんのことを知ったのは筑紫哲也さんのニュース23を見ていたときでした。「善意の塊のような人」と思った記憶があります。マスコミで伝えられるのはたまにですので、その後についてはあまり知りませんでしたが、地道にずっと続けていたことになります。著名人の中にはマスコミで取り上げられるときだけ活動する人がいますが、継続していたことに尊敬の念しかありません。

中村さんは「武力では平和が築けない」という考えの方のようでしたが、このような結果になってしまいますと、僕などのような平凡な人間からしますと疑問を感じてしまいます。だからと言って武力で紛争が解決するとも思えません。

…答えはどこにあるのでしょう。

入試などテストでは必ず正解というものがあります。正解がなければ結果を出すことができないからです。スポーツの答えも結果で表すことができます。ルールに基づいて勝敗が決まりますので選手たちは必死に努力をします。もし、勝敗を決める根拠となる答えがなかったなら、人は努力をしないでしょう。答えは人間が努力をするための目的もしくはゴールのようなものです。

その答えが出ないまま時間だけが過ぎていっている世界があります。こういう状態を有耶無耶(ウヤムヤ)と言いますが、それがまかり通っています。本来は最も「答え」が求められるはずの世界ですが、現実は違っています。

「モリカケ問題」を覚えているでしょうか。正しくは「森友学園と家計学園の問題」ですが、端的に説明しますと「これらの学校が設立される経緯に安倍総理が便宜を図ったという疑惑」です。この問題を追及している中で「官僚の忖度」などという言葉も生まれ、官僚を批判する意見なども噴出しました。

あれからもう2年以上過ぎていますが、答えが出ないまま時間が過ぎています。僕はこうした状況が不満で仕方ありませんが、人によっては「答えは出ている」と主張する人もいるかもしれません。そう主張する人たちの「答え」は今年7月に行われた参議院選挙です。安倍首相が総裁を務める自民党が勝利したのですから「答え」は出たことになっています。

しかし、選挙の答えは投票の結果であり、「モリカケ問題」の答えではありません。世の中はそのことを忘れているように感じます。もし「モリカケ問題」の答えが出ていたなら選挙の答えも違っていた可能性もあります。政治家にとっては疑惑の答えを出さないことが生き延びるコツなのかもしれません。

現在の安倍内閣では辞任した閣僚がすでに2人いますが、どちらも疑惑の真相を語らないまま姿をくらましています。答えを出すことを拒否しています。おそらくその理由は答えを出さないでいると、いつの間にか有耶無耶になると思っているからです。

安倍首相の「桜を見る会」も有耶無耶になりそうです。「桜を見る会」が問題視されてから2週間以上経ちますが、当初ここまで問題が大きくなるとは首相近辺は思っていなかったのではないでしょうか。野党は今が政権にダメージを与える好機と思っているようで、いつにも増して結束している印象を受けます。

ジャーナリストの中には「こんなことよりも日米協定など重要な問題があるのに…」と野党の姿勢を批判している人もいますが、日本政治の根幹に関わる問題です。政治が国民の目の届かないシステムになろうとしています。

最近、政治と言いますか、官僚の姿勢で目に余るのは「不都合な事実を隠蔽する」ことに躊躇感がないことです。後ろめたさがなくなったと言ってもいいでしょうが、「たがが外れてしまった」感があります。官僚の矜持というものを捨てたように思えてなりません。

かつての官僚は良し悪しは別にして、日本を正しい方向に動かしているのは自分たちという自負がありました。だからこそ、新任大臣にレクチャーもしていたのです。ところが、今は官邸に慮ってばかりいるように映ります。その転換点は官僚の人事を官邸が握ったことに尽きます。人事を握られて官僚は角を抜かれました。

政治家・安倍晋三が総理大臣になってからの最も大きな功績は、実はこれかもしれません。官僚政治からの脱却です。ロッキード事件で失脚した田中元首相は「官僚遣いの名手」と言われていました。「いかにして官僚を動かすか」が政治家の力量でした。裏返していうなら、官僚を動かせない政治家は無能という評価になります。ときたまあまりに無能すぎて、官僚に動かされる政治家もいます。

民主党が政権を取ったとき、全く成果を上げられなかったのは官僚との接し方を間違えたからです。これはまさに官僚の力が強かった証となります。小泉進次郎氏のお父様が首相だったとき、外務大臣に就任した田中真紀子氏は官僚に相手にされず、結局なにもできないまま辞任するしか道はありませんでした。当時の外務省の事務次官は「差し違える」とまで表現していたほどです。外交の素人がプロ(官僚)と違った政策を取りそうになることを拒絶したのです。かつての官僚は政治に対する使命感を持っていました。「継続は力なり」、官僚の好む言葉です。

それが今の官僚はどうでしょう。この体たらく…。

政治家が「名簿がない」と答えればそれに合わせるように破棄するのです。官僚の矜持はどこに行ってしまったのでしょう。「桜を見る会」の名簿だけではありません。「森友学園」のときも同じような対応をしています。官僚は政治家の奉仕者ではなく国民の奉仕者です。それを忘れています。

「大臣と刺し違える」覚悟で行政を担っていた官僚の矜持はどこに行ってしまったのでしょう。今の状況を見ていますと、このまま答えが出ないままずるずると時間だけが過ぎ、結局有耶無耶に終わりそうな雰囲気がします。政権は時間が経つのをただじっと待っていれば国民は次の関心に移ると考えているように思えてなりません。

野党から追及された時点で「名簿があったのか、なかったのか」は答えがでないまま終わらせてはいけません。答えがない政治は、腐敗を生みます。そもそも答えがない状態では、国民は判断のしようがありません。

田中元首相がロッキード事件裁判で有罪になった際、決め手の一つになったのは「ハチの一刺し」発言でした。田中首相の運転手の妻が検察側の証人として田中元首相に不利になる証言をしたのですが、当時、マスコミで大々的に報じられました。

「桜を見る会」の名簿について、あまりに嘘があからさまな発言をする政治家に一刺しをする官僚はいないのでしょうか…。アリでもいいんですけど…。

じゃ、また。







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする