先日、ダイエー創業者の中内功氏が他界しました。私のHPををご覧になった方はご存知かと思 いますが、私が社会人の第一歩を踏み出したのはスーパーでした。そのときの新人研修で人事課 長が話していた言葉が思い出されます。
当時、ダイエーは破竹の勢いで成長しており他のスーパーはみな 「ダイエーに追いつき追い越 せ」 を合言葉としていました。私の入社したスーパーも例外ではなく講師の話もダイエーを引き合 いに出すことが多い内容でした。その研修の中で人事課長は新入社員に話しました。
「皆さん、ダイエーの「D」の文字がまっすぐに立っているのではなく少し左に斜めに傾いているのが何 故かわかりますか? それはダイエーはまだ発展途上の会社でありこれをまっすぐにするようにさ らに努力しなければならない、という意味を込めているからです」
まだ学生気分が抜けきれない私にはとても印象に残っている言葉でした。あれから約半世紀が 過ぎダイエーはまっすぐになることなく倒れてしまいました。企業30年説という言葉がありますが企 業が生き延びていくことの難しさを実感させられます。
ダイエーは倒れてしまいましたが、中内氏はあれだけの企業グループを作り上げたのですから中 内氏に桁はずれた才能と努力があったことは疑う余地はないと思います。しかしそうした才能があ りながらも最後は敗者という烙印を捺されてしまうのですから市場主義というものは厳しいもので す。
私が入社したスーパーは80年後半にダイエーに吸収合併されています。バブル全盛期に株の 買占めにあい、買い占めた企業がダイエーに譲った結果でした。当時は株を買い占めることにより 株価を上げ企業に買い戻させて暴利を得る方法が頻繁に行われていました。週刊誌などではそう した企業をAIDS(エイズ)などと呼び取り上げていたものです。因みにAIDSとはA→麻布自動車 I →イトマン D→第一不動産 S→秀和 という企業です。こうした企業が株の買い占めで名前を馳 せていたのです。現在もライブドアなどで企業の買収が騒がれていますが当時とは少し趣が違うか な、という感じです。
私の住んでいる近所にはダイエーがあります。私はそこで新入社員時に働いていた先輩と偶然 再会しました。その方はダイエーに合併されたあとも働き続け店長にまで上りつめていました。合 併された側の人間が店長にまでなるのは並大抵のことではないはずです。その方の我慢と努力に は頭が下がります。しかし今年はじめにその店舗に行ったときは店長も替わっており新聞では店舗 の閉鎖も報道されていますのでちょっと心配しています。年令的職位的にいってリストラの対象にな りやすい層ですから…。今、どうしているのでしょう。
中内氏について考えるとき私は息子さんたちについても考えます。たぶん後継者として帝王学を 学び、また慶応大学ではマーケティングで有名な村田教授のゼミにも入っていたそうです。中内氏 とは違った近代的な経営法や知識を学んでいたはずですが、その息子さんたちをもってしても 「D」 をまっすぐにできなかったのか? と思ってしまうのです。
企業を経営することは凡人には想像できないほどの難しさがあるのでしょう。だからこそ最後まで 成功者であり続ける方はほんの一握りです。それ以外の方々は皆無念の思いでビジネス界という 戦場から立ち去っています。
十数年前、不動産関連のベンチャーにマルコーという企業がありました。創業者である金沢氏は 若手企業家としてメディアに登場していましたが、そのときの表情は自信がみなぎり才気が満ち溢 れて見えました。しかしバブル崩壊後、敗者となった金沢氏はマスコミから消えメディアに出ることも なくなりました。数年後、当時を振り返るという雑誌の記事に金沢氏が載ったのですが、そのときの なにかを悟ったような穏やかな表情が印象に残っています。自信にみなぎった表情も悪くありませ んが、全てを失ったあとの穏やかな表情も決して悪いものではありませんでした。今をときめく三木 谷氏や堀江氏などのような起業家も10年後は必ずやってきます。そのときこうした現在成功してい る方々はどんな表情をしているのでしょう。
ダイエーの再建が始まっていますが、斜めに傾いている 「D」 をまっすぐにするよりも倒れてしま った 「D」 を起こすことのほうがより困難であるのは間違いありません。新しい経営陣の奮戦に期 待したいものです。しかし倒れたDを起こすよりさらにもっと困難なことがあります。それはなにもな いところに 「D」 と書き記すことです。中内氏の業績が消えることはありません。