<正解>

pressココロ上




 いやぁ、年はとりたくないものです。先日読んだ本。終わりのほうまで進んでやっと気がつきました。
「この本読んだの2度目だ」
 読み始めたとき、なんとなく「前にも同じような文章があったよなぁ」とは少し思いました。しかし、「まぁ、気のせいだろ…」と勝手に決めつけて読み続けました。そして読み進んでいる間は「2度目」とは思わなかったのです。それが最後になって印象に残っているエピソードが書かれている箇所になってやっと「2度目」であることを確信したのです。ああ、無駄な時間を費やしてしまいました。
 やはり、自分が気に入る本の題名とはあるもので…、そうでなければ同じ本を買ったりするわけがありません。人間って狭い世界に生きている生物ですね。
 そんなことを後悔しながら先日読み終わったのが女優の有馬稲子さんの自伝です。僕は基本的にノンフィクション系が好みです。作られた世界より生身の人間の軌跡を知りたいと思ってしまいます。「事実は小説より奇なり」と言いますが、たとえ「奇」ではなくとも事実というだけで価値があるように思います。作られたものでは感動も薄れるというものです。
 有馬さんは戦後に活躍した女優さんですので若い方はほとんど知らないでしょう。僕でさえ全盛期を知りませんから当然です。最近の有馬さんの動向を見かけるのは、テレビ欄でたまに2時間ドラマに主演しているくらいです。
 僕がこの本に興味を持ったのは戦中戦後を生きた人は、特に有名人として活躍した方たちは戦争という悲惨な状況の中で凄まじい人生を送っていたのではないか、と思ったからです。読み終わった感想としては、やはり一般人では想像もできない体験をしていました。その人生力にただ脱帽するばかりです。
 本の中に印象に残る文章がありました。有馬さんは宝塚を卒業したあと映画界で活躍しその後演劇界に進んでいます。そうした体験の中で演技の師匠となる人との出会いが幾度かありました。そのひとりに演劇界の重鎮と言われる方がいたのですが、その方の主宰する劇団で有馬さんは演技の基礎について学んでいました。
 有馬さんはそのときの様子を綴っているのですが、その劇団では演技をする際にその理由や背景について突き詰めて考え込みながら役作りをするそうでした。有馬さんはそれまで、役に扮するに際して「なぜ?」「どうして?」などと台詞や動きに「意味を考えて」役作りをした経験がなかったのでとても「新鮮で勉強になった」と書いています。
 僕は、本の中でこの箇所が印象に残ったのですが、それには理由があります。有馬さんの本を読み終える2日前にある中堅男優の方が、全く正反対の考えをコラムに書いていたからです。つまり、俳優が役に扮するのに「意味などない」ことが正解である、とその男優の方は綴っていました。
 有馬さんは演劇の世界で、そして男優の方は映画の世界での考えですので主張することが異なっていても不思議ではないのかもしれません。しかし、素人の僕としては演技という意味では違いはないように思いますので二人の考えが違うことが気になって仕方ありません。
 男優のコラムは、朝日新聞に書いていたものですがの読んだ方もいらっしゃるかもしれませんが、読んでいない方のために簡単に紹介します。
 その男優の方は若い頃、演技をするときに監督にその台詞を言う意味や意図などを質問していたそうです。そのときの自分の心模様を男優の方は「演技について」考えている「ポーズ」をとる自分に酔っていた、と述懐しています。ところがある監督と仕事をしたときに「演技について」の「意味を聞いた」ところ、「意味はない」と答えられたそうです。そのときにその男優は「目から鱗が落ちた」ようで、「ポーズ」をとっている自分を恥じたと語っていました。
 大まかに言いますと、このようなことが書いてあったのですが、人間が「ある行為」をするときに、いつもいちいち「意味」を考えて行動などしていない、という監督の考えも納得できるものがあります。
 それにしても、演技に対して片や「意味を重要視」し片や「意味を考えない」と主張しているのはとても興味深いものがありました。
 演技について素人どころかそれ以下の僕が言うのもおこがましいですが、たぶんどちらも「正解」なのではないでしょうか。その理由はどちらも存在感のある俳優であり、どちらも名俳優と言われているからです。その両者が主張するのですから正反対の意見ではありますが、どちらの意見も間違っているとは思えません。このように考えますと、正解とは各人おのおのにあるのではないでしょうか。
 本屋さんのビジネスコーナーに行きますと、たくさんの本が並んでいます。経営に関する本や自己啓発本などいろいろあります。そしてそれらの中には正反対のことが書かれていることもままあります。そうした状況を見ていますと、僕はつい考えてしまいます。
「若いビジネスマンの人はいったいどうした本を手にするのだろうか?」
 若いビジネスマンの皆さん、本を選ぶときは柔らかい頭で選んでください。凝り固まった一方に偏った本ばかりを選ばないでください。もしかしたらあなたが選んだ本は正解ではないかもしれません。ある正解が書いてあったなら反対の正解が書いてる本も読んでみてください。そしてあなたが正解を決めてください。正解はあなたが決めるべきものです。
あなたにとっての正解はあなた自身で見つけてください。
 先日、当店に業務用冷蔵庫の営業の方が来ました。年の頃は20代後半でしょうか。いろいろな話をしたのですが、その中で「自分は中途で転職したばかり」と話していました。そういうとき僕は突っ込んで聞くのが好きなのですが、転職の理由を尋ねました。
 前職は不動産業で「投資用ワンルームの販売」をしていたそうでした。その会社を退職した理由は「将来が見えなかった」からと最初は話していましたが、さらに詳しく尋ねますと会社が「胡散臭い」感じがしたからだそうでした。その言葉から僕が感じたニュアンス的には「いかがわしい会社」というふうにとれましたので、僕は言いました。
「それ正解ですよ」
 先ほど書きましたように、正解は各人それぞれにあって然るべきですが、それでも一つだけ普遍的な正解はあります。それはその正解が社会的にも正解であることです。これが伴わない正解は決して正解ではありません。
 ところで…。
 先日、僕のところにも社会保険庁から「ねんきん特別便」がきました。僕は会社勤めが2回でそれ以外は個人事業主ですので確認は簡単に済むと思っていました。ですので会社員時代の厚生年金がきちんと記載されているかだけを確認しました。内容を見ますと、ちゃんと記載されていましたのでなんの問題もないようでした。
 その数日後、妻にも「ねんきん特別便」が届きました。妻が内容を確認しますと、厚生年金の記載が漏れていましたので不安になり内容を丁寧に確認しました。すると、国民年金の納付済月数が少なく記載されていました。僕たち夫婦は今まで二十数年間、一度もサボることなく毎月きちんと国民年金を納めていましたので納得できません。
 それで心配になり僕の国民年金の納付済月数を見直してみますと、なんと僕の納付済月数も誤っていました。そこで二人の年金を見比べるなどいろいろ調べた結果、以前住んでいた市町村の約5年間分がそっくり漏れていることがわかりました。
 結局、漏れている分を訂正して送り返すことにしたのですが、年金の管理の杜撰さにはあきれるばかりです。みなさんも「ねんきん特別便」が届きましたら必ず内容を細かく確認しましょう。生活を切り詰めながら頑張って納めている保険料が給付金に反映されないならこんな損なことはありません。
 公的機関は信用なりませんから、年金の「正解」も自分で見つけるしかありません。
 じゃ、また。
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