<先生の言葉>

pressココロ上




 木村剛氏という名前を覚えていらっしゃるでしょうか。小泉政権時代に竹中平蔵氏の右腕として活躍した経済評論家です。経済評論家と言いましても、確かファンド関連のコンサルタントだったと記憶していますが、90年代の「失われた10年」から立ち直るべく竹中氏が様々な改革を断行していた中、改革を補佐する立場にいました。
 竹中氏の基本的な考え方は「実力のない企業は市場から退場すべし」というものでしたが、木村氏もその考えに賛同しており竹中氏に請われて右腕となった経緯があります。改革ですから、当然反発する勢力も強く、それらの反対勢力を押しのけながら改革を進めていました。竹中氏同様、木村氏に対する風当たりも相当強くいろいろな人が様々な媒体で批判していました。
 大臣退任後、竹中氏が「木村氏を登用した理由」を経済誌で語っていました。「失われた10年」時代、政府の経済運営を批判していた評論家はたくさんいました。また、そうすることで「評論家としての価値」を上げてもいました。ですから、基本的には竹中氏の考えを支持する立場でしたが、実際に改革を実行する任を負うことに対してはほとんどの評論家が尻込みしたそうです。そうした中、木村氏だけがその任を引き受ける覚悟を示したそうです。世の中には、口先ばかりで行動が伴わない人が多いですが、逃げることなく責任を負う立場を引き受けた木村氏は評価に値するものだったように思います。
 その木村氏が、先週、自らも創業に関わった日本振興銀行の会長の座を解任された報道がありました。かつて、政府の中枢にいて業績の悪い企業を徹底的に批判していましたから、この報道を見て溜飲を下げた経営者も多いのではないでしょうか。
 日本振興銀行およびその経営に携わる木村氏については週刊誌でたびたび批判されていました。その真偽はともかく業績が悪かったのは事実のようですから、解任も致し方ないように思います。かつて「実力のない企業は市場から退場すべき」と主張していたのですから、同様に「実力のない社長は経営から退場すべき」とも言えるはずです。だからと言って、竹中氏の右腕として活躍した当時の業績が否定されるものではありません。
 木村氏は小泉政権退陣後、経営者に転進しました。経営者とは、業績という結果で能力を評価される職業です。だからこそ、今回解任という苦渋を飲まされたわけです。対照的に竹中氏は教授という職業に転進しました。正確には「復帰」ですが、教授という職業は経営者に比べ評価が為されにくい職業です。また、どんな意見を主張しようが責任を負わなくても済む職業でもあります。この二人を比べてみますと、竹中氏のほうがそれまでの業績を汚さずに済む立場であることは間違いありません。つまり、安全地帯にいることになります。
 僕は竹中氏の考えに賛成の人間ですし、人柄についても好感を持っていますが、竹中氏が大学教授に転進したのには納得できない感情があります。政権にいた当時「経済界を建て直すために市場競争を強く促していた」のですから、政権を離れたあとは市場競争が機能している業界に転進すべきではなかったでしょうか。自らは安全地帯に転進したことは、それまでの主張を覆すことでもあるように思います。最近でこそ、大学教授の世界にも市場競争の波が押し寄せているようですが、経営者の世界の比ではありません。
 大学の教授に限らず、小中高の教師といった「教える」という職業は評価が為されにくい世界です。経営者のように業績が数字で表されることがないからですが、それだけに教師に相応しい人間であるかの判断はとても微妙です。
 教師は生徒たちから「先生」と呼ばれることからもわかるように、生徒に対して強い影響力を持っています。ですから、教師の一言で人生が変わる子供たちもいます。先生の「なにげない一言」で自信を持ったり、反対に傷ついたりするものです。しかし、そのことに気がついていない、もしくはそうした感性を持ち合わせていない先生もいるのが実状です。
 僕は中学生の頃、2年3年とS先生が担任でした。僕はどちらかというと成績はともかく全体的には「まぁ、良識的な生徒」の部類に入っていたと思います。そして、自分では2年時も3年時も学校での生活態度は「変わってはいない」つもりでいました。
 ところが、3年になるとS先生は僕に対して「2年生のときのように積極的になれ」とことあるごとに話していました。つまり、3年になって僕が勉強や運動に消極的になったと先生には映ったようでした。
 先日、お袋に会ったとき、お袋が僕の中学時代の通信簿を持ってきました。お袋の話では、押入れを整理していたら「たまたま見つけた」とのことでした。母親というのは子供が幾つになっても子供にしか思えないようで、50才を越えている息子に通信簿を持ってきたのでした。さすがに、昔のように怒られはしませんでしたが…。
 通信簿は3年時のものでしたが、中を開けてみますと、全体的に中程度の評価で、保健体育だけが「5」でした。自分的には満足のいく成績ですが、その中に書かれていた「論評」が気になりました。そこには「もっと積極的に…」といった内容が書かれてありました。僕の記憶通りの論評が書かれていたわけです。
 僕は中学3年生のとき、S先生に「2年生のときと変わった」と言われるのが嫌でたまりませんでした。僕としては「前と変わったつもりも、変えたつもりもない」のに、S先生は「変わった」と言うのです。結局、「僕が変わったのか、変わってはいない」のか真実はわからないまま卒業しましたが、真相は現在に至るまで解明されていません。
 僕に対するS先生の言葉は僕を傷つけるほどのものではありませんでしたが、それでも僕の心に印象を残すものでした。例えば、もし、ほかの人が同じような言葉を僕に投げかけていたとしてもこれほど印象には残らなかったでしょう。それほど、先生という立場の人が発する言葉は重いものがあります。
 昨年ベストセラーとなった「筆談ホステス」という本があります。話すことに障がいがある女性が銀座でホステスの仕事をしているお話です。この本には高校時代の辛い思い出として、ある先生から「傷つける言葉を投げかけられた話」が書いてあります。このように、先生から「言葉で傷つけられた」話はこれまでにいろいろな人の本でなんども読んだ経験があります。このことは、それだけ「先生に相応しくない人」が先生という職業に就いているケースが多いことを表しています。僕は、こういう話に遭遇するたびに憤りを感じてしまいます。なぜ、そういう人物が先生になっているのか…。
 市場競争の機能が働きにくい先生という世界では、「実力がない人でも先生でいられる」環境にあります。そうした状況は生徒や学生にとって不幸極まりないことです。市場競争とまでは言わなくとも、「先生に相応しくない人」が先生になることを回避するシステムが取り入れられることが必要です。
 人間に完全な人はいません。自分が気がつかない間に他人を傷つけていることは誰しもあります。だからこそ、教職という影響力の強い立場にいる先生たちは「自分の発する言葉」と慎重に、謙虚に向かい合ってほしいのです。いつも、生徒を勇気づける言葉を発することを心がけてほしい…。
 ところで…。
 政治家も先生と呼ばれますが、その先生の言葉も本来は重いものでなくてはならないはずです。しかし、最近の鳩山首相の発言はあまりに軽くなっています。当初、鳩山首相は普天間基地問題の決着期限を5月末と話していましたが、5月に入ると先送りする発言が飛び出してきていました。仕舞いには「5月末決着」発言を「党の約束」ではなく「個人的発言」などとも言っていました。
 ここ数日の発言では、実質はともかく形式上だけでも「5月末に決着した」という結論に導こうとしています。数週間前、僕は鳩山首相が普天間基地問題の決着に「職を賭す」という言葉を使ったことで、「辞職」を考えているのではないか、と書きました。しかし、簡単に「先送りを示唆したり」、「責任逃れ」発言をしている姿を目にしますと、辞職どころか覚悟さえ持っていないようです。
 先生の言葉は重く、ときには聞く人を傷つけることもあることは先に書いたとおりです。先生と呼ばれる立場にいる人はそのことを肝に銘じてほしいものです。先生の言葉があまりに軽いと、軽すぎて飛んで行ってしまうでしょう。参議院選挙は惨敗だろうなぁ…。
 じゃ、また。




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