<for the チーム>

pressココロ上




 東武線の保安係の方に東京地裁で実刑判決が下されたことに不満です。不満を通り越して悲しいです。なぜ、いつも末端にいる現場の人に責任が押しつけられるのでしょう。会社側は踏切での作業実態について規定違反を認識していなかったと証言していますが、普通に社会で働いているビジネスマンは皆、その証言に疑いを持っていることでしょう。保安係の方に同情の気持ちを禁じえません。すると遠くから声が聞こえてきました。
「ビジネス社会なんて、世の中なんてそんなもんだよ…」
 故ケネディ大統領は言いました。
「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」
 これは今から40年以上前に大統領就任式で演説したスピーチの一節ですが、この言葉は「for the チーム」を端的に言い表していると思います。自分が属している組織、団体のために自分のできることで尽くすのが組織をよりよくし、それはまた自分自身にもよい結果となることです。
 スポーツの世界でもよく使われます。野球選手やサッカー選手が「自分の成績よりチームの勝利を優先させるために貢献する」と言えばその選手の評価は上がることはあっても下がることはありません。チームによる戦いの場合チームが勝たなければなんの意味もなさないからです。
 反対に個人の成績がよくてもチームの成績が芳しくない場合は「価値のない好成績」と言われてしまいます。現役ロッテ時代の落合選手は三冠王をとってもチームの成績は下位でしたので「チームが下位だから三冠王をとれた」などと陰口を言われていました。個人の成績はチームの結果に結びついてこそ価値があるということです。現在アメリカで活躍しているイチロー選手も同じような陰口を言われているかもしれません。
 陰でなにを言われようが、好成績を残した人は個人としてそれなりに評価されて当然です。好成績は個人の才能や努力があってのことだからです。しかし運悪く、もしくは傑出した才能や根性がないごく普通の人たちは世の中から認められることはほとんどありません。ましてやどんなに「for the チーム」の働きをしたとしても世間から評価されるのは難しいでしょう。しかし世間から評価をされなくともチームの一員としてチームのために働く人たちがいなければチームの勝利があり得ないことも事実です。
 かつて盗塁王としてならした選手はインタビューで話していました。
「自分が盗塁王になれたのは次打者のおかげなんだよ。彼は俺が盗塁するまでバットを振らなかった」
 盗塁王は得点圏に進塁することが「for the チーム」であり次打者は走者が盗塁するまで待つことが 「for the チーム」であり、そしてまた控え選手はいつでも交代できるように体調を整えていることが「for the チーム」です。この「for the チーム」精神がレギュラーはもちろん控えの選手さらにその下の末端の 選手まで浸透していることが勝利に結びつきます。早稲田大学ラグビー部主将もそう語っていました。強 いチームを作るには「for the チーム」の精神をいかにして末端の選手まで持ってもらうかが勝利へのカギです。間違っても末端の選手をないがしろな扱いにしてはチームが強くなることはあり得ません。
 ケネディ大統領の言葉に付け加えるなら
「祖国のために何ができるか考えたくなるような祖国にしてほしい」です。
 お気づきでしょうが、「あなた」と「祖国」はニワトリとタマゴの関係です。どちらが先かは本当に悩むところです。
 報道によりますと流通グループのイオンが「パートさんたちを組合に加える」ことにしたようです。組織 率20%の組合など意義がない、と私は思っていますので歓迎されるべきことです。しかし組合離れが進 んだ理由は労働者に「組合があってもなくても変わらない」と思われていることです。つまり役に立たないと思われていることです。そうした状況の中で東武鉄道の保安係の事件は組合の存在価値を表すよい機会ではないでしょうか。判決を知ったとき私は真っ先に「組合はなにをしているのだろう」と思いました。このような判決が出る前に現場から声が上がってしかるべきです。例えば署名活動などいくらでも方法はあるはずです。現場で働いている人たちの立場に立った行動をとってこそ労働組合の価値があるというものです。
 「あなた」と「祖国」は「個人」と「チーム」に言い換えられるでしょう。どちらが先に相手に与えるべきか本当に難しいところです。そういうとき私はサングラスをして黒い短パンをはいて黒いチョッキを着て叫びたくなります。
「チームって何? フォー ! 」
 じゃ、また。




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