<リスペクト>

pressココロ上




僕は、今は病院通いが常態化しているジイさんになってしまいましたが、57歳までは病院とは無縁の絶好調健康な人でした。ところが、57歳を境にいろいろな病気に見舞われるようになり、歯科医を除くなら数十年ぶりという本当に久方ぶりに病院に行かなければいけない症状になってしまいました。

その症状とは呼吸が苦しくなったことですが、それまで普通に上がれていた坂道を「普通に」上がれなくなったのです。そこで病院を探すことにしたのですが、呼吸に支障をきたしているときに通う診察科目に悩みました。すると、いろいろと探しているときに呼吸器内科という診療科があることを知りました。

検討の結果、車で10分ほどの40代半ばの男性医師が院長を務めているクリニックに行くことにしました。HPを見た感じでは、院内の雰囲気もよく信頼できそうな医師でしたが、ただ一つの難点は診療時間がほかのクリニックに比べて短いことでした。診察の終了時間がほかよりも早い午後5時となっていました。しかし、クリニックで大切なのは医師の人柄であり診察技量です。

クリニックに行きますと想像したとおりの医師であり院内の雰囲気に安心しました。大事になることもなく無事に診察を終えたのですが、帰り際に「処方した薬がなくなるころに、また来てください」と言われました。久しぶりのクリニックでしたので想像もしていなかったのですが、クリニックというところは1回の診察で終わるわけではなさそうでした。

「そうか、また来るのか」と心の中でつぶやいていましたので、僕はつい余計な言葉が出てしまいました。「あのぉ、午後5時までとなっていますが、電話をして終了時間を待ってもらうことはできませんか?」

その日はなんとかやりくりをして診療時間内に行くことができしたが、いつも時間内に行けるとは限りません。仕事の関係上「難しい」と思いましたので、つい口から出てしまったのです。おそらくこれまでそのようなことを言う患者さんはいなかったのでしょう。医師は面食らった表情をしたあと一呼吸おいて「それはちょっと難しいですね」と答えました。

僕は病院を一般の飲食店と同じように考えていたことになりますが、そこら辺の飲食店と同じように考えてしまったことを反省しました。難関な大学に行き国家試験に合格した人だけが就ける医師という職業を軽く見たような発言で申し訳なく思いました。

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僕がラーメン店を営んでいたある日のこと。車椅子を押した人4~5人が店内に入って来ました。僕のお店はカウンターが8~10席、小さいながらも4人掛けテーブルが3つありました。個人店にしては広いほうだと思います。

その人たちは店内を見渡すと僕に話しかけてきました。結論を書きますと、この人たちは「食べる」のが目的ではなく、店内を「車椅子の人でも利用できるように活動する」グループの人たちでした。数年前、飲食店を訪れた車椅子の人が入店を断れたことを批判して物議を醸したことがありますが、僕が体験したのは30年以上前のことです。

当時は、車椅子の人たちに対する健常者の認識は低いのが一般的でした。当時の僕もそうした活動に賛同する気持ちになれないでいました。その人たちは車椅子を店内で動かし、「もう少し通路を広くしてほしい」などと改善箇所を指摘してきました。もちろん僕は表向きには理解したふりをしていましたが、心の中では違っていました。

僕のような個人のお店が車椅子の方でも入店できるように店内を改装するのは無理があります。改装する際の費用もそうですが、指摘されたように「通路を広く」してしまいますと、座席数が減少することになります。ラーメン店で座席数が減少するのは致命的です。売り上げが間違いなく減るからです。そのようなことを考慮せずに、お店に改善を要望することに心の中では反発してしたのが正直なところです。

30年前と違って今の時代は「バリアフリー」という言葉が当たり前に使われています。ですので、公共施設はすべと言っていいほど「バリアフリー」になっていますし、一定規模以上の飲食店でも「バリアフリー」が完備されています。しかし、今の時代でも個人が営んでいるような小規模な飲食店では「バリアフリー」は現実的ではないのが実情です。理由は先ほど書きましたようにコストパフォーマンス的に割に合わないからです。

それでも、個人の小さなお店は思いやりがないことになるのでしょうか。

先日、ある大手企業が従業員への配慮から「就業時間の厳守、残業の禁止」を徹底させると報道がありました。僕はこうした報道があるとき、どうしても下請けとか取引先に思いをはせてしまいます。大手企業が労働環境を改善することの裏返しとして下請けや取引先への圧力がありそうに思えるからです。

大手企業が自らの労働環境を工夫して改善するなら問題ないのですが、単に弱い立場の企業に無理難題を押しつけているだけなら、それは自分の家にあるゴミをよそに移しているのと同じです。こうした行為は企業にも問題がありますが、それを受け入れている従業員にも問題があると思っています。

先月は春闘がありましたが、人手不足も相まって「多くの企業が目標を上回った」と報道されていました。しかし、春闘は大企業の賃金のお話です。そして、大企業は全企業の10%ほどと言われています。もし、大企業の賃金を上げるための原資が「下請け・取引先へのしわ寄せ」によって作られているなら、大企業ではないほとんどの企業の労働環境は改善されないことになります。

経済団体などは「春闘の好結果が中小企業にも波及することが重要だ」と話していますが、その結果についてはあまり報道されていません。自動車メーカーの日産や会員制スーパー「コストコ」が下請け法違反で勧告を受けていましたが、こうした事例が全産業の縮図でないことを祈るばかりです。

下請けに対して「しわ寄せ」を押しつける行為は「自宅のゴミを隣に捨てるとの同じ」と書きました。その際に、「従業員の責任」について軽く触れましたが、自分たちの給料が上がる原資がどこからきているのかに関心を持つことは大切です。正しい経営を行って給料が上がるのならまったく問題ありませんが、悪行を働いて得た利益から給料をねん出しているのなら考える必要があります。日産やコストコは下請け法違反を犯していますが、従業員はその犯罪に加担していることになるからです。極端に言うならば、闇バイトに応募する若者たちと同じです。

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僕はクリニックの医師に対して「電話をかけるので待ってもらえないか」と図々しいお願いをしたことを反省したのですが、反省した背景には医師という職業に対するリスペクトがありました。もし、車椅子の人や受け入れるお店のどちらにも相手へのリスペクトがあるなら両者が納得できる落としどころが見つかるでしょう。また、大企業にしても下請けや取引先に対してリスペクトがあったなら、絶対に「しわ寄せ」や「押しつけ」などしないでしょう。

リスペクトは人間関係に最も必要な心持ちです。

じゃ、また。




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