<温度差>

pressココロ上




先週はプーチン大統領が「ウクライナ侵攻を開始して3年目」という報道がマスコミで報じられました。1週間前にロシアの反体制派指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏が死亡したこともあり、専門家がいろいろな意見を述べていました。

それにしても専門家ほどあてにならない解説者はいません。僕が今でも記憶に強く残っているのは、ロシアが侵攻するほんの3日前、ラジオから流れてきたロシアを専門に研究している教授の解説です。

「仮にロシアが侵攻したなら、世界経済の枠組みから排除されることになるので絶対にありえない」と話していました。ところが、その3日後にプーチン大統領はウクライナに侵攻をしたのです。しかも「経済的に破綻する」と話していたにもかかわらず、先日のニュースではロシアの「実質GDP成長率3.6%」と報じられています。

報道によりますと、ロシアに制裁をくわえているはずの西側諸国が実は裏ではロシアの原油を購入しているそうです。これでは、ロシアの戦闘力は落ちようがありません。しかもウクライナに対する西側諸国からの支援は、うしろ向きになっていることが報じられています。

こうした報道に関連して伝えられているのが、ウクライナ国内の意識の変化です。「領土を失ってでも戦争が終わってほしい」と考えている人の割合が侵攻された当初よりも増えているのです。いわゆる「厭戦気分」ですが、国内での意思統一が難しくなっているように見えます。

昨日のニュースでは、ウクライナ男性の「徴兵逃れ」を取り締まっている映像が放映されていました。「徴兵」から逃れるために国境を越えようとしていた男性数人を軍服を着た兵士が組み伏せ、怒鳴り整列させ、強制的に車に押し込んでいました。まるで敵対する相手に対する行為のように。

同じ国家に属する同一国民、つまり味方になるはずですが、そうした人に対する行為とは思えない映像でした。現在ウクライナでは、18歳~60歳の男性は国外に出ることが禁止されているそうです。映像では20代~30代の男性たちが取り締まられていたのですが、「徴兵逃れ」を決行する者、阻止する者の両方を見ていますと割り切れない気持ちにさせられます。

僕は毎年、といってもここ数年は違うのですが、8月の終戦記念日近くになりますと、明石家さんまさんが主演していた「さとうきび畑の唄」について書いていました。この番組はTBS系にて、2003年9月28日に放送されたドラマなのですが、反戦をテーマにした平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞を受賞した作品です。

このドラマは明石家さんまさん演じる主人公の招集された軍隊での生活を描いたものです。僕が心を揺さぶられたのは、最後の場面での主人公の言葉です。上官に相手国の人を「銃で殺す」ように命令されたとき、さんまさんはこう訴えます。

「私には人を殺せません。私はこんな事をするために生まれてきたんじゃないんですよ」

ドラマの半ばでは

「お国のために死のうなんて思わないでください」

とまで言っています。当時は反戦と言いますと、戦争に参加しないことがテーマでしたが、今のウクライナの状況を見ていますと心が揺れ動きます。ドラマの主人公はウクライナの「徴兵逃れ」を考えている若者たちと同じ考えの持ち主です。しかし、戦わないことを選択した国民は国家の崩壊をも受け入れたことになります。

最近のウクライナ関連のニュースでは「ウクライナ国民の分断」を伝える内容が多いのですが、戦地に近い住民と遠く離れた住民では「ロシアの侵攻に対する意識」が異なっているようです。少し前に「心に残る言葉」コーナーに書きましたが、

「『絶対に領土を諦めない』と主張しているのは、中部や西部など、直接的な戦闘があまりない場所の人たちです」

と思っているウクライナの人がいます。戦争が身近にある人と同じウクライナ人でありながら遠くから見ている人では「ロシアの侵攻」に対する感じ方も違ってきます。遠くから見ている人は「どこか他人事」ととらえているようです。被害が自分に直接及ばないのですから、今一つ「ピン!」とこないのでしょう。もしかしたなら、意図的に「ピン!」とこないようにしているのかもしれませんが、みんなが同じ想像力を持っているとは限りません。

webNHKの特集コーナーでは「戦地で負傷を負った兵士が首都キーウに戻り治療をしているとき」の心模様が紹介されていました。兵士が戦地で「生死をさまよっている」ときに、戦地から離れたキーウでは飲食店の従業員に大声でクレームを言っている人がいる」ことの不条理を話していました。その兵士は傷が癒えたあとに戦地に戻ったのですが、ロシア侵攻に命をかけて抵抗している人がいる一方で、同じ国ではカフェで食事を楽しんでいる人がいるのです。

「さとうきび畑の唄」の主人公の言葉がむなしく響いてきます。「戦争はいけない」とは誰でも言いますし言えますが、よその国から攻め込まれたときどうするのか。「戦争はいけない」と逃げるのか、抵抗するために戦うのか。

ロシアが侵攻を開始したとき、ウクライナとロシアの関係についていろいろなメディアが両国の過去の関係・歴史について解説していました。そうした中で知ったのですが、ウクライナは過去にロシアに蹂躙されていた歴史がありました。特に印象に残っているのが、1930年代の大飢饉「ホロドモール」です。食料の大部分をソ連(当時のロシア)に上納させられたためにウクライナ国民は食べるものがなくなり数百万人もの人々が餓死した事件です。

ウクライナで「厭戦気分」になっている人たちは大事なことを忘れています。ウクライナが抵抗すること、戦うことをやめたからといって、プーチン大統領が侵攻をやめるとは限らないことです。もしかしたなら、完全支配まで侵略し続ける可能性もあり、そうなりますと大飢饉「ホロドモール」が再現される可能性もあります。「厭戦気分」が起きている人たちはそのことを忘れています。

いつだったか読んだ記事で納得できる解説がありました。プーチン大統領がウクライナを侵攻した一番の理由は、ウクライナが「汚職国家」となってしまい国家機能が正常に働いていなかったから、というものです。今の大統領はゼレンスキー氏ですが、よく知られているように、前歴はコメディアンです。そうした人が実際の大統領に選ばれたのは、政治家が汚職にまみれていたこととは無縁ではないはずです。

そうした事例を見ていますと、戦争を「起こさない」、もしくは「起こさせない」一番の方法は国家が健全に運営されていることです。そのような国家にするためには、主権である国民が国家を運営するにふさわしい政治家を選ぶことに尽きます。日本は三権分立の民主主義国家ですが、それをないがしろにするような政治家を選ばないことが最も重要です。

その意味で言いますと、かつて司法を自分たちの思い通りにコントロールしようと画策した首相や、マスコミをコントロールしようと画策した首相もいましたが、そうしたことは絶対に許してはいけないことです。これまではそうした画策を阻止することができましたが、いつまたそうした政治家が出てくるかもしれません。

人間は完璧な生き物ではありません。ですので、逼迫した環境で温度差が起きるのは仕方のないことかもしれません。ですので、逼迫した環境に陥らせないような政治家を選ぶことが大切です。そのためには、国民一人ひとりが政治に関心を持つことです。どこかの国の大統領候補者のように自国のみの利益を考えるのではなく、世界の平和を重んじ、それぞれの「国家が戦争を起こさないようにする」という観点で行動する政治家を選ぶことが重要です。

温度差が起きてからでは遅いのです。温度差が起きる前に戦争を回避するような政治家を選ぶことが大切です。

だって、誰だって「人を殺す命令」なんて受けたくないじゃないですか!

じゃ、また。




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