<今年もいろいろありました>

pressココロ上




 来週は大晦日ですので、今週を最後のコラムとさせていただきます。毎年言っていることですが、本当に「1年はアッという間」です。特に、今年は3月に東日本大震災がありましたので例年よりその感が強いように思います。その大震災の復興が一向に進まないのはやはり政府の責任が大です。先日のニュース映像では、まだ瓦礫が山のように積まれていましたから、復興の第一歩さえ始まっていないことがわかります。野田政権の早急な対応を心から望みます。
 3月のコラムでも書きましたが、震災のあった日は僕の店の廃業日でもありました。そして、これは蛇足ですが、僕たち夫婦の結婚記念日でもありました。たぶん、これから死ぬまで3月11日は忘れられない日になるでしょう。
 実は、お店を止めたあと僕は移動販売を始めました。簡単に言いますと、リヤカーで野菜を販売する仕事です。その移動販売について、正月休みを利用してテキストを書くつもりですので、興味のある方は楽しみにしていて待っていてください。現在はその仕事から離れていますが、移動販売も傍から見ているのとは全く違っていました。乞うご期待…。
 さて、今年最後のコラムですが、テーマをなににしようか迷いましたが、やはり最後は野田政権について書くことにしました。なにしろ政治は僕たち市井で暮らしている庶民にとっては基盤、土台になることですから。
 先週、ようやっと「八ッ場ダム」の対応が決まりました。それまでの二転三転を見ていますと、民主党の本質が凝縮しているように思います。
 「八ッ場ダム」問題が迷走していたとき、ニュース番組で鳩山元総理がインタビューを受けている映像が流れました。僕は不快感を持ちました。なぜ、今頃鳩山氏が登場するのか。これはメディア側にも責任があると思いますが、鳩山氏は政権運営がうまくできず、責任をとって退任した政治家です。しかも、一時は「議員を辞職する」とまでマイクの前で語った政治家です。その鳩山氏がノコノコとカメラの前に出てきて「八ッ場ダム」について発言する鈍感さが信じられません。もちろん、メディアに対しても同様です。
 自民党が政権を担っていた頃、総理大臣を辞めた政治家が表に出てくることはありませんでした。引退後も影響力を保持していた政治家はいましたが、それでも表に出ないことが不文律となっていました。それに対して民主党の節操のなさ、人材不足が際立って見えます。
 そういえば、思い出します。民主党が政権をとった日。いつもお店に買いに来る60才前後のおじさんがしみじみと言っていました。
「結局、試しに一度やらせてみよう、ということだよなぁ」
 僕も同感でしたが、「試し」にしてはあまりに影響が大きかったように思います。
 僕のようなひねくれ性格の持ち主からしますと、今回の前原氏の政調会長として「政権に反発する態度」、そしてそれを説得する政府の態度、これらは「デキレース」の印象を持ってしまいます。普天間基地問題も同様ですが、マニフェストを放棄する政策変更は民主党政権を否定することにつながります。それほど重要な政策変更を軽々と行えるはずがありません。ですから、これほどの大芝居を打つ必要があったように思います。またそうしなければ、八ッ場ダム問題を前に進めることはできかったのでしょう。僕と同じような感想を持った人は多いと思います。
 それでも「八ッ場ダム」問題は落としどころが見つかりましたからよかったですが、普天間基地問題は「落としどころ」どころか、「落とす」ことさえ決まりそうもありません。今さら言うのも情けないですが、マニフェストに「最低でも県外」などという文言を入れたのが間違いの元でした。
 民主党の人たちは政権がとれた理由を沖縄基地問題や八ッ場ダム問題、そして農業戸別所得補償制度などを「マニフェストに掲げたから」と思っているかもしれません。つまり、民主党は政権をとるために「大衆受けをする政策を掲げることが必要」と考えていた節があります。しかし、その考えはあまりに安易です。
 僕の商売をしていた皮膚感覚、または生活していた体感では、そのようなマニフェストが功を奏したとは思えません。先ほど紹介したおじさんの呟きが象徴しているように「試しに」という気持ちが選挙民にあったに過ぎないと思います。言うなれば、敵失です。それを思い違いしていたのが、現在民主党政権が迷走している大きな理由です。
 結局、民主党が掲げたマニフェストは全てが達成できない結果になりそうですが、その中でも最も罪が重いと僕が思うのは沖縄基地問題です。僕は自民党の味方をするつもりは毛頭ありませんが、自民党時代にコツコツと少しずつ進めた普天間基地問題解決の糸口を台無しにした責任はとても重いものがあります。95年に起きた少女暴行事件を契機に始まった沖縄県民の怒り、そして米国との交渉の過程を少しでも理解していたなら、「最低でも県外」などという考えが出てくるはずがありません。僕のような素人でもわかることがなぜわからないのでしょう。
 もし、官僚が民主党に少しでも関わっていたなら「最低でも県外」などという考えが絶対に現実的でないことをレクチャーしていたでしょう。いったい、民主党は「県外」をどこに想定してこのマニフェストを考えたのでしょう。文中で「僕は野菜を販売していた」と書きましたが、福島県の桃などはほとんど売れませんでした。理由は単純です。不安だからです。公的機関が安全証明を出していても不安感を拭い去ることはできませんでした。そこには被害地を救済しようなどという優しい気持ちはありませんでした。結局、人の優しさは短期間しか続かないのが実状です。そんな人間の持つ気質を理解していたなら間違っても「最低でも県外」などという発想はなかったでしょう。民主党はあまりに世間を知らな過ぎでした。
 民主党は政権を担う前、官僚政治の打破も訴えていました。実際、政権をとってから官僚を政策決定から遠ざけるシステムなども行いましたが、それも元に戻ってしまいました。結局、民主党がやったことは官僚の力を借りることなしに政治は前に進まないことの証明でした。つまり、政治家の能力の低さを顕にしたことになります。そういえば、八ッ場ダムの決着をした今の大臣は官僚出身の方です。情けない気分にさせられます。
 先日、来年度予算案も発表されましたが、またまた大借金をしての編成です。いったい政治家の方々は日本の将来をどのようにするつもりなのでしょう。予算に関する記事を読んでいましたら、懐かしい文字が目に留まりました。「財政投融資」です。
 なん度も言いますが、僕は自民党の支持者でもありませんし、小泉元首相の親類でもありませんが、財政投融資という言葉を聞きますと、小泉元首相の功績を思わずにはいられません。
 ちょっと古い話になりますが、小泉氏が郵政民営化を訴えたのは、国家財政とつながっていました。財政投融資は第二の予算とも呼ばれていますが、かつてはその原資は郵便貯金や簡保、年金の積立金でした。しかし、融資を受けた特殊法人などからきちんと返済されない状態が続いていました。こんなまやかしがまかり通っていたのが小泉氏が首相に就任する前の財投利用の実態でした。現在はどうなっているか、と言いますと、簡保や年金の積立金から資金を融通することはできなくなっており、特殊法人自らが債券を発行して資金を調達する方法に改められています。
 この文章を読んだだけで連想した方もいるでしょうが、この改革は「天下り」を防止する効果もありました。ですから、これをやるだけでも官僚の抵抗はすごいものがあったのです。それをやり遂げたのですから、小泉氏の功績がおわかりになると思います。それに比べ、民主党政権の情けなさよ…、です。
 誰からも支持され、かつ評価される政策などありません。それでも国益を第一に考える政策を実行できる政治家が来年こそは現われることを願って今年のコラムを終わりたいと思います。
 1年間、ありがとうございました。皆さん、よいお年をお迎えください。
 ところで…。
 皆さんに、大事なことを言うのを忘れていました。
 メリークリスマス!!
 じゃ、また来年。




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