<核抑止論>

pressココロ上




先週は「スマホを買い替えた話」を書くつもりでしたが、戦争に関連する話に終始してしまいました。僕は自分でも不思議なのですが、小さいころから弱者とか戦争とか社会の不公平なことに敏感な性格でした。なにが理由か自分でもわかりませんが、気がついたときには変に正義感が強い性格になっていたように思います。

そんな僕ですので性懲りもなく、今週も戦争に関連する話を書かせていただきたく思います。僕は平均すると一日に1~2回程度のペースで「心に残る言葉」をツイッターに投稿しているのですが、それらはなにかの記事やだれかの投稿などを読んだ際に、気になった言葉を日々メモすることが基本になっています。

まさに「心に残った」のでメモしているのですが、先週あたりからその量が各段に増えています。おそらく終戦の日が近いことで、いろいろなメディアが戦争に関連する記事や投稿を載せていることが理由だと思います。戦争・終戦に敏感な僕ですので、心に引っかかる言葉に出会う頻度がどうしても高くなってしまいます。

メモをする「言葉」が増えているにもかかわらず、投稿は一日に1~2回ですのでおのずとストックが増えることになります。つい先ほどストックの量があまりに多いことに気づき、投稿する頻度を増やすことにしました。しかし、僕にはツイッターの投稿頻度を増やすことに躊躇する気持ちがあります。

僕はツイッターの投稿を一日に1~2回、ときたま3回と決めているのですが、その理由は投稿があまりに多いと「うざい」と感じる人が多いだろう、と想像するからです。つまり、僕自身がそうでして、たまに同じ投稿者が連続で出てきますと、それだけでその人の投稿に「怪しげ」さを感じてしまいます。今回、ツイッターの投稿回数を増やすのですが、嫌われることがないことを願うばかりです。

最近ツイッター社はロゴを変更しましたが、僕としては今の「X」よりも前の「青い鳥」のほうが好きです。ツイッターの評判が芳しくないことにつけこもうとFacebookが新しいアプリを作りました。ですが、評判が今一つのようで、実際、利用者が「一ヶ月で半減」したと報道されていました。

僕はSNSにあまり詳しくありませんので、下手に使って個人情報があからさまになるのを心配しています。ですので、ツイッター以外は利用していませんが、そのツイッターで幾つかの機能が損なわれているように思っています。

ツイッターにはアナリティクスという「分析ツール」がありますが、そこのロゴはまだ「青い鳥」のままです。それはいいのですが、そこに表示される「ツイート数」とか「インプレッション数」とか「プロフィールへのアクセス数」が正確ではないように感じています。後者2つはこちらでは確認のしようがありませんが、ツイート数は当然のことながらわかります。なにしろツイートをしている本人ですから。

そのツイート数が僕が実際に投稿している数よりとても少なく表示されますので、なにかトラブルが起きているのではないかと推測しています。そうしたことから、後者2つも正確ではないと考えています。本日は13日ですが、昨日まで1日に2回~3回は投稿していますので、本来ならアナリティクスには少なくとも「26回の投稿」と表示されるはずですが、「今月はまだツイートがありません」と表示されています。僕が疑いたくなる気分もわかっていただけると思います。

アナリティクス画面の「ホーム」画面の数字は正確ではありませんが、「ツイート」タブの数字は正確なような気がしています。ここには表示された回数が出てくるのですが、芸能人関係の投稿をしたときはその数字が格段に上がるからです。僕は基本的に「表示回数を上げる」ことではなく、「世の中に広めたほうがよい」ことを投稿する要因の一番に選んでいますので、表示回数の多寡は気にしていません。

ですので、あまりに専門的であったり堅い内容のときは一桁どころか「0」のこともありますが、それは全く気にしていません。そんな僕のツイッターですが、たまに「おもしろそう」と思う投稿もしています。それが「似ているシリーズ」ですが、生来の「受けたがる」性格がさせている投稿です。「似ているシリーズ」は映画を観ていて、特に韓国映画ですが、そこで偶然見つけた「似ている日本人」を紹介する投稿をたまにしています。持って生まれた性格で、「似ている」と思うと投稿せずにはいられない気持ちになってしまいます。(^_^)

「似ている人」は感じた瞬間に投稿していますのでストックはありません。ですが、最近ダントツに多い「心に残る言葉」のストックは、これまで書いてきましたように「戦争関連」です。その中でも、圧倒的に多いのは「戦争をしてはいけない」という内容です。こうした言葉が僕の心に引っかかるのは僕も同じ気持ちでいるからですが、こうした思いとは少しずつ気持ちが変わってきたと先週のコラムで書きました。

先週、「バランス オブ パワー」について書きましたが、この言葉と同列で最近使われているのが「核抑止論」です。「バランス オブ パワー」は「軍事力」のバランスですが、「核抑止論」は「核」のバランスです。相対する国家が核を持つことでバランスを取り「戦争を起こさせない」という論です。

平和を願う人たちは圧倒的に「核廃止論」を支持する人たちです。ですので、「核抑止論」に否定的です。世界からすべての「核」をなくすことが「世界平和への近道」と訴えていますが、ロシアのウクライナへの侵攻を見ていますと、そうした考えが現実的ではないように思えてきました。

なぜなら自分の気持ちは変えることができても、相手の気持ちまでは変えることはできないことがわかったからです。プーチン大統領にいくら「核廃絶」を訴えたところで、絶対に通じることはないでしょう。ほんの78年前、第二次世界大戦を経験し、日本が核攻撃を受けて悲惨な状況になったことを知っているにもかかわらず、「核で脅す」発言を繰り返しています。

21世紀の現在でさえ、このようなリーダーがいるのが現実です。そのような社会で「核廃絶」を訴えるのはあまりに危険なように思います。ウクライナはなにも悪いことをしていないのに、ロシアから侵攻を受けています。このような状況に鑑みますと、やはり「バランス オブ パワー」、「核抑止論」のほうが説得力が高いように思えて仕方ありません。

かつて55年体制の一方を担っていた日本社会党は「自衛隊反対」「安保反対」を掲げていましたが、一般の人でその主張に同意していた人は少なかったように思います。結局、その日本社会党は消滅してしまいましたが、一番の理由は「現実的ではなかった」からではないでしょうか。

戦争反対と叫んだところで、他国が侵攻してきたならどうするのでしょう。「戦争反対」と言いながら他国の奴隷になるのでしょうか。そうしたことをに真正面から答えられない「戦争反対」は支持を失うばかりのように思います。ただし、防衛であるにせよ「戦争」をする前に「意見を言う自由がなくなった」瞬間、その国家は負けたことと同じ状況になることも肝に銘じておく必要があります。

「意見を自由に言える」社会でいることが、「戦争をしない」ための第一歩です。先日の埼玉県知事選の投票率は23.76%だったそうですが、全国のこれまでの知事選挙で過去最低史上最低と報じられていました。「戦争をしない国」にするための第一歩は戦争をしない政治家を選ぶことです。それを思うとき、「23.76%」はあまりに悲しい数字です。

「軍事力」や「核」に対して、いろいろな意見があるでしょうが、どちらの意見を持っていようとも、共通して絶対に必要なことは、政治に対して「関心」を持っていることです。新しい「終戦の日」ができないために、一般の人が普段から政治に強い「関心」を持っておくことはとても重要です。

マザー・テレサに倣うなら、「戦争」の反対は「無関心」です。

じゃ、また。




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