<こだわり>

pressココロ上




暑い日が続いていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。僕は「暑いの日がどうの」というよりは「寒いのが苦手」ですので、今くらいの暑さはほかの人が言うほど苦痛には感じません。ですから、家にいるときはクーラーとは無縁ですし、寝るときも暑くて寝られないということもありません。ですが、妻は違います。僕より数倍暑がりです。
僕には変なこだわりがいろいろあるのですが、その一つが夫婦の寝室です。僕はどんなに愛が冷めようとも「夫婦は一緒の部屋に寝なければいけない」というこだわりがあります。理由は、「夫婦だから」に尽きます。若い頃のような肉欲はなくなっても一緒の部屋で寝るのが夫婦だと思っています。
ですから、僕には単身赴任という発想が理解できません。せっかく結婚したのに別々に暮らすのでは結婚した意味がないではありませんか。僕の中の結婚とは、「一緒にいる」ことです。「一緒にいたい」と思うから結婚をするのです。たまに「ほかの女性と一緒にいたい」と思うことがあっても、あくまで「たまに」でなければいけません。「たまに」がなくなったときは夫婦でいる資格がなくなることを意味します。
そんな僕たち夫婦ですのでいつも布団を並べて寝ているのですが、昨年から夏になると妻が別居するようになりました。理由は「すっごい、暑い!」からです。妻と僕の温度センサーは極端に違いますので、妻が「暑い」のは僕には「ほぼ普通」で、妻が「ちょうどいい」のは僕には「寒い」のです。ですから、妻が部屋を出ていくことになりました。
これについては昨年も書いたような記憶がありますが、妻が夏の間だけ居間で寝るようになりました。「夫婦同室」に強いこだわりがある僕としましては「夫婦別室」にすることに抵抗感がなかったこともないのですが、妻の達ての強い要望でしたので、正確には「要望」というよりは「怒りに似た命令」でしたので受け入れざるを得ない状況となりました。「怒り」を例えますと、そうですのでぇ…、あの豊田議員の「このハゲー!」の叫び声に似ているでしょうか…。
それはともかく、実際に別室になってみますと僕も快適さを感じています。隣に誰もいないということは自由に動けることですのでとても気分がいいのです。僕は寝相が悪いので知らぬ間にいろいろと動き回っているのですが、朝目覚めたときにとんでもないところでとんでもない恰好でいるときがあります。それだけ自由に動いていたことの証拠ですが、それができたのは僕の専有面積が広くなったからです。今では、「夫婦別室も悪くない」という感じを持っています。
このような感覚になったのは「こだわり」にこだわらなかったからといえます。つまり、「こだわり」には執着しないほうがよいこともあることを教えてくれています。
稲田防衛大臣が窮地に追い込まれています。おそらく近日中に退任することになると思いますが、8月に内閣改造を控えていますのでタイミングが難しいところです。しかし、今の状態では8月の内閣改造までもたないのではないかとさえ思ってしまいます。
それにしても安倍内閣はここにきて一気にいろいろな方面から三下半を突き付けられているように見えます。いろいろな方面とはマスコミや官僚や団体です。
まずはマスコミから。
今年に入ったあたりからいろいろなところで指摘されるようになりましたが、マスコミの偏向報道が顕著になってきています。大まかに分けますと「政権寄り」と「反政権寄り」ですが、最近で最もそれを表しているのは家計学園問題で渦中の人となった前文科省事務次官の前川氏に関する報道姿勢です。前川派か政権派できれいに分かれています。最もわかりやすのは前川氏の出会い系バー通い報道ですが、これを報じたのは読売新聞だけです。
前川氏自身が話していますが、家計学園問題について一番早く前川氏に取材をしたのはNHKだそうです。しかし、その取材インタビューが放映されずお蔵入りになっているのですが、これはあきらかにNHKが政権派であることを示しています。その後、NHK内でも社会部派と政治部派で対立が起きていることが表面化しましたが…。
このほかに大まかに分類しますと、前川派と思しきマスコミは新聞ですと朝日と毎日、テレビではテレビ朝日とTBSです。政権派と思しき新聞は読売と産経で、テレビは日本テレビとフジテレビです。
このように各マスコミの立場といいますか、視点が違いますので取り上げる内容や報道の姿勢・仕方にも違いが出てきています。そして、この違いがあることに正当性を与えるような論調も出てきています。
しかし、僕はその論調に異議があります。
人間にはいろいろな考えの人がいることは認めますし、それで当然だと思っています。ですから無理に違う主義主張に同調する必要もありませんし、同調を求めるのも間違っています。しかし、事実は一つでなければいけないと思っています。主義主張によって事実が幾つもあってはいけません。もし、事実が二つも三つもあっては情報を受け取る側はなにを信じてよいかわからなくなります。
大分前ですが、僕はこのコラムで戦争広告代理店という本を紹介しました。これは戦争の当事者の一方が広告代理店を使って自らの正当性を訴えている現実を暴露している本です。「正当性を訴えるために」広告代理店を使うのは安倍首相が最近口にする印象操作のなにものでもありません。広告代理店の倫理上の問題はともかくとして、ビジネスので世界では広告代理店は広告主の依頼に応える仕事をするのは当然のことです。ですから、広告代理店がいろいろな戦略を駆使して広告主に正当性があるように権謀術数を図ることは当然です。
しかし、マスコミは広告代理店ではありません。依頼主などいないのです。というよりはいてはいけないのです。中立であることがマスコミの大前提です。どちらかの一方に肩入れした報道はフェイクニュースと同じです。
マスコミの知識人は、いかにもいろいろな方面に精通していることを誇示するかのようなしたり顔で「真実は一つではない」などと吹聴しています。ですが、「真実は一つではない」ことがあってはならないのです。百歩譲って「一つしかない真実」を伝えるのが難しいのなら、せめて「伝えようと」努力をするのがマスコミ人やメディアに携わる人の使命ではないでしょうか。それを「真実は一つではない」などと開き直るのは何をかいわんやです。
繰り返しますが、マスコミに依頼主がいてはいけないのです。
マスコミを仕事としているのであれば、一般人よりは物事の真実を見抜く感性を持っているはずです。それこそが一般人とマスコミ人の違いでなければいけません。単に、政治家と親しいとか知識が豊富であることでマスコミ人になっているわけではないはずです。
このように、本来マスコミは真実を伝えるのが仕事ですが、現在は偏向的な報道が幅を利かせつつあります。
そんな中、政権寄りと言われていたマスコミまでもが稲田批判および安倍批判を強めています。これがマスコミから三行半を突き付けられているように見える原因です。
次に、官僚からの三行半を示すのは稲田大臣が不利になるような情報が湧き出る湯水のように流れていることです。例えば、稲田大臣と防衛事務次官や制服組の幹部の会談の内容が報じられています。どう考えても稲田氏を追い落とす目的としか見えません。
これは稲田大臣に限りません。山本地方創生大臣と日本獣医師連盟の対立でも同じです。山本大臣の発言に堂々と異を唱えている様は安倍政権に挑戦しているかのようです。
安倍政権の現在の光景はいつか見た光景に似ています。ここまで落ちてしまったのは国民を甘く見ていたからです。少しくらいの問題は「経済関係の政策を発表すればすぐに忘れる」といった驕った姿勢があまりにも見えすぎていました。そして、そのきっかけになったのが稲田大臣に対するこだわりです。
こだわりにこだわると判断を間違えます。
じゃ、また。




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