<2022年本年もよろしくお願いいたします>

pressココロ上




今年最初のコラムです。本年もよろしくお願いいたします。新年を過ぎた当初に毎年困ることがあるのですが、それは書類などを書くときの年次の欄です。年次がすぐにわからず戸惑うことがあるからです。しかし、今年は「2」の数字が並んでいますので、すぐに頭に出てきます。今年はよい一年になりそうです。

さて、僕のコラムを長い間ずっと読んでくださっている方はご存じでしょうが、我が家はお正月には毎年「家族ボーリング大会」を開催しております。ですが、昨年今年とコロナの関係で催しておりません。と書きながら、昨年同じような文章を書いた記憶がありませんでしたので、昨年のコラムを確認しましたところ、昨年はなぜか「ボーリング大会」の開催について全く触れていませんでした。心の余裕がなかったのでしょうか。

それはともかく、2年も連続でボーリング大会を開催していませんと、もしかしたなら、これがきっかけでボーリング大会が消滅しそうな雰囲気がしないでもありません。僕も年を重ねてきており身体を動かすことを面倒に感じている部分もあります。今後どうなるのか、来年また考えたいと思います。

ボーリング大会は開催しませんでしたが、嫁いだ娘が旦那さんとやってきましたので、久しぶりにみんなで食事をしました。昨年妻が自転車で転んで腕を骨折したことは書きましたが、順調に回復しており外出するときにつけていた三角巾もしないで動けるようになっています。しかし、まだ完全に治ったわけではなく腕を上に動かすにはかなり痛みがあるようで一定の高さまでしか動かせないでいます。ですので、週に1回リハビリに通っています。

このように、少しずつ回復に向かっている妻ですので、お正月の準備は普通にすることができました。「準備」とはすなわちお正月料理を作ることですが、妻は(自分ではあまり自覚していないようですが)料理が絡むイベントがあるとき、心が興奮するようで量を多く作り過ぎる傾向があります。それほど人数がいないにもかかわらずたくさんの量を作ってしまいますと、食べきれず最後は捨てることになります。

料理を作るには、その前の段階として材料を揃えることが必要ですが、つまりその段階で量を抑制できたなら自ずと、「作り過ぎ」という失敗を避けることができます。「作り過ぎ」の兆候は年末の買い物の段階でわかりますので、その時点で僕が釘を刺しさえすれば失敗を防ぐことができます。これは長年一緒に暮らしてきた僕の知恵ですが、その知恵を実行に移すべく妻には年末に言い含めておきました。ですので、今年のお正月はちょうどよい量を作ることに成功しとても喜んでおります。

やはり、昔飲食業を営んでいた者としましては、食べ物を廃棄することにとて大きな抵抗感・罪悪感があります。また、年をとり段々と食べる量が少なくなってきた身としましても、食べ物の大切さを実感するようになっていますのでちょうどよい量を作ることの重要性が身に染みる体質になっています。

ボーリング大会を催していた頃は、大会のあとに初詣に行くのも慣例となっていました。ですので、毎年初詣は欠かしていなかったのですが、昨年はお参りに行っていないことを今年になって気がつきました。昨年ボーリング大会を催さなかったことが関係しているのですが、「あとで行こう」と思いながら初詣をし忘れていたのでした。

そうなりますと、その悪影響を考えるのが人間の性というものです。昨年妻が腕を骨折したのは「初詣に行っていないからだ」となり、僕が年末に痔が悪化し肛門科の病院に通院する羽目になったのも「初詣に行っていないからだ」と考えるようになりました。人間とは恐ろしいもので悪い方向に考えれば考えるほどドツボにはまるようにできている生物のようです。

そんな思いがある中で、新年がはじまって1週間が過ぎた昨日、たまたま一昨年まで毎年初詣行っていた神社の近くへお出かけしました。その走っている途中で「初詣」のことを思い出し、妻と二人で行ってきました。これで一応僕たち夫婦の今年の験は担いだことになり一安心です。子供たちはどうかわかりませんが、僕たち夫婦の今年は安泰間違いありません。 (^o^)

家族でボーリング大会を催している僕が言うのもなんですが、実は僕は家族といいますか、一族といいますか、親戚一同が集う行事が好きではありません。親子対抗ボーリング大会は親子限定ですので、それが僕の限界です。それ以上集うのには抵抗があります。そして、その理由は親戚が一堂に会する光景がその一族の権勢を誇示しているように見えて仕方ないからです。

政治の世界は権力闘争などと言われますが、権力の源は「数」です。どれだけ仲間がいるか、もっと厳格な言い方をするなら「自分の指示に従う人間がどれだけいるか」が重要な要素になります。さらにもっと俗な言い方をするなら子分の人数の多寡です。暴力団の発想とかわりあません。暴力団は人数がすべてで、人数が多い組が格上ということになっていますが、それと同じです。

暴力団と同じように政治の世界でも人数が重要視されます。政治の世界で人数とはすなわち派閥の大きさです。かつての自民党は派閥抗争を繰り返していましたが、それはまさに権勢の争いでした。そうした中で弱小の派閥の領袖である岸田さんが首相になったのは稀なことです。その一代前の菅さんがなれたのも時の運がよかったからに過ぎず、その前の安倍さんは最大派閥の実質的な領袖で、それが本来の首相の選ばれ方でした。

政治の話はさておき、妻と「僕は親戚が一堂に会するのは好きでなない」という話をしていたところ、僕が初めて妻の実家に挨拶に行ったときのエピソードを、妻が話し出しました。僕は結婚当初、妻の兄弟姉からあまり好かれていなかったのですが、その原因は僕が余計な一言を言ったからでした。

若気の至りが前面に出ていた、というよりも出過ぎていた僕は初対面の兄弟姉の方々に向かって「僕は、親戚づきあいが好きじゃないですよね」と言ってのけていたのでした。僕の口から発せられたその言葉を聞いたときの長兄の表情は今でも記憶に残っています。優しいお兄様でしたので、あからさまに嫌悪感は示さず聞き流してくれましたが、血縁関係を重要視する地方の方々が「嫌いになる」のも当然の発言でした。

嫌われるのがわかっていながら、それでも僕は自分の本心を出さずにはいられない性格でした。僕からしますと、地方の方々は血縁関係を重要視するイメージがありましたので、「最初に伝えて置いたほうがよい」と思っていたからです。あれから40年以上過ぎましたが、なんとか無事に親戚づきあいを続けていますので「若気の至り」の効果があったように思います。最初に、悪印象を与えておきますと、相手も「仕方ない」と思い、「ある程度の失礼は許される」と勝手に想像しています。(^o^)

最近の岸田首相を見ていますと、段々と強気の姿勢が顕著になっている感があります。岸田首相は立候補にあたり、当時幹事長の要職についていた二階堂氏を批判するような発言からはじめました。かなり刺激的な内容でしたが、それが功を奏したのは間違いありません。あの発言で一気に岸田氏の存在が高まったように感じます。

そして、年が明けてからは安倍首相との対決姿勢も鮮明にしているように見えます。かつての安倍首相の顔色を窺っているような雰囲気は微塵も感じられません。今年の参院選を乗り切ったなら長期政権も視野に入ってくるのではないでしょうか。

菅さんや安倍さんに比べますと、格段に「聞く力」および「説明する姿勢」を実行に移している姿は好感です。しかし、コロナ対応やそれに伴う経済対策、新しい資本主義なる経済社会の実現を誤まるならすぐに退陣に追い込まれる可能性もあります。政治の世界は「一寸先は闇」ともいいますので、是非とも頑張っていただきたいと思う新年です。

それでは本年もよろしくお願いいたします。

じゃ、また。




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