<鶴の一声>

pressココロ上




 もう20年以上前のことですが、当時僕は平日の深夜にはテレビ朝日のトゥナイトという情報番組を毎晩見ていました。確か、視聴率も高いほうで映画監督の山本晋也監督などがレギュラーで出演していました。
 レギュラーにはタレントの乱一世さんもいました。乱さんはテンポのある話し方が心地よく、番組内では既にベテランの立場にいて番組を盛り上げていました。番組の進行においても司会者から頼りにされている存在でもありました。
 そんな乱さんですが、ある日の番組中に不用意な発言をしてしまい番組を降ろされてしまいました。その不用意な発言は、自らの担当コーナーで取材を報告しているときに飛び出しました。
 担当しているコーナーの途中でCMが入る場面に差し掛かったときに、視聴者に向かって
「それではトイレに行きたい方はCMの間に行ってきてください」。
 僕が見ていた感じでは、乱さんの言葉にはそれほど深い意味はなく、もちろん悪意などなく、単なる話の流れの中で発せられた言葉だと思います。ですが、その影響はかなり大きかったようで、スポンサーの怒りを買ってしまったようでした。
 冷静に考えてみますと、スポンサーの怒りも当然です。CMを視聴者に見てもらうためにナン千万円の広告料を支払っているのに、その広告を無視するような発言をされたのではたまったものではありません。
 僕は社会人になってから給与をもらうよりも、自営業者としてお金を得る機会のほうが多いので、「誰がお金を出してくれるているか」にとても敏感です。例えば、ラーメン屋ならお客様がお金を出してくれるから仕事が成り立ちます。この構造はどこの業界でも同じで、民間企業であるならお金はお客様からいただくものです。そして、企業はそれを得るために死に物狂いで努力・工夫をします。
 しかし、お金を出してくれる人に直接接しない仕事ではつい経済の構造を忘れがちです。乱さんもその一例でしょう。給料か報酬かわかりませんが、収入を直接スポンサーからもらうわけではないはずですから、スポンサーをないがしろにする発言が飛び出したのだと思います。もし、直接スポンサーから収入をもらっていたなら、絶対に口から出ない乱さんの発言でした。
 ですが、こういった例はたくさんあります。民間企業でない場合は特に多いでしょう。こういったときに必ず槍玉に上がるのが公務員ですが、公務員は給料を直接国民や住民からもらうわけではなく、税金という形で一度クッションをおいてからもらいます。ですから、誰からお金をもらっているか実感が湧きません。民間企業におけるお客様にあたる人が公務員にとって誰なのか忘れがちな職種といえるかもしれません。
 現在、国会では事業仕分けが行われていますが、その模様を見ていますと、いかに公務員が国民というスポンサーに対して鈍感であるかがわかります。国家の収入が落ち込み「火の車状態の財政」について頭を悩ませているときに、自分たちの待遇のことだけを考えている感覚は乱さんの勘違いと全く同じです。乱さんの場合と同様に考えるなら、公務員の方々は仕事から降ろされるべき今の状況です。しかし、そうした状況を許している民主党にもふがいなさを感じるのは僕だけではないでしょう。
 それにしても、出演しているタレントを鶴の一声で降板させるスポンサーの力はすごいものがあります。
 先々週から、その「鶴の一声」がマスコミを賑わせています。巨人のGMである清武氏が親会社である読売新聞会長・渡辺氏の「鶴の一声」に意義を唱えた会見です。結局、役職を解任されてしまいましたが、どこの世界でも「鶴の一声」の力は絶大なようです。
 実は、僕は清武氏の行動を支持していません。なにも渡辺氏の「鶴の一声」は今に始まったことではありません。そのことは清武氏も充分に知っていはずです。それを今になって会見まで開いて批判するのは、自分の意見が通らなかったことに対する単なる鬱憤晴らしにしか映りません。それを「ガバナンス」などという経営用語にくるんで批判するのは僕の気持ちを冷めさせます。
 「コーポレートガバナンス」の面でいうなら、明らかに桃井氏や渡辺氏の主張のほうが筋が通っています。企業において統治はトップがするのが当然です。もし、それが守られないならそれはガバナンスが行われていないことを意味します。そのような企業が経営を行えるはずがありません。たとえ、「ワンマン」であろうと「独裁」であろうと、その形でガバナンスが行われているならそれを守るべきです。もし、それが間違っていると思うなら辞職すべきです。
 このように言いますと、僕が「ワンマン」「独裁」体制を認めているように感じるかもしれませんが、決してそうではありません。「ワンマン」「独裁」の弊害は大王製紙の例を見ても、オリンパスの事件を見ても明らかです。しかし、批判するなら、その企業から給料をもらっている立場にいてはいけません。それが自営業者が長い僕の信条です。
 自営業者はちっちゃな規模ですが、「ワンマン」であり「独裁」です。ほかの人がいないのですから、そうならざるを得ません。ですから、全ては自分の責任になります。僕が「ワンマン」「独裁」を一方的に批判しないのはこの点に尽きます。僕は、個人的には渡辺氏を好きではありませんが、自分の言動に責任を負っている点は認めてもいいように思います。
 「ワンマン」「独裁」で僕は思い出す人がいます。80年後半のバブル崩壊後、住宅金融専門会社が社会から集中批判を浴びました。その会社のひとつに日本住宅金融という会社あり、そこの初代社長に庭山慶一郎氏という元官僚がいました。その庭山氏は住専の天皇とまで言われた典型的なワンマンでしたので、世論やマスコミから徹底的に叩かれました。結局、経営責任を取る形で豪邸を売り払い、こじんまりとしたマンションに移り住んだのですが、そのときのインタビューを読みますと、それでもなお自らの信念は揺らいでいませんでした。
 僕は、庭山氏の主張には賛同できませんでしたが、その姿勢と潔さには共感するものがありました。たとえ、周囲から批判非難されようとも自分の意見を最後まで貫き通すその姿勢にはワンマンに相応しい雰囲気がありました。世論マスコミからの批判非難は庭山氏が両足で立っていられないほどのプレッシャーがあったはずです。それを受け止めてなお自らの主義主張を曲げない姿勢からは鶴の美しさが感じられました。そういえば、鶴は片足で立っている姿も美しいものがありましたよね。
 ところで…。
 「どうして決定力のある声を発するのが鶴なのか?」疑問に思い、辞書で調べましたところ、「雀千声 鶴一声」という格言があるそうです。鶴の声はかん高く、他の野鳥の声を圧倒するほどの声だそうで、「鶴がかん高く鳴くときは何か危険が迫っていることを仲間に知らせる」目的があるそうです。こうしたことから、鶴の一声で反対意見をも消せるので「鶴の一声」。
 「鶴の一声」はその声もさることながら、その風貌も関係しているのではないでしょうか。あの美しい姿から発せられると、反対意見の側も受け入れざるを得ない気持ちにさせられるように思います。
 でも、我が家の「鶴の一声」は見た目が鶴じゃないんだよなぁ…。
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする