<モチベーション>

pressココロ上




 寒がりの僕はお盆が過ぎますと一気に「夏も終わり」の気分になります。僕からしますと、8月15日を過ぎますと空気がガラッと変わって感じられ、肌に当たる風が冷たく感じられます。8月15日過ぎの蝉の鳴き声は秋を伝える合図です。こんな僕ですから家族のみんなとは感覚が違います。みんなが暑いと感じるときに僕だけ寒いと感じることは珍しいことではありません。毎年のことですが、妻が「暑い!」とクーラーをつけるとき、僕は長袖のシャツ、ひどいときはそのうえにジャージまで着ています。それほど感覚が違います。妻は怒りますが、体質ですから困ってしまいます。
 そんな日々を日本で過ごしている僕に、地球の裏側のリオから連日日本勢の活躍が伝えられてきます。それにしてもすごい大活躍で日本人としてとてもうれしい気持ちになるのは僕だけではないでしょう。
 実は、オリンピックが始まるまではそれほど関心も強くはありませんでした。しかし、連日メダルラッシュが続きますと自然と関心度も高まります。詳しくは確かめていませんが、たぶん各局の視聴率も高いように想像します。世の中から注目される最も効果的な方法は「結果を出すこと」であることを教えてくれています。
 苦しい練習の乗り越えての頂点は見ているほうも感動せずにはいられません。スポーツ大好き人間の僕はそうした傾向が特に強いのですが、特に感動したのは女子レスリングの試合でした。理由は、それまでの劣勢を試合終了間際の最後の最後にひっくり返しての大逆転で獲得した金メダルが続いたからです。これは人間の本能のような気がしますが、「負けている側が逆転する」という試合展開は人間の心の琴線に触れるように思います。
 結局、女子レスリングは6階級中、4個の金メダルと1個の銀メダルというこのうえない結果を残しましたが、金メダルに劣らない感動を与えてくれたのが銀メダルの吉田沙保里選手でした。吉田選手の涙には多くの人が感動したでしょうが、吉田選手の涙はスポーツの意義が結果だけではないことを教えてくれています。スポーツは必死にやっている姿にこそ意義があり、感動を呼びます。
 今、甲子園では高校球児が戦っていますが、技術のレベルでいいますと大学や都市対抗やプロ野球には敵いません。しかし、やはり感動を呼びます。そこに一生懸命に野球に打ち込む姿があるからです。一生懸命打ち込む姿に勝る尊い姿はありません。
 スポーツにしろ勉強にしろ最終的には才能という枠に縛られます。こればかりは個人の努力ではどうすることもできません。アスリートがどんなに「努力」とか「あきらめない心」と訴えたところで普通の人が一流のアスリートに勝利することはできません。勉強も然りです。しかし、才能がないからと言って一生懸命やらない姿は誰の心も動かしません。大切なのは一生懸命やる姿です。
 吉田選手の涙はそれを教えてくれています。金メダルには届きませんでしたが、一生懸命に練習し戦っている姿は誰の心にも届いたはずです。誰の目も憚ることなくお母さまの胸で泣く光景には純粋さがありました。感動を呼ぶもうひとつの重要な要因は「純粋さ」です。
 今のテレビ界に対して退潮傾向を指摘する声は多々ありますが、その一番の理由はこの「純粋さ」にあるように思います。テレビ界を見渡してみますと、ほとんどの番組で演出があるように感じます。もちろんドラマは演出があって当然ですが、バラエティや情報番組、果てはドキュメント番組にまでも演出があっては見ているほうは白けてしまいます。制作する側は番組を面白くしようとして演出をしているようですが、逆効果になっていることに気がついていないようです。
 先月TBSで「ピラミッド・ダービー」とうい番組で“ねつ造”が発覚しました。局側は“演出”と抗弁しているようですが、内容は誰が見ても“ねつ造”です。番組的に面白くするために出演者のひとりを「画面から消す」などという行為がどうして“演出”でしょう。それよりも僕が一番感じたのはそのように“演出”することで「番組が面白くなる」と考える感覚です。このような感覚しか持ち合わせていない人が番組を制作するのですからテレビが退潮するのも当然です。
 人の心を打つのは「純粋さ」です。
 吉田選手の涙には演出が全く感じられません。心の底から悔いと謝罪の気持ちが出ていました。もし、そこにほんの欠片でも演出や計算があったなら感動など呼ばないでしょう。「純粋さ」に勝る感動の種はありません。テレビ局の人たちはそのことに早く気づくべきです。そして、今の時代は演出はすぐに見抜かれるということに気づくべきです。
 吉田選手の負けは世界中を驚かせましたが、敗因についていろいろな解説がなされています。僕はレスリングに関して詳しくありませんが、吉田選手の反省の弁の中でひとつ印象に残ることがありました。そして、それは今年の3月にボクシング世界チャンピオンの内山高志選手が負けたときと共通するものでした。
 当初の予定では今回の内山選手の防衛戦はアメリカで行う予定だったそうです。しかし、知名度などいろいろな事情で日本での試合が組まれ対戦相手が決まったそうです。決まった対戦相手は決して弱い相手ではありませんでしたが、計量に失敗するなど「難しくない相手」と映ったようでした。こうしたいろいろな状況が内山選手のモチベーションを下げたように思います。
 吉田選手の反省の弁で印象に残っている言葉は第1ピリオドが終わった時点で1ポイントながら勝っているときのものでした。その状況で吉田選手は「このまま金メダルを取るんだろうな」と考えたそうです。油断と言ってしまえば身も蓋もありませんが、油断というよりもモチベーションが上がっていないことを感じさせる言葉でした。
 あとで知ったことですが、実は決勝戦の相手は当初想定していた相手とは違う選手だったそうです。想定していた選手が準決勝で敗退してしまったからです。しかも決勝戦の相手はそれまで難なく下していた選手でした。状況が内山選手と似ています。対戦相手が変わったことで知らず知らずのうちにモチベーションが下がっていたように思います。
 吉田選手ほどの経験があるのですから油断や慢心などするはずはありません。あくまでモチベーションの問題だったように思います。その証拠に吉田選手は「取り返しのつかないことをしてしまった」と涙ながらに語っていました。もし、モチベーションが下がっていなかったなら第2ピリオドも半分を過ぎた時点で首投げなどという荒技をかけることはなかったでしょう。もっと慎重に試合運びをしたように思います。
 しかし、今回の負けをだれが非難などできるでしょうか。霊長類最強女子という異名を取るほど勝ち続けてきたのですから称賛されこそすれ批判などする人はいないはずです。というよりは批判できる人はいないはずです。
 それにしてもスポーツの難しさを感じずにはいられません。どんなに練習をして肉体を鍛えてもモチベーションという精神的なものが伴わないなら練習の成果を発揮することができないのですから
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする