<先生>

pressココロ上




 僕は子供の頃、塾に通ったことが2度あります。小学4年生のときと中学2年生のときです。もう遥か昔のことなので正確な記憶は忘れてしまいましたが、どちらも1年間ほどでやめたような気がします。理由は勉強が好きではなかったからです。
 小学4年生のとき、塾に行くことになったのはクラスメートの母親が塾を開いていたからです。そのクラスメートの家に遊びに行ったときにそのお母さんに「円山君もウチの塾に来ない?」と言われたのがきっかけです。僕は行っても行かなくてもよかったのですが、一応家に帰ってお母ちゃんに話してみたらお母ちゃんは「それはいいことだ」と喜んで塾に通わせてくれました。
 僕のお母さんは、僕が「頭のいい子」と仲良くなることをとても喜ぶタイプの母親でしたので願ったり適ったりだったのでしょう。
 実は、僕にとってもこの塾に通ったことはとても意味のあることでした。それは僕が「割り算」をできるようになったからです。その頃、僕たちは学校で生まれて初めて「割り算」というものを習いました。しかし、僕はどうしても割り算ができなかったのです。「割り算」の意味がよくわからず、そして僕にとっては「意味がわからない」ということは「割り算の計算のやり方」を受け入れることも拒否することでした。ですので「割り算のやり方」も全くチンプンカンプンでした。本来なら「割り算の意味」など関係なく単純に「割り算のやり方」を覚えればよいことなのですが、どういうわけか僕は「意味がわからない」という理由で「割り算のやり方」を覚えることに対して拒否反応を起こしていたのでした。
 学校というところは一学級40人以上も生徒がいますので先生は一人ひとりにつきっきりで構うことはできません。そうなりますと当然落ちこぼれる生徒も出てきます。僕は「割り算」に関してその落ちこぼれになりそうな瀬戸際にいました。
 しっかりした子供ならわからないことは自分で勉強したり親に教えてもらったりするのでしょうが、あいにく僕はそういうタイプの子供ではありませんでしたのでわからないこともそのままにしていました。当然、割り算のテストはいつもクラスで最低でした。というか「割り算のやり方」がわからないのですから0点でした。そのような状態のときに塾に通うことになったのでした。
 塾の先生、つまりクラスメートのお母さんですが、先生は僕が割り算の計算が全くできないことをすぐに見抜きました。当然です。割り算の練習問題で正解が一つもないのですから。すると先生は丁寧に「割り算の意味」を教えてくれました。それはそれは丁寧に教えてくれました。僕がわかるまで粘り強く教えてくれました。すると驚くことに僕はたった一日で割り算の計算ができるようになったのです。
 もしあのとき塾に通わないでいたなら「割り算ができない」ことで最悪の小学校生活を送るはめになっていたかもしれません。クラスメートのお母さんは「生徒数を増やすため」に僕を誘ったのかもしれませんが、僕にとってはとても大きな分かれ道でした。
 中学のときの塾は、周りの友だちのほとんどが塾に通うようになっていましたので母親が心配して塾を見つけてきたのでした。このときの塾で記憶に残っているのは休み時間に近くの公園で遊んだことや塾の帰りにいつもおでん屋さんでチクワを食べたことです。
 この塾での勉強に関しての記憶はほとんどないのですが、ただ一つ強烈に印象に残っていることがあります。それは「先生用の参考書がある」ことでした。
 塾では大学生くらいの大人が先生として塾生に教えていたのですが、塾が終わったあと先生は「先生用の参考書」を見せてくれました。塾の先生の話のよりますと、学校の先生も同じ参考書を使っているそうでした。「先生用の参考書」は授業で使う教科書の倍くらいの量があり、とてもわかりやすく丁寧に書いてあることに驚きました。そのとき僕は思ったものです。
「これさえあれば学校の授業なんか受けなくても自分ひとりで勉強できるじゃん…」
 それ以来、僕はしっかりした参考書さえあれば「勉強は自分ひとりでもできるもの」といった確信のようなものを持つようになりました。それほど「先生用の参考書」の存在は僕にインパクトがありました。
 僕が中学生くらいの頃は参考書のことを「アンチョコ」と言っていたような気がします。どんな字をあてていたのかも忘れてしまいましたが、参考書は「アンチョコ」でした。
 先生用のアンチョコの存在を知り、僕は学校の先生たちも「先生用アンチョコ」を下敷きにして授業をしていると思うと不思議な気がしました。それならいっそのこと「先生用のアンチョコ」を生徒たちに配布したほうが効率がよいように思ったからです。もし、学校の先生たちが自分で工夫することなく、ただ「先生用アンチョコ」をなぞっていただけなら先生の先生としての価値がなくなってしまうような気がします。
 先生と呼ばれる職業は学校以外にもあります。例えば政治家。そして政治家にもアンチョコがあります。記者会見などで大臣が官僚が作成した文章をただ読んでいるだけのように感じる場面がありますが、あの姿は正しく「先生用アンチョコ」をなぞっているだけです。それでは学校の先生同様、政治家の政治家としての価値がありません。アンチョコなどに頼らず自分で勉強をし意見を述べられる人が本当の意味での先生です。新聞などを読んでいますとすぐにでも選挙がありそうな流れになっていが、是非とも、本当の意味での先生を選びましょう。
 ところで・・・。
 僕は社会人になるまで結局、学校と言われるところに16年間通いました。その間、いろいろな先生たちに出会いましたが、その中にはいろいろな性格、人格を持った先生がいました。尊敬できる先生、好きな先生。反対に首を傾げたくなる先生、好きになれない先生。
 子供にとって学校の先生の存在はとても大きなものです。大げさに言うなら、先生が子供の将来を決めると言ってもよいでしょう。それほど子供に多大な影響を与える先生ですので、単に「先に生まれた」だけの先生でなく、「先を生きている」先生であってほしいものです。
 じゃ、また。
サイトトップへ




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする