<出会いガチャ>

pressココロ上




先週のニュースで僕の琴線に最も触れた言葉は、スポーツニュースの中で報じられた新庄監督の言葉でした。わざわざ説明するまでもないでしょうが、プロ野球・日本ハムの新監督に就任した新庄剛志氏です。新庄監督は2軍にいる清宮選手についてこう話していました。

「本人に『もう少し痩せない?』と伝えた」

清宮選手についてもご存じでしょうが、4年前にドラフト1位で入団した清宮幸太郎選手のことです。高校時代からスラッガーとして活躍しており、ドラフトでは7球団が競合したそうですから、いかに注目が高かったかがわかります。その清宮選手はプロに入ってからは、あまり活躍できないでいました。今年は1軍出場がゼロと残念な結果で終わっていました。

その清宮選手を新庄監督は「ぽちゃっとしている」と評し、減量指令を出したそうです。僕は2軍にいるにもかかわらず「ぽちゃっとしている」と表現されたことに驚いたのですが、伸び悩んでいる理由はそこにあるように思えました。

かなり昔の話で申し訳ありませんが、小学校時代に「巨人の星」を読んでいたときに印象に残っている話があります。「巨人の星」は星飛雄馬という架空の人物が主人公なのですが、ときたま実際の選手を描くことがありました。その中で、盗塁王として活躍していた柴田勲選手を取り上げていました。

その頃の巨人は、安倍元首相ではありませんが、プロ野球界で一強として頂点に君臨していました。その中でレギュラーを獲得するのは並大抵のことではありません。ですが、柴田選手は厳しい競争を勝ち抜き、「センター1番」の地位を固めていました。また、日本初のスイッチヒッターとしても活躍していました。スイッチヒッターとは左右両方で打つことです。

今期、ピッチャーと打者という二刀流でメジャーリーグを席捲した大谷翔平選手ですが、当初は「二刀流に挑戦すること自体が無謀」とまで言われていました。高卒で日本のプロ野球に入るときにも同じように批判されていましたが、実績を残し見事跳ね返しています。そして同じことをメジャーリーグでもやってのけているのですが、見事というしか言葉はありません。どんなことでもそうですが、最初に挑戦する人は批判されるのが普通です。柴田選手も同様で、スイッチヒッターに挑戦した当初は散々な評価でしたが、次第にスイッチヒッターを認知させることに成功しました。

僕が思い出したのは、その柴田選手が2軍時代を思い起こすエピソードだったのですが、柴田選手は「2軍にいる期間が長くなるほど、ただ練習をすることが目的になる」と語っていました。2軍であろうとも、プロの世界に入るほどの選手の集まりですから、当然のごとくアマチュア時代にかなりの成績を残している人ばかりです。

入団した当初は、誰もが自らに厳しい練習を課して一軍で活躍することを目指しています。しかし、2軍生活が長くなってしまいますと、少しずつ上昇志向が薄まってしまい、「ただ練習することが目的」となってしまうそうです。柴田選手は、あるきっかけがあり、その泥沼発想から抜け出せたそうのですが、意外にもそうした発想から抜け出せず球界から離れていく人は多いそうです。

僕は新庄監督が清宮選手の体形について「ぽちゃっとしている」と評した発言を聴いたときに、柴田選手のエピソードを思い出しました。清宮選手は「痩せると飛距離が落ちそう」と心配しているとのことですが、2軍で練習している選手が“ぽちゃっと”した体形でいるのは、やはりいただけません。新庄監督の発言は、暗に「まだまだ、練習が、考え方が甘いんだよ」と清宮選手を叱責しているように感じました。

今年の日本シリーズはオリックスとヤクルトの対戦に決まりましたが、ともに昨年最下位だったことが注目を集めています。オリックスの大躍進の理由の一つに吉田正尚選手の存在があります。実は、最近といいますかかなり前から僕はプロ野球をスポーツニュースでしか見ていません。ですが、この吉田選手については注目していました。それは、現在日本で押しも押されぬ名スラッガーとなっているソフトバンクホークスの柳田悠岐選手が吉田選手を称賛していたからです。

言うまでもなく柳田選手は素晴らしい体格の持ち主ですが、その柳田選手が吉田選手を理想的な体格と評していました。いかに優れた肉体の持ち主かわかろうというものです。柳田選手が吉田選手を称賛したのは、シーズンがはじまる前に合同で練習をしていたからです。身長的にはそれほど大きいほうではない吉田選手があれだけの本塁打を量産できるのは、あの鍛え抜かれた肉体があるからで、その身体つきは清宮選手とはかけ離れた肉体になっていると思われます。

吉田選手と柳田選手はチームが違いますが、目標とする先輩と一緒に練習することで自らを高めようとする姿勢が吉田選手が現在の好成績を残せている理由のように思います。清宮選手も練習の段階からもっと世界を広げ、殻を破って練習に取り組んでほしいと願っています。

オリックスが大躍進を果たしたあと一つの要因は、今年4番の座に定着した杉本裕太郎選手の飛躍があります。「飛躍」という言葉を使うには年齢がいっている気がしないでもありませんが、今年は昨年までとは比べものにならないほどの活躍しているのは誰の目にもあきらかです。いわゆる“遅咲き”ですが、テレビのインタビューで「なにかを掴んだ」ようなことを話していました。僕的には「オリックス・杉本裕太郎を覚醒させた“一軍300打席”という栄養分」https://news.yahoo.co.jp/articles/87da2b748d12753cf57c28b4738856b20b4b8164?page=1という記事が正鵠を射ているように思います。

この記事に書いてありますが、杉本選手が覚醒した一番の要因は中嶋聡氏が2軍の監督に就任したことと、そして、昨年途中から中島氏が1軍監督に昇格したことです。2軍でくすぶっていた杉本選手を「一緒に1軍に行くぞ」と連れて行ったことが現在の杉本選手の大活躍の起点になっています。歴史に「もし」「たら」は意味がないといいますが、もし杉本選手の元へ中島氏が監督として就任していなかったなら、現在の杉本選手の活躍はなかったでしょう。

思い起こせばオリックスには先例があります。イチロー選手です。イチロー選手はデビュー当時は“振り子打法”で世に出てきました。そして、その“振り子打法”を否定しなかったのが仰木彬監督でした。当時の監督・コーチの方々は選手を自分の思い通りの選手にする指導方法が一般的でした。ですから、中には指導方法が合わずに実力を出せずに球界を去った選手もいました。ですが、仰木監督は選手の自主性・個性を育てる指導方法を取っていたのです。仰木監督なくしてイチロー選手は出現しなかったでしょう。

仰木監督といいますと、日本人のメジャーリーグへの先鞭をつけた野茂英雄選手も忘れてはいけない選手です。野茂選手は日本の野球界でも大活躍しましたが、独特な投球ホームはときには物議を醸すこともありました。その野茂投手の自主性を重んじた仰木監督だったからこその「野茂選手の大成」と言っても過言ではありません。その証拠に、仰木監督の後任の監督は投手としては球史に残るほどの実績を残していた方でしたが、「実績を残していた」からこそかもしれませんが、自分のやり方を選手に押しつける育成方法でした。

結局、野茂投手はその監督と合わずにメジャーリーグに渡るのですが、メジャーリーグでの大活躍はご存じのとおりです。これまで紹介してきましたように、野球選手は自分に合う指導者と出会えるかどうかで、選手生命の命運が決まることは多々あります。そして、これはおそらく普通の人の人生にも当てはまるように思います。

皆さんにいい出会いがあることを願いつつ、

じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする