<教える理由>

pressココロ上




僕は禁煙をしてからかれこれ10年は経っているように思います。これについては「禁煙をする前に」というエッセイで書いていますので詳細は省きますが、なんども失敗した末の成功でした。「なんども失敗した」ということは自分の意志の弱さの顕れですが、そんな意志薄弱な僕が禁煙をできたきっかけは本当に些細なことでした。

それは、たまたま読んでいた禁煙に関する記事の中にあった「タバコを吸いたくなるのは、自分の欲望ではなく、ニコチンがさせている」という一文に出会ったことです。僕にとっては、落雷に遭ったような衝撃の一文だったのですが、そこには「自分がニコチンにコントロールされている」という趣旨のことが書いてありました。不思議なことにそれ以降、まったく「喫煙欲望」がなくなったのでした。

このようにして長年望みながら挫折していた禁煙に成功したのですが、同じくらい長年望みながら成就できていないことがあります。それは英会話の習得です。最初に英語習得を思いついたのはラーメン店を開業して3年を過ぎた頃でしょうか。いつも深夜の1時~2時頃に車で帰宅していたのですが、単に車を運転しているだけでは退屈ですし、時間がもったいないのでその時間に「英語の勉強をしよう」と考えました。

そのときに試した勉強方法は、当時オーソン・ウェルズさんという米国の名優がナレーションをしていたストーリーを聞き流す方法でした。新聞などに広告が大々的に載っていたのですが、「聞き流すだけで英語が習得できる」という謳い文句でした。記憶が曖昧ですが、確かカセットテープが10個とテキストが送られてきて、29,800円だったような気がします。結構な値段でした。

ところが、意志薄弱はここでも発揮され、結局1つめのカセットも最後まで聞かずにそのまま放置するようになっていました。今もネットで英会話を教えるサイトを見ていますが、講師役の先生が「聞き流す」だけでは絶対に英語は身に着かない、と断言しています。無駄な出費をしてしまいました。

そういえば、それから1年~2年後に、今度は「作詞家になる」通信教育を購入したこともあります。当時新進気鋭の作詞家として名前が知られるようになっていた秋元康さんが「教える」というのがウリになっていた通信教育でした。これも3回くらい提出し添削を受けましたが、それで飽きてしまいました。これも確か29,800円だったように思います。

このように、昔から新しいことに挑戦したくなる性分だったのですが、悲しいことに最後まで成就したことはありません。そもそもラーメン店を営むということは1日のうちの大半の時間をお店の運営にとられることです。そうした生活を送っているわけですから、本来ですと趣味などに時間を割けるわけはありません。それでもほかのことに挑戦したくなるのは、ラーメン店と自宅の往復だけの生活につまらなさを感じていたからです。

そんな僕ですので、作詞家の次に挑戦したくなったのが「ピアノ演奏」でした。もちろんピアノを置くスペースなど我が家にはありませんでしたので、キーボードを3万円くらいで購入したのですが、深夜の2時過ぎからヘッドホンを耳につけて練習をしていました。もちろんピアノも飽きてしまいましたのでうまくはならないのですが、定期的に弾きたくはなり、今でもたまに弾いています。と書きたいところですが、実際は「弾く」などという表現はおこがましくて使えないレベルですので「触れて」おり、たまに指を動かしています。

実はピアノと同様、英会話も諦めたわけではなく細々とですが続けています。細々とは、たまにネットで「英会話」を教えるサイトを見ることですが、そうしたサイトを見るようになって感じるのは、英会話を教えるサイトの「なんと多いことよ」ということです。しかし、この事実を反対から考えますと、それだけ英会話を身につけたいと思っている人が多いことになりますが、さらにひっくり返して考えますと、英会話を「教える」ことが儲かることを示してもいます。

ネットを見ている方はご存じと思いますが、ネットには「教える」サイトがたくさんあります。僕の「脱サラをする前に」というサイトも、ある意味「教えるサイト」のカテゴリーで括られてもおかしくありませんが、「教える」ことはこれまでの自分の経験や経歴を活かすことができる収入獲得方法です。

しかし、中には経験がないにもかかわらず、あたかも教える資格があるかのようにして「教えること」で収入を得ている人もいます。そして、そのことを素人が見抜くのは不可能です。知識も経験もないからです。ですので、教えるサイトを安易に信頼するのは危険です。

僕がラーメン店を営んでいた頃、当時ですでに「ラーメン店の開業方法を教えます」というようなサイトはありました。そのサイトを運営していたのはあるラーメン店ですが、そうした発想の延長線上にフランチャイズやラーメン学校、コーチングなどがあります。これは僕が常々指摘しているのですが、本当に儲ける術を身に着けていて、本当に実力があるのなら人に教えることなどせず、自分で実行するはずです。なぜなら、「儲かる」からです。そうしたことをせず「人に教える」なら、自分で実行するよりも「教える」ほうが儲かることを証明していることになります。

僕は中学校や高校の頃、それぞれバスケとバレーをしていました。どちらも公立校としては厳しい練習をしていたクラブですが、どちらにも卒業生が先輩として教えに来ていました。当時は、後輩に教えにくるのですから、優しく後輩思いの先輩と思っていました。ですが、自分が高校生になり大学生になったあとに感じたのは、当時とは違った思いでした。

例えば、自分が高校生になったときは、高校のクラブ練習に明け暮れていましたのでとてもではありませんが、後輩の中学生に教えに行く時間などありませんでした。まだまだ自分の技術も体力も鍛錬する必要があったからです。大学生になったときは、クラブ活動には入りませんでしたので、時間的には高校時代よりも余裕がありましたが、自分の人生を生きるのに精いっぱいで、やはり高校の後輩に教えに行く時間は限られていました。

自分が卒業生になり先輩になったときに思ったのは、先輩として教えに来ていた人たちは自分の生活に満足していなかった人ではないか、ということです。つまり、先輩として中学に教えに来ていた高校生たちは、高校では時間を持て余していたからこそできる後輩への指導だったことになります。言い方を変えますと、充実した生活を送っていなかったので先輩面ができる後輩のところへ行っていた、では言い過ぎでしょうか。

ネットを見ていますと「文章の書き方教えます」というキャッチコピーを目にすることがあります。コロナで自宅にいることが多い人が増えていることと関係があるそうです。在宅で収入を得る方法としては文章を書くのも一つの方法ですが、そうした人たちをターゲットにしているように想像します。もちろん受講費がかかりますが、その授業を受講したからと言って文章を生業にできる保証はありません。

基本的に「教える」という文言は注意をしたほうが賢明です。繰り返しになりますが、「教える」ことがなんであれ、本当に「教える」に値するほとの内容があるのなら、「教える」などしないで自分で実行したほうが儲かります。それを「教える」のなら自分が行うよりも教えたほうが儲かると考えていることになります。受講者は、そのようなスキルを教えてもらってもなんのプラスにもなりません。

教えたがる人には注意をしましょう。

じゃ、また。




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