<心の溝>

pressココロ上




 本日、朝起きて妻から聞いた最初の言葉は「SMAPが解散するって」でした。SMAPファンの妻は余程ショックだったのでしょう。落ち込んだ口ぶりから悲しさが伝わってきました。僕は妻ほどファンではありませんが、やはり落胆しています。SMAPがどうのというよりも仲のよいグループが別々になる様子に寂しさを感じるからです。SMAPは還暦を迎えるまで5人揃って仲良く芸能活動をしていてほしかったという気持ちがありました。仲のよいグループを見ているのは、それだけでこちらも気持ちがよくなるものです。
 ネットではいろいろな情報が錯そうしていてどれが真実か今のところわかりませんが、5人の心がひとつになっていないのは確かのようです。人間は感情の生き物ですから一度できた心の溝はそう簡単に埋まるものではありません。今年初めに起きた解散騒動が尾を引いていたのは間違いところでしょう。
 心の溝ができるということは心が通い合っていないことですが、SMAPとは反対に心が通い合っている場面をリオのオリンピックで見ました。心が通い合っている様子は見ているだけでこちらの側も気分がよくなります。
 体操男子は団体で金メダルを取り個人総合でも内村航平選手が2連覇を果たしました。心が通い合っている様は個人総合の結果が決まったあとの記者会見で見ました。
 ご存知の方も多いでしょうが、最後の鉄棒の種目をやる前まで1位はウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手でした。しかも点差が0.9あまりと逆転するには不可能に近いものでしたが、鉄棒の演技を完璧に終えることで大逆転し、わずか0.099点差で金メダルを獲得したのでした。
 内村選手のあとに鉄棒の演技を行ったベルニャエフ選手の点数があまり伸びず内村選手の金メダルが決まったとき、会場では一部の観客からブーイングが起きたそうです。理由はベルニャエフ選手の演技が素人目には大きなミスがなかったにも関わらず点数が低かったからです。つまり、このブーイングには審判が「内村選手を贔屓した」という意味が込められています。
 僕は内村選手の金メダルが決まったあとのベルニャエフ選手の振る舞いを注目していました。一瞬だけ怪訝そうなゼスチャーはしましたが、内村選手が近寄ってきたときにはにこやかに納得したような表情をしていました。僕にはベルニャエフ選手もこの結果を受け入れていると感じられました。
 このような状況で行われた記者会見で意地悪な質問がなされました。外国の記者が内村選手に
「あなたは審判に好かれているのか?」
と質問したのです。これに対して内村選手は感情的にはならずに「審判は公平にジャッジをしていると思う」と返したのですが、このときに割って入ってきたのがベルニャエフ選手でした。自分に対する質問ではないのにも関わらずです。
「審判も個人のフィーリングは持っているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの。航平さんはキャリアの中でいつも高い得点をとっている。それは無駄な質問だ」と怒りを込めて反論したのでした。
 また銅メダルのマックス・ウィットロック選手(英国)も「大変素晴らしい。彼は皆のお手本です。今日の最後の鉄棒は言葉がない。クレイジーとしかいえない」と内村選手を称賛しました。
 このような場面からは二人がライバルでありながら内村選手と心が通い合っているのが伝わってきます。人と人の心が通い合っている様をみるのは本当に気持ちのよいものです。
 明日は「終戦記念日」です。戦争はいけないに決まっています。人を合法的に殺すことができるのが戦争です。合法的であろうとも人を殺すことに変わりはありません。戦争はいけないに決まっています。
 先週、朝日新聞の投稿欄に興味深い投稿がありました。それはいわゆる改憲派の投稿主が護憲派の人たちに問いかける内容でした。ざっくり内容を紹介しますと、「今の憲法を守っているだけで日本は平和でいられるのか?」というものですが、これは昔から指摘されてきた内容で別に新しい問いかけではありません。
 もちろん戦争はいけませんが、では「どこかの国が攻めてきたときにどうするのか?」という根源的な難問には窮してしまいます。
 僕のコラムをずっと読んでくださっている方は、僕がこの時期に書くコラムで明石家さんまさん主演のドラマ「さとうきび畑の唄」を紹介していることをご存じのはずです。ごく平凡な男性が戦争という状況で最後に叫ぶ言葉があります。
「わいは、人殺しをするために生まれてきたんやないで」
 そうなんです。誰も好んで戦争などしたくないはずです。でも、それだけではまだ「どこかの国が攻めてきたとき」の対処法の答えにはなっていません。しかし実は、答えは決まっているのです。
 「どこかの国が攻めてきたとき」は戦うしか術はありません。もし占領されてしまえば戦争の悲惨さどころではありません。自由は制限され生きる権利さえ奪われかねないのです。ですから戦うしか術はないのですが、戦うということは戦争になることです。
 これは困った…。
 護憲派もしくは反戦派の人たちは外交手段で解決することを訴えますが、説得力に欠けます。外交手段が通じるのは「心が通い合っている」とまではいかなくとも、最低でも心が通じる道筋があることが必要です。その道筋に溝があったなら交渉することさえ不可能です。溝を埋めるのは容易ではありません。
 個人競技ではなくチーム競技で大切なことはチームが同じ方向を向いて一致団結することです。いわゆるチームワークですが、チームワークをよくするためにはチーム全員の意志を統一することが必要です。チームがバラバラの方向を向いていては力を結集することはできません。チーム競技ではそれが最も大切です。
 戦争状態になるということは国家というチームで戦うことです。つまり国民全員が同じ方向を向かなければ悪い国に占領されてしまうのです。そのような状態では上官の命令に従うことが厳命です。もし、上官が敵を殺せと命令するなら従わざるを得ないのです。たとえ
「わいは、人殺しをするために生まれてきたんやないで」
と思っていても…。
 こうやって堂々巡りをしながら今週、還暦を迎えます。人生は難しい…。
 地球上の人、みんなの心に溝ができなければいいのになぁ。
 じゃ、また。




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