<心の隙と油断>

pressココロ上




 残念ながらワールドカップでの日本は未勝利のままですが、決勝トーナメント進出の可能性はまだ0ではありません。選手はもちろんサポーターの人たちもあきらめているはずはないと思いますが、僕も奇跡を信じて応援を続けたいと思います。
 日本は戦績は芳しくありませんが、サポーターの行いが世界から賞賛されています。それは、試合後にゴミを片付けてから試合場を後にしていることです。しかも負けた試合であるにも関わらずゴミを片付けていることが評価をさらに高めているようです。
 今回、この行為が賞賛されていますが、実はこうしたサポーターの行いは日本がワールドカップに出場するようになってからずっと行われているとのことで誠に日本人としてうれしい限りです。
 このように真面目で謙虚で実直なところが国民性となっている日本人ですが、政治家に関してはあてはまらないようです。それを証明するかのような発言がニュースで報道されました。石原環境大臣の「最後は金目でしょ」発言と都議会での「おまえが早く結婚すればいい」「産めないのか」ヤジです。
 石原環境大臣は議員になりたての頃は強面なイメージの父親とは反対に純真で清廉なイメージがありました。僕の記憶では、政策新人類という名称で呼ばれていた若い政治家のひとりとして颯爽と政界に現れたイメージがあります。
 そんなイメージがあった石原大臣が震災被害者を蔑視するような発言をしたことが驚きでした。確かに、現実的にはお金で解決するしか方法はありませんが、それを口にするのは政治家として失格です。日本には、または日本語にはものごとを直截的に表現するのではなく婉曲的なものの言い方があります。欧米諸国からは「Yes,No」をごまかしていると批判されることもありますが、こうした表現は日本独特の柔らかい伝え方といってもいいものです。なんでもかんでも欧米諸国が正しいとはいえないはずです。その証拠に欧米諸国が解決を目指している中近東での紛争はいつまで経っても解決できないでいます。
 話は少しそれますが、米国はイラク問題を解決するためにかつて敵であったイランと協調するかのような報道がありました。このような報道を見ていますと、力で紛争を解決するやり方の限界を感じてしまいます。大げさに言うなら、民主主義や資本主義を根本的に考え直さなければいけない時期にきているようにさえ思います。
 話を戻しますと、石原大臣は「言ってはいけないこと」を口走ってしまいましたが、
もしかしたら「機嫌が悪かった」とか「忙しさのあまり」の発言なのかもしれません。ですが、政治家という公人はそれらも含めて自分自身をコントロールすることが求められています。
 僕は政治家になったことがありませんので憶測ですが、政治家のところにはいろいろな依頼事が持ち込まれてくるはずです。本来の国会議員の仕事は国の進むべき道を考えることでしょうが、実際には市井で暮らす人々が自分自身の生活改善をお願いする先になっていると想像できます。
 よく聞く話ですが、選挙のときに選挙事務所には食事も含めた意味で休憩に来る人がたくさんいるそうです。そうした人たちに対してもきちんと世話をすることが政治家になるために必要なようで、こういうところに理想と現実のギャップがあります。
 たぶん、政治家を長い間務めていると一般人のそうした振る舞いが「普通のこと」として捉えられ、そしていつしか「見下す」感覚になっていくのではないでしょうか。そんな気がします。日本の将来について考えるよりは目の前の食事の心配をするのが人間というものです。そういう人間を相手にしなければいけないのが政治家です。
 ローマ人の物語で有名な作家の塩野七生氏は「人間は経済が安定して初めて政治について考える」と語っていますが、至極明言です。食べることができてこそ生きていけるのですから、経済の安定なしに政治もなにもあったものではありません。
 しかし、そうした一般の人の要望ばかりに接していますと、感覚が鈍くなるのもわからないではありません。要望を言うほうと聞かされるほうではその負担やストレスは段違いです。それでも弱者の気持ちに心の底から寄り添うことができる人だけが政治家になる資格があります。その意味でいいますと、石原氏は政治家としての資格に疑問符がつく発言でした。長い政治家生活で心に隙や油断が生まれたのかもしれません。
 心の油断という意味でいいますと、都議会での女性議員の発言中の自民党議員と思われるヤジは政治家としての「慣れ」が発せさせたものだと思います。たぶん、普段の生活の場ではあのような発言はしていないのではないでしょうか。もし、普段の生活でもしているのでしたら、政治家うんぬんというよりもひとりの人間としての資質に問題があることになります。
 議会というところは本来は神聖な場でなければいけませんが、議員に慣れてしまうと退屈な場でもあります。ほかの議員の発言をただ聞いていることしかできない場ですから、仕方のない部分もあります。国会で居眠りをしている議員がテレビで映されることがありますが、やることがないのですから気持ちは理解できなくもありません。
 それでも最低限のマナーはわきまえていなければいけないのが議員です。いくら「勝手知ったる都議会」の場であってもくつろぎすぎるのは見苦しいものがあります。今、「勝手知ったる」と表現しましたが、ヤジの犯人は間違いなく議員として中堅からベテランの部類に入る人です。新人の議員さんはそんな余裕はないはずです。
 ヤジの主は今後の犯人探しの展開に気を揉んでいるでしょうが、せっかくですので「最後まで追及してほしい」とヤジ馬的な気持ちが起きている僕です。
 スポーツの世界では隙と油断がなくても負けることがあります。それに比べれば政治家は選挙を除けば普通の政治活動においては勝ち負けはありません。ですから、ついつい心に隙と油断が生じやすくなります。政治家の皆さん、そうした精神状態にならないように緊張感を持ち続けて政治家として活動してくださることを願っています。
 じゃ、また。




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