<あーたまぁ>

pressココロ上




 接客をしていますと最後に必ずお礼の言葉を言います。当然、僕もお客さまの帰り際には言います。
「ありがとうございました」
 ある日、いつものようにお客さまにお礼の言葉を言って見送りました。すると妻が問いかけてきました。
「今、なんて言った?」
「えっ、『ありがとうございました』って」
「うそぉ。『あーたまぁ』って言ってた」
「うんにゃ。『ありがとうございました』って言った」
「でも『あーたまぁ』にしか聞こえない」
 僕は活舌が悪いうえに早口なので「ありがとうございました」が「あーたまぁ」にしか聞こえないそうです。
 世の中には生まれながらにして活舌がよい人がいるものです。そういう人は特別に訓練や練習などしなくとも一言一言が歯切れ良くハッキリと流れるように口から言葉が出てきます。実に羨ましい…。
 昔、ラーメン店時代にもパートさんとして働いていたモリモトさんもその一人でした。どんなに早口でしゃべろうが一語一語がハッキリとしていて聞き取れました。僕からすると「すぐにでもアナウンサーになれる」のではないか、と思うほどきれいに話していました。
 モリモトさんは専業主婦でしたが、結婚前の職業はなんと社長秘書だったそうです。モリモトさんと話していますと教養や知識があり社長秘書にふさわしい雰囲気を持っていました。たぶん結婚前は立派なキャリアウーマンだったのでしょう。
 それに比べ僕などはきれいに話すことができませんので社長秘書などは絶対に無理です。僕は全体的に早口ですが、妻に言わせると
「ほかの人が聞いたらなにを言っているかわからない」
そうです。でも、「ほかの人」ですから妻にはわかるのです。そしてもう一人、娘にもわかるのです。うん、これが家族愛ですね。
 僕は息子もいるのですが、息子にはわからないようです。息子と話をするとき、近くに妻か娘がいましたら通訳してくれます。息子は外見は僕に似ていないのですが、「しゃべり」のほうは僕にとても似ています。早口で「なにを言っているかわからない」のです。
 人間は「生まれ育った環境に人格が左右される」となにかの本で読みましたが、正しく息子は僕の影響を受けています。僕という親の環境の中で育つことになってしまった息子には申し訳なく思っています。
 僕と息子の会話は「見もの」です。
 僕が「なにを話しているかわからない言葉」をしゃべり、そして息子も「なにを話しているかわからない言葉」を返すのですから大変です。二人の会話には必ず数秒の沈黙があります。そしてこの数秒の沈黙は二人にとってはなくてはならない時間なのです。この数秒の間に考えているのです。自分が話す内容を考えているのではなく、相手がしゃべった内容を考えているのです。簡単に言うなら推測している時間です。お互いに怪訝そうな顔で相手の口元をじっと見据え唇の動きで相手の話した内容を推測しようとしています。ときに推測が外れたときは悲惨です。親子二人が全く違う話をしているのですから…。
 僕の娘は実に気配りのできる子どもです。僕と息子が話しているとタイミングよく僕たちに聞いてきます。
「今、なんて言ったかわかった?」と。
 僕は願っています。妻には僕や息子より長生きしてほしいですし、娘には息子が結婚するまでは嫁いでほしくない、と。
 僕が「早口でなにを言っているのかわからない」のにはそれなりに理由があるのです。1つの理由は入れ歯のせいです。部分入れ歯なのですが、口の中に異物があると舌がうまく回らないのです。入れ歯ってホントに不便ですから若い皆さんは自分の歯を大切にしてください。そしてもっと大きな理由は「話す」という作業が面倒臭く思えしまうのです。頭に浮かんだことを全部しゃべるのが面倒なのです。
 例えば
「社会保険庁の幹部が収賄容疑で逮捕されたけどホント頭にくるよなぁ。あの人たちは自分たちが悪いことをやってるって意識がないんだな。だいたい、収めた年金保険料の記録がなくなってるなんて常識じゃ考えられないよ。社会保険庁の人たちは真面目に真剣に仕事をしてないんじゃないの。これじゃ将来、年金がもらえるかどうかわかりゃしないよ」
 というのを
「社会保険庁、頭くる、記録、真面目、ない、わかりゃしない」
と言うだけで相手に話の内容が伝わるのが僕の理想なのです。でも無理ですよねぇ。
 実は、僕は悪筆でもあるんです。これも早口と関係がありまして、文章を書いているときに次に書く文章の内容が頭に浮かんでくるからなのです。早く書かないと、せっかく浮かんだ内容を忘れてしまうのです。ですから僕の字はほかの人では読めません。僕は「脱サラ体験記」を公開していますが、これは僕の手書き文章を娘がパソコンで打ってくれました。僕が言うのもなんですが、あの「なにを書いてあるかわからない」文字を娘はよくぞ読めたものだと感心しています。
 できたら早口も悪筆も直したいのですが、もうこの年令では遅いですよねぇ。
 ところで…。
 僕がどんなに一生懸命「ありがとうございました」と言っても「あーたまぁ」としか聞こえないらしいので僕は考えました。それならいっそのこと…。以来僕はお客さまに言っています。
「あーたまぁ」
 
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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