<使いまわし>

pressココロ上




 とうとう船場吉兆が廃業に追い込まれました。あれだけお客様の信頼を裏切っていたのですから当然かもしれません。街中インタビューでは「遅すぎる」といった意見もあるほどですから驚いた方はほとんどいなかったのではないでしょうか。
 僕が見たニュース番組では「廃業のニュース」を伝えたあとに、飲食業に携わる人たちにアンケートをとった結果を報じていました。
「今までに使いまわしをしたことはあるか?」
 というアンケートでしたが、約4割の答えが「ある」というものでした。さて、皆さんはこの結果をどう受け止めるのでしょうか?
 たぶん多くの人が噂や又聞きで一度は「飲食店の使いまわし」を聞いたことがあると思います。僕も昔のことですがお鮨屋さんで働いている若い人から聞いたことがあります。それでもそれほど深刻な気持ちにはなりませんでした。「まぁ、あっても不思議ではないよなぁ」という程度です。
 しかし、それはあくまで庶民的な店についての感想です。船場吉兆ほどの高級料理店での「使いまわし」は許されるものではありません。それは「高級」料理店と謳っている店の社会的責任の重さからきます。
 そもそも一般の人が高級料理店に憧れるのはその雰囲気に触れてみたいからです。味が「ホンモノ」か「ニセモノ」かについては判断はできません。その証拠に今回の騒動が表面化したのも内部告発が発端です。結局のところ、今まで船場吉兆で「使いまわし」された料理は「ニセモノ」だったわけですが、お客は「使いまわし」を見抜けなかったことになります。たぶん、多くの人が「さすが、高級料理店の味は違うな」などと感心していたのではないでしょうか。そういう人に限って今回の騒動は「許しがたい」などと憤慨しているかも知れません。
 もし庶民的な店で「使いまわし」が表面化してもそれほど大きな問題にはならないでしょう。お客のほうでもたとえその事実がわかったとしても「しょうがねぇなぁ」、もっと大らかに「そうしないと儲からねぇよな」といった程度の感想しか持たないように思います。それこそが庶民的な店の真骨頂です。
 先ほど、味について「ホンモノ」と「ニセモノ」と書きましたが、僕は味に「ホンモノ」と「ニセモノ」があるとは思いません。味は個人の好みでしかありませんから当人の感覚で感じたことがその料理の評価です。万人がおいしいと思う味はありません。雑誌などで「おいしい店」と紹介される店がありますが、本当は意味のないことです。
 僕はビジネス関連の本を読むのが趣味ですが、本屋さんなどの棚を見ていますと似たような題名の本がたくさん並んでいます。また、内容についても過去に書かれていたことと同じものがあり真新しいとは言えないものもたくさんあります。知識の「使いまわし」と言ってもいいでしょう。
 しかし、視点や角度が違うなら過去に書かれていたものと同じ内容であってもその本の価値はあると思います。若い方がその本の内容を初めて知るなら、僕にとっては過去に読んだことがある内容でも、若い方にとっては新鮮なのですから若い方には「ためになる」こともあるはずです。
 かつてはIT経営者の寵児とまで言われた堀江氏も今は裁判中の身です。なぜ、急にこんなことを書くかと言えば古書店で堀江氏の本を見つけたからです。堀江氏の絶頂期に書かれた本がたくさん並んでいました。当時堀江氏は多くの経営書を書いていたようです。多くの若手経営者から支持されていた堀江氏も現在では誰も振り向きもしないでしょう。経営者としての堀江氏は「ニセモノ」だったことになります。しかしこうした評価の変遷も堀江氏に限ったことではありません。
 古書店には元ヤオハンの社長である和田一夫氏の本もありました。和田氏も堀江氏と同じように絶頂期には自らの経営ノウハウを多くの本やマスコミなどで主張していました。しかし現在ではやはり表舞台から消えています。このような経営者はとても多いのです。
 このような例をたくさん見ていますと、完全無欠な経営者などいないように思えてきます。第一線を退き引退するまで失敗や汚点が全くなかった経営者でも引退後に現役時代の過ちを指摘されたり表面化することがあります。それは評価の仕方が時代により変わることも含めてのことです。
 僕は、思うのです。ある経営者が「ホンモノ」か「ニセモノ」かを詮索することは意味のないことではないか、と。経営者として「ホンモノ」であろうが「ニセモノ」であろうが一人の人間として尊敬できるかどうか、で判断すべきものです。たとえ後年「ニセモノ」と評価されても尊敬できる人間性、もっと単純に言うならその人が好きなら個人的に評価してあげればよいのです。
 同じように、出てきた料理が「使いまわし」であろうがなかろうかも詮索する意味がないと思います。「使いまわし」であろうがなかろうが食べて満足するなら「おいしい」と思えばよいのです。しかしだからと言って「使いまわし」をしてよいというものでもありません。「使いまわし」をしていけない理由は、する側の心が傷つくからです。企業であれば法人としての心が、そしてそこで働いている人間の心が…。心に傷を持ったまま人生を過ごすことほど苦しいことはないはずです。
 ところで…。
 先日、妻が調べものをするためにネットを見ていました。知りたいサイトが見つかり一生懸命画面を食い入るように見ていました。文字が小さいようで顔を近づけ意識を集中して読んでいました。そのとき僕は娘となにかの話で盛り上がり二人して大声で話し笑っていました。すると妻は僕と娘の声が文字を読むのに妨げになったようで険しい顔で僕たちに向かって叫びました。
「ちょっっとー! 聞こえないー!」
 この妻の言葉を聞いて僕と娘は顔を見合わせまたまた大笑いしました。
 妻はそのとき文字を読んでいたのですからこのときの正しい台詞は「聞こえないー!」ではなく「うるさいー!」なのです。
 あのぉ、今週のこのオチ。実は「使いまわし」なんですけどわかりました?
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする