<つけいる>

pressココロ上




 先日、知人から電話がありました。知人の25才になる息子さんの自動車事故についての相談でした。自動車事故と言いましても知人の息子さんは自転車に乗っていての事故です。幸い身体的には無事だったのですが、自転車の破損は著しく乗れる状態ではなくなってしまったので新しい自転車を購入したそうです。
 おおよその事故の様子は次のようなものです。
 息子さんが走っていた道は細い道でその道より広い道を横切る際に起きました。息子さんは道を横断するときに車が来ないのを確認して道路を横断しようとしたのですが、実際は車が進行していたことになります。息子さんの話では運転して人は60才くらいの男性だったのですが、その男性は「自転車は一時停止もせず道路に侵入してきた」と主張していたようです。車には娘さんらしき人が同乗していたそうで、その娘さんがヒステリックに息子さんに「責任はあなたにある」と早口でまくしたてたそうです。
 結局、息子さんは警察からの事情聴取を終えたあと相手方とはその後の対応を細かく決めないまま別れたそうです。
 ここまではよくある話ですし、僕の娘も昨年自転車に乗っていて同じような状況で事故に遭っています。娘の事故は相手の方がオートバイでしたが、相手の運転手の方は会社の上司の方も一緒に「お見舞い」にみえ話し合いはスムーズに進みました。相手とのコミュニケーションも気持ちよく清清しい気持ちで示談を終えることができました。
 しかし知人の息子さんの場合は相手の方が全く正反対な対応だったようです。
 事故から約1ヶ月を過ぎた頃、相手方から手紙がきました。内容は「事故で車のバンパが破損し修理したので弁済してほしい」と書いてあったそうです。わざわざ修理請求書のコピーと破損したバンパの写真まで同封されていました。知人はその手紙の内容にとても憤慨して僕に電話をかけてきたのでした。
「普通、自転車と車がぶつかったら車のほうが悪いだろ」
 確かに「普通」はそう考えます。もし僕が自転車と事故を起こしたならやはり娘の事故のときの運転手の方のように自分が加害者として謝罪の行動をとるでしょう。そうすることが一般的です。しかし知人の息子さんの相手は違いました。では、なぜそのような「強気な」対応をしたのでしょう。いや、対応をとれたのでしょう。
 それは「ズルイ」からです。
 知人によりますと相手方からの手紙には、知人の息子さんが事故現場で「自分に非がある」と認めたことが書いてあったそうです。知人の息子さんの性格はおとなしいらしいのですが、相手の車に同乗していた娘さんらしき女性にまくしたてられたまま「自分の非」を認めたような形になっていたそうです。相手方は息子さんの「おとなしさ」に乗じてこのような「強気の」手紙をよこしたのでしょう。息子さんが「自分の非を認めたこと」に「つけいった」わけです。本来は、息子さんは「毅然とした対応」で「自分の非」については反応をするべきではありませんでした。「自分の非を認めた」という弱みを相手に握られたのが間違いの元でした。
 世の中には相手の弱みに「つけいる」「つけこむ」ことで自分を有利な立場にしようと考える人種が少なからずいます。これは人間関係に限ったことではありません。
 企業間においても強い立場の企業は、その立場を利用して取引先に無理強いすることがあります。たとえば先日新聞に載っていましたが、大手ディスカウント店がメーカーに店員を派遣することを強要したり、大手スーパーが協賛金として金銭を求めたりしています。メーカー側としては「もし断ったなら」取引きを中止されてしまいますので従うしかありません。このように相手の「弱み」につけこみ自分の要望を果たすことだけを考えている企業は必ずやその報いがくるはずです。…「くる」と思います。…「くる」んじゃないかな…。…「くる」かもしれません…。
 最近、世界を揺るがせている「サブプライムローン問題」は元々は米国の住宅ローンの問題でした。「ローン」すなわち「借金」ですが、「借金」はもちろん借りるほうが弱い立場です。
 先日の経済誌に乗っていたのはその借金についての金融機関の問題点でした。
 僕は初めて知ったのですが、みなさんは「両建て預金」という言葉をご存知でしょうか? 企業が金融機関から借金をするときにその一部を金融機関に預金させられることです。こうした慣習は昔から行われているそうですが、せっかく金融機関からお金を借りることができるのにその全てを使えないなら借りる意味がありません。仮に金利が低かったとしても全ての融資金が使えないなら実質的な金利は高くなってしまいます。これなどは明らかに「弱み」に「つけこんだ」慣習です。金融機関で仕事に従事している方々はなんの疑問も感じないのでしょうか。
 相手の弱みに「つけこんで」ものごとを進めるのは決して褒められた行為ではありませんが、その線引きはとても難しいものがあります。
 僕も問屋さんに仕入れ値の交渉をすることがあります。できるだけ安い価格で仕入れたいと思うのは当然の性です。しかしあまり「度が過ぎると」やはり強い立場を利用した行為であり褒められたものではありません。幸いと言っていいかどうか僕の場合は個人の小さな店舗ですので「強い立場」とはいえないのが救いです。
 僕の場合は小さな店舗ですから「救い」の部分がありますが、それなりの規模の場合はやはり仕入れ値の交渉には慎重さが必要です。そこに「つけいる」といった要素が入っていないかどうか常にチェックする必要があります。
 僕は知人に次のようにアドバイスをしました。
 まず、相手の一方的な要求にはきちんと反論をして自分の主張を伝えること。そして「保険会社を通して話を進めるよう」相手に求めること。
 しかしこのような相手は簡単にこちらの要望を聞き入れてくれるとは限りません。そこで僕は昔の妻の事故について話しました。
 今から20年ほど前、妻は自転車に乗っていて運行バスと事故を起こしました。バス会社には事故担当の方がいますので早速連絡がきました。担当者は言いました。
「自転車でバスに傷がついたので修理費を払ってほしい」
 知人の息子さんと同じです。当時はまだ僕も保険の知識がありませんでしたのですぐに感情的になり、何度か声を荒げた対応をしてしまいました。僕としては「自転車の修理をしてもらえる」ものと思っていましたので反対に補償を求められたので感情的になったのです。
 しかし担当者は専門家ですので慣れたものです。全く動じるふうもなく同じやりとりを繰り返すだけでした。いつまで経っても埒があきませんので僕は警察に相談することにしました。
 普通、自動車事故に関しては警察は事故調査・確認はしますが、当事者間に介入はしません。いわゆる民事不介入の原則です。しかし、事故調査が終わったあとに、僕の知る限り必ず、担当した警察官の名前を告げ「なにかあったら連絡をください」と言ってくれます。
 ラーメン店時代に親しくなった問屋さんの配達の人は自動車事故を起こし相手方から執拗に治療費を請求されていました。困ったこの方はやはり警察に相談に行きました。相談を受けた警察の担当者は相手方に話をしてくれその後請求はこなくなったそうです。僕の妻のケースでも同じように落ち着くところに落ち着きました。みなさんも交通事故で困ったときは警察に相談してみましょう。きっと力になってくれます。
 
 どんな取引きや交渉ごとでも相手のミスや弱みに「つけいって」もしくは「つけこんで」勝利を納めたとしてもその「勝ち」は決してよい未来を描くことはないでしょう。実際はどうかはともかく少なくとも僕が賞賛することはありません。僕的には今の民主党の対応はその類いに感じられます。
 僕に賞賛されてもなんの得もありませんが、みなさん、取引きや交渉ごとは正々堂々と真正面から挑みましょう。
 ところで…。
 今週のコラムを書いていましたらなんとなく「つけいる」を英語で書いてみたくなりました。
   「tokale」
 なんとなく英語っぽくていいでしょ!
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!





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