<防災の日>

pressココロ上




先週書きましたように、僕は今でも英会話の習得をあきらめてはいませんが、かといって必死に努力をしているわけでもありません。僕の目標は「努力なしに、英会話を身に着ける」ことですが、実際はなかなかそうは問屋が卸さないのが現実です。

そんな僕が最近実践しているのは、時間があるときに昔の映画「ローマの休日」を観ることです。29,800円という大金を払ってオーソン・ウェルズさんのナレーションを聞いていた話は先週書きましたが、それから大分経ってから僕が挑戦したくなったのが、映画を観て英会話を身に着けることでした。

僕のような発想をする人は僕以外にもたくさんいるようで、少し探せば「僕のような人」向けの英会話の本がいくつも出版されています。そして、その中にはもちろん「ローマの休日」が入っています。僕が購入したのは

『ローマの休日』を観るだけで英語の基本が身につくDVDブック (映画観るだけマスターシリーズ)

という本で、そうした本は大概CDがついているのですが、映画の中の台詞とその台詞の一字一句に翻訳が書いてありますので、かなり勉強になります。

…すみません、「かなり」と書きましたが、正直に告白しますと、まさに「かなり」見栄を張った表現です…。

それはともかく、この本を購入したのは4~5年くらい前ですが、購入した当初はうれしくて頻繁に見ていました。ですが、意志薄弱な僕は数か月もしますと飽きてしまい、次第に観なくなり、そのうちすっかり忘れていました。ところが、googleさんというのは本当にすごいですねぇ。僕の昔を覚えていたyoutubeさんが先月「ローマの休日」を思い出させてくれたのです。

そうした経緯で先月来「ローマの休日」を観直しているのですが、これが実に面白い! やっぱり名作っているのは何年経とうとも色褪せないのですねぇ。本当は英会話の勉強のつもりだったのですが、観ているうちに英会話そっちのけで字幕を目で追い、オードリー・ヘップバーンさんとグレゴリー・ペックさんに惹きこまれていきました。

素人の僕がいうのもなんですが、ヘップバーンさんの演技は逸品です。特に最後の場面、宮殿で新聞記者のインタビューを受ける場面です。そこで初めて王女は1日を一緒に過ごした男性が新聞記者であることを知るのですが、そのときの表情の演技力。会見場でグレゴリー・ペックを見つけた瞬間以外でも、それぞれの場面で、気品、覚悟、感謝、そして気高さを表現していた演技は感動ものでした。それに対してペックさんはというと、単に眉毛を上下に動かしていただけのように感じたのは僕だけでしょうか…。

この映画を観ていて興味深かったのは、やはり最後の宮殿での場面ですが、記者が王女に問いかける質問内容でした。今から70年前に製作された作品ですが、その映画の中で「ヨーロッパの外交」について記者が質問しています。その後、ヨーロッパはEUになり現在に至っているわけですが、昨年からのロシアのウクライナ侵攻などもあり、外交の難しさはいつの時代も変わらないことを思い知らされました。

先にも書きましたようにこの映画ではヒロインの相手役が新聞記者なのですが、そのこともこの映画のポイントになっているように思います。グレゴリー・ペックさんが王女を市内を案内してまわるのですが、途中「祈りの壁」を訪れる場面があります。

映画の中の設定では、「祈りの壁」とは、戦争中に家族の無事や平和への願いを込めた板が沢山かけられていた場所ですが、そこを訪れた際、グレゴリーはカメラマンに「この写真はものになる」と話しかけています。そのほかにも、王女が自国からやってきていたガードマンの頭をギターで襲い掛かる写真を「これは使える」と二人で喜ぶ場面があります。

結局、グレゴリー・ペック演じる記者はそうした写真や記事を使わない選択をするのですが、このことはマスコミの影響力の大きさを物語っています。今も昔もマスコミ・報道は絶大な力を持っています。

先週9月1日は「防災の日」ということで各局で関東大震災について特集を組んでいました。マグネチュード7の地震が3日間も続いたという記事を読みましたが、被害の様子を映し出した映像を見ますと、被害の大きさは想像を絶するものでした。そうした映像を映し出しながら、番組内で注意を呼び掛けていたのが火災に対する備えです。NHKの番組では、地震による建物の崩壊はもちろんですが、それよりも被害を大きくした原因は「火災」と報じていました。

地震で火災と聞きますと、一般的にはガス漏れが真っ先に思い浮かびます。ですが、以前見たテレビでは停電したあとの通電時に火災が起きることを伝えていました。「通電火災」と呼ぶそうですが、「倒れた電気ストーブや損壊した電気コンロ、落下した観賞魚用ヒーターなどに通電して火災が発生したり、ガス漏れが発生しているところに火花が飛んで引火したり、破損したコンセントや切れた電気配線に通電して可燃物に引火したりする場合」などがあるそうです。ですので、地震時に家を離れる際は必ず「ブレーカーを落とす」ことを呼びかけていました。

テレビでは関東大震災時における建物の崩壊や火災について報じていましたが、その際に必ず報じていたのが「朝鮮人虐殺事件」についてです。

関東大震災朝鮮人虐殺事件 とは、1923年の日本で発生した関東地震・関東大震災の混乱の中で「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマが流れ、それを信じた官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺した事件である。
(ウィキペディアより引用)

この事件が起きた大きな理由は、普通の人々がデマや流言を信じたことに尽きます。人間というのは不安になりますと、不安を払拭できる内容を信じる傾向がありますが、そうした性質が起こした事件といえそうです。平常時であれば、受け入れないようなデマ・流言でも、不安な気持ちのときは正しい判断をする余裕がなくなるのが人間です。

僕が尊敬する森達也監督がこの時期に合わせて「福田村事件」という映画を公開しています。森監督は常に弱者に寄り添うことを信条として方ですが、「福田村事件」とは、四国から千葉へやってきた行商人達が朝鮮人と疑いをかけられ、正義を掲げる自警団によって幼児、妊婦を含む9名が殺害された事件です。朝鮮人というだけで虐殺されるのも許されませんが、日本人がデマを信じた集団心理で虐殺されたのはあまりに悲しい事件です。

森監督には1995年に事件を起こしたオウム真理教を扱った「A」という映画があるのですが、この作品はオウム側の視点で製作された作品になっています。麻原教祖が逮捕されたあとのオウム真理教で、広報副部長として活動していた荒木浩さんを追ったドキュメントです。

この映画を観ていて不快になったのは、いわゆる一般のマスコミの傲慢さです。日本には各局にニュース番組や情報番組がありますが、そうした番組を制作している現場のマスコミ人の傲慢さは目に余るものがありました。いったい、あのような姿勢で取材をして真実を伝えることができるのか、逆に疑問を感じてしまいました。まるで自分たちが神であるかのようなふるまいをしている取材者もいました。

テレビ画面では人気キャスターが正義の味方のような顔をして、弱者に寄り添うふりを流していますが、その裏では事件にかかわる人々を傷つけることもいとわず動き回っていました。これで本当のことが伝えられるのでしょうか。

「防災の日」の「災」には、マスコミも含めたほうがいいように思います。

じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする