<フェアプレー>

pressココロ上




 W杯決勝でジダン選手が相手DFに頭突きをして退場となった事件がありました。相手DFがジダン選手のシャツを幾度もつかみマークしていたことが発端となったようです。相手選手がジダン選手の身内を侮蔑した言葉を何度も吐いたことに怒った結果ですが、手の拳で殴るのではなく頭突きをしたあたりはサッカー選手の習性なのでしょうか。
 サッカーの試合を見ていて気になることがあります。それはフェアプレーに反する行為が多いことです。相手選手のユニフォームをつかむなどは日常茶飯事です。しかも「それくらいの反則は当たり前」といった認識が選手たちの間にあるようです。また、解説者が「あの場面ではファールをしてでも止める局面だった」などと話していることがありますが、サッカー界では「ファールも一つの技」であると考えているようです。しかし、スポーツマンシップという言葉があるようにスポーツはフェアプレーで試合をすることが本来の姿です。
 ヨーロッパではサッカー界において人種差別問題も起きているようですが、こうした問題はフェアプレー精神が失われていることが原因であるように思います。スポーツは人々に感動を与えますが、フェアプレー精神を欠いた試合は人々に失望しか与えません。
 今回の事件でFIFAは両選手から事情聴取をするようですが、これを機会にサッカー界がフェアプレー精神に立ち返ることを望みます。
 ファールはプレー中にルールを破ることですが、競技全体においてもファールはやってはいけないことです。報道ではセリエAが八百長問題で揺れているそうですが、八百長は最も重いファールです。そしてこうしたファールはサッカー界に限りません。メジャーリーグや陸上競技でもドーピング問題があります。これらも重いファールです。もしファールを少しでも許す気風があるならその競技は廃れてしまうでしょう。ファンがそっぽを向くからです。ファールをする理由は明らかです。勝ちたいからです。勝ちたいがために少しずつファールの範囲を狭め「少しくらいのファールは仕方がない」となってきたのが今のスポーツ界全体の姿です。「勝ちさえすればよい」といわれる風潮になってしまっています。
 高校野球の予選大会が各地で始まっていますが、高校野球の魅力はフェアプレーにあると言ってもよいでしょう。テクニックやスピード、体力ではプロ野球に敵いませんが、多くの観客が球場につめかけます。フェアプレーは人々に感動を与えます。
 スポーツ界での「ファールをしない」「フェアプレー精神」をビジネス界に当てはめるなら、それぞれ「コンプライアンス」「モラル」と言い換えることができます。企業はただ売上げを上げ利益を出して生き残っていくだけでは失格です。コンプライアンスを実践しそして法律に触れないだけでなくモラルという観点からも評価されるよう努めるのが本当の企業です。ビジネス界においてもフェアプレー精神が行き届くなら談合や独占禁止法などで摘発される企業はなくなるはずです。
 …と、書生論ふうなことを言っていますと周りから声が聞こえてきそうです。
「おい、円山。プロとアマチュアは違うんだよ。アマチュアは生活がかかってないからフェアプレーだけを考えていればいいの! でもな、プロは違うんだよ。生活がかかってるんだから。メシが食えなくなるんだよ、メシが。プロは厳しいんだぞぉ!」
 確かにそういう意見もあるでしょう。でもネ、僕は「技はプロでも精神はアマチュア」が理想だと思ってるんですね。こういうこと言う僕って
「甘チュアかなぁ」
 じゃ、また。




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