<問題の根本は無関心>
このコラムで幾度か書いていますが、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ氏は「愛の反対は憎しみではなく無関心である」と語っています。「知らない人に冷たくする」のも同様です。その根底には「知らない人に無関心」があるように思います。その証拠に、お母ちゃんをはじめ妻も「知っている人」にはほかの人以上に優しく接っています。
「脱サラをする前に」というサイトのコラムです
このコラムで幾度か書いていますが、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ氏は「愛の反対は憎しみではなく無関心である」と語っています。「知らない人に冷たくする」のも同様です。その根底には「知らない人に無関心」があるように思います。その証拠に、お母ちゃんをはじめ妻も「知っている人」にはほかの人以上に優しく接っています。
アップした理由を無理やりに考えるなら、「世間から批判されるとは思っていなかった」に尽きますが、もしそうであったならその時点で加害者の4人は感性がおかしくなっていることになり、教員失格です。そのような人が教員をやっていたのですから、子供たちの世界で「いじめ」がなくなるはずはありません。
しかし、実際の会見で政府に異議を唱えるような質問をする記者は一人もいません。以前、東京新聞の社会部の望月衣塑子記者が「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事をめぐる質問」をしましたが、そのときに会見場で中央に陣取っていたほかの記者の振る舞いが今の新聞記者の姿勢を象徴しているように感じました。
同居したときの我が家は狭い家でしたので、お風呂の脱衣所もありません。脱衣所の代わりをしていたのは狭い廊下です。妻はそこを脱衣所として使っていました。20才を過ぎたばかりの若い女の子が赤の他人の家族と一緒に暮らすのは本当に大変だったはずです。お母ちゃんはそれをわかっていました。