<感覚>

pressココロ上




 早いもので今回が今年最後の「私のココロ」となります。今年もいろいろなことがありましたが、毎年この時期は1年の締めくくりとなる行事があります。恒例といってもよいのですが、それは「年賀状を作成するときに生じる妻との諍い」です。この諍いの理由は至極単純で、要するに妻と僕の「短気な性格」にあります。お互いに相手にイラつき我慢ができなくなってしまうのです。
 年賀状を作るときは、デザインが重要です。デザインで年賀状の出来不出来が決まると言っても過言ではありません。結婚当初は、そのデザインを決める段階で揉めていました。デザインに対する僕の感覚と妻の感覚が違うからです。夫婦と言えども元は他人ですから二人の感覚が違っても当然です。ですから、お互いの感覚が対立し衝突していました。
 しかし、年月を重ねるうちに、ある年僕は悟りました。無用の衝突を繰り返すより自分が一歩下がって妻に全面的に任せたほうが夫婦円満になる、と。それ以来、デザインに対する感覚で衝突を起こすことはなくなりました。
 では、なぜ今でも諍いが恒例なのか?
 それは、年賀状を作る過程にあります。僕たちは年賀状をパソコンで作っていますが、その際はイラストをダウンロードしたりパソコンにインストールされているソフトを利用したりします。妻はそうしたパソコン操作が苦手なのです。そこで、僕が手取り足取り教えるわけですが、そのときに諍いが勃発します。
 自分で言うのもなんですが、温和で優しい僕は丁寧に懇切に教えています。ですが、妻にはそう感じられないようで「言い方がキツイ!」とか「面倒くさそうな口ぶり!」だとか「もったいぶってる!」だとか「嫌みったらしい!」などなど…。ほかにもたくさん反抗言葉はありますが、このへんで止めておきます。
 とにかく妻は僕の教え方が気に食わないらしく僕の一言一言に食ってかかりますので、勢い僕も言い返すことになります。「生意気言ってんじゃないよ」「ふざけるな」。
注:僕の台詞ですので、言葉の最後に「!」はつけませんでした。
 毎年、このようにスッタモンダして年賀状は作成されていますが、大元の原因は二人の感覚が違うことにあります。ひとりひとり違う感覚をお互いが理解するのはとても難しいものです。
 先週の東京12チャンネル「ガイヤの夜明け」では、ヤマト運輸創業者である小倉昌男氏が設立したスワンベーカリーという焼きたてパンチェーンを取り上げていました。このチェーンが一般のチェーンと違うのは主に働いている方が障がい者であることです。
 話は少し逸れます。僕は今「障がい者」と書きましたが、一般的には「障害者」と書きます。しかし、以前なにかで「障害者」と表示するときの「害」という文字に対して障がい者の方が抗議をしている文章を読みましたので「がい」とひらがなにしました。言われてみれば当然のことで、「害」は不適切なように思います。こうしたことも当人と他者の感覚の違いから生じるものでしょう。因みに、新聞などでも最近は「がい」とひらがなで表示していることが多いようです。
 話を戻します。小倉氏は障がい者の方々が平均並みの賃金を得られるビジネスモデルを作るべくスワンベーカリーを設立しました。それまで障がい者の方が働く作業所の給与は月額1万円程度だったそうです。以前、僕は本コーナーで小倉氏著作の「福祉革命」という本を紹介したことがありますが、小倉氏は障がい者の仕事に対して並々ならぬ関心を抱いていました。が、しかし、残念ながらこのチェーンは全店赤字のようでした。番組ではその中の1店を紹介していましたが、僕はそのお店の運営方法に疑問を持ちました。
 ちょっと細かいことですが、幾つか書きたいと思います。そのお店は障がい者の方が働いていることを“ウリ”にしているようでしたが、人員配置に問題を感じました。お客様と直接接するレジを障がい者の方が担当していましたが、これはお客様の感覚を読み間違えています。お客様というのは一時は同情心で優しさを発揮しますが、長続きはしないものです。やはりレジという重要なポジションは健常者が担当したほうがお客様の満足感は得られるように思います。
 番組では、売り場だけでなくパンを作る厨房内も映し出していました。そのときに気になる場面がありました。パンの作り方を健常者の方が障がい者の方に指示していたのですが、障がい者の方ですので一度で覚えることができず同じミスを繰り返しているようでした。健常者の方はその場面で障がい者の方を苛立った口調で注意をしていたのですが、その注意のやり方が僕には不満でした。健常者の方は苛立った口調で注意をするのではなく作業方法を工夫することを考えるべきです。障がい者の方が行う作業だということを前提にして、もしくは覚える必要がなくても仕事を完璧にこなせるように工夫することが健常者の方の役目です。こうした勘違いも健常者の方が障がい者の方の感覚を読み間違えていることから起こることです。
 こうした例からわかるように、自分以外の人の感覚を察することはとても難しいものです。
 その難しい感覚を見事に察した出来事が先週ありました。鳩山首相の緊急記者会見です。誰の感覚を察したかと言えば、一般国民の感覚です。それまでマスコミで報道されていた政治資金問題ですが、秘書が在宅起訴されてすぐに記者会見を行いました。この素早い対応は、首相への批判を一時的なものにする効果があるでしょう。
 僕は、鳩山首相本人かブレーンかわかりませんが、「すぐに対応したなら治まる程度の批判である」という国民感情を察した感覚に感心しました。仮にこの感覚を「察覚」と呼びましょう。この察覚はとても重要で、これを間違えるなら政権が倒れても不思議ではないように思います。たぶん、多くの国民が鳩山首相の政治資金問題に対して「親からもらっただけだから許せる範囲」と感じていたのではないでしょうか。その意味で、いい意味でも悪い意味でも鳩山首相の察覚のすばらしさは今後も活かされていくように思います。
 それにせっかく政権交代したのですから、もう少し頑張ってもらいですよね。もし、今後鳩山首相が退陣することがあるならそれは「察覚」が「錯覚」に変わったときです。
 ところで…。
 今年一番の大きな出来事と言えば、やはり政権交代でしょう。92年の細川政権のときと違い、本当の意味での政権交代といえるからです。今後、鳩山政権がどのように政権を運営していくかわかりませんが、僕の願いとしては、セレブやお金持ちの人たちが幸せを感じる世の中ではなく、ごく普通の人、昔ふうに言うなら平民の人たちが幸せを感じる世の中を目指してほしいと思います。平民を助ける政治家が真の意味での政治家です。でも、こういう理想的な政治家には1つだけ欠点がありそうです。「平民」を「助ける」人なので「助平」なんですね。たぶん…。
 じゃ、また。
 最後に感謝の言葉。
 今年1年間お読みくださいましてありがとうございます。特に、ブックマークに登録してお読みくださいました読者の皆さん、僕は心の底から感激しております。来年もよろしくお願いいたします。皆さんの来年が幸せな年になりますように…。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする