<責任>

pressココロ上




 先週僕が注目した記事は持ち帰り弁当FC(フランチャイズチェーン)の裁判でした。あまり大きな扱いではありませんでしたが脱サラやFCに関心の強い僕としてはとても気になった裁判です。
 裁判の概要を紹介しますと、ほっかほっか亭総本部と元々は加盟店に過ぎなかったプレナスという企業の対立です。要は加盟店が本部から独立をしたことが対立の原因ですが、FCで一番損失を被っているのは末端で店舗運営を行なっている現場のオーナーの方たちです。オーナーたちからしますとこの戦いは単なるお金儲けの種の奪い合いにしか映らなかったことでしょう。
 2~3ヶ月前ですが、FC加盟店店主たちで組織する協会の副会長が新聞に投稿をしていました。内容はこれまでのFCを取り巻く加盟店側が感じている不平等感についての訴えでしたが、僕はこの投稿を読み、まるっきし昔と変わっていないFC業界の体質にがっかりさせられました。
 今から3年ほど前だと思いますが、当時民主党の要職を務めていた小沢氏は選挙の前にFC加盟店協会の集会に出席し話題を集め記事になりました。これを画策したのは民主党のある女性議員でしたが、これは票がほしい政党と自分たちの主張を政治に反映させたい協会との思惑が一致したことがきっかけです。加盟店協会は加盟店の立場が弱すぎることや不平等な関係が改善できるのでは、と期待していました。ですが、選挙が終わったあとは結局なんの進展もないまま現在に至っています。あのときの小沢氏の言動は単に選挙目当てのパフォーマンスにすぎなかったようです。
 僕は自サイトの「FCに関する考察」ページ内で僕がFCに加盟していた頃に比べて「FC本部の対応も変化をしてきた」と書いています。しかもその変化が良い方向への変化と考えていました。実際、コンビニ大手では賞味期限が過ぎたあとの弁当の廃棄分の負担割合が少しですが加盟店にとってあからさまな不平等な契約が改善されました。しかし、その恩恵を加盟店が享受しているか、といえば簡単ではないようです。
 今年はじめのころの経済誌に加盟店の店主たちの覆面座談会が記載されていました。その記事によりますと、賞味期限の過ぎた弁当の廃棄分負担割合についても表向きは負担が減ったような契約を締結することが可能になっていても実際にはその契約を選択する加盟店が少数派であることを証言していました。理由はやはりその後の対応を恐れているからです。結局は、最終的には本部が損失を被らないような契約内容にならざるを得ないのは致し方ないことのようです。加盟店になることを考えている方はそれを承知で臨みましょう。
 僕のサイトは脱サラやFCに関する情報が多いサイトですので広告にも脱サラや独立に関連した広告が表示されます。このような書き方をしますと無責任なように感じるかもしれませんが、僕の広告はgoogleのアドセンス広告ですので、どんな広告が表示されるのかは僕にもわかりません。一時期は自サイトにおける広告のあり方に疑問を持ったのですが、その理由は怪しげな広告が表示されることによって読者に損失を与えることを危惧したからです。
ですが、よ~く考えてみますと僕のサイトの記述や情報が中立で公正であるならなんの問題もないことを悟りました。僕のサイトが中立で優良な情報で占められているならもし怪しげで悪徳業者が広告を載せても意味がなくなるからです。僕のサイトは加盟店側に属する人たちの立場に立った視点で貫くことをポリシーとしていますので本部に足場を置いた企業やいかにも怪しげな企業については批判する記事になっています。
 そのような僕のサイトですが、今年の一時期は大手コンビの加盟店募集の広告が表示されていました。僕はFC考察ページで大手コンビニについて本部が得をする不平等な関係になっていることを批判する文章を書いています。それにも関わらず広告を載せるのですからこの本部は自分たちのFC経営方式に自信を持っているのではないか、と思いました。そうでなければ批判しているサイトにわざわざ広告は載せないはずです。
 僕はFC本部に批判的ですが、それでも全く否定するつもりもありません。やはりFCという経営システムにも長所はあるはずです。そうでなければこれほど成長するはずもありません。以前このコラムでも紹介しましたが、僕の知人の中にいる2人は大手コンビニに加盟して15年以上が過ぎています。そしてまだまだ続けるつもりでいます。これはFC本部がそれほど悪いことばかりを押し付けていないことの証明でもあります。
 それでも僕が疑問に思うのは、経営には必ずどこかに歪みが生じますがその歪みを弱い立場の人たちに一方的に押し付けることのインチキさです。それを是正しようとしない姿勢は批判されて当然です。どんな企業にも大きくなればなるほど企業としての社会的責任が生じます。FC本部も当然責任があるはずで、不平等な関係を維持し続けようとする姿勢には反発したくなります。
 「責任」という言葉ををキーワードとしてニュースを眺めますと、先週も書きましたがウィルスで遠隔操作をされた人たちの誤認逮捕のニュースが思い出されます。昨日の報道ですと誤認逮捕をした警察が全て謝罪するようですが、ほんの数日前までは「誤認逮捕とは考えておらず、よって謝罪をしない」方針を伝えていた警察もありました。こうした姿勢ほど無責任なことはありません。数年前厚生労働省の元女性局長が強引な捜査方法や取調べ方法により逮捕された事件があったばかりです。それからわずかしか経ていないこの時期の今回の誤認逮捕は批判されてしかるべきことです。そしてもっと問題なのは逮捕されたうち2人が容疑を認めていることです。これは取り調べに問題があったことの証左にほかなりません。それにも関わらず「白を切ろうとする」警察の姿勢には愕然とする以外に反応のしようがありません。警察はうやむやにするのではなく責任を持って容疑を認める供述をした経緯を検証し公表する義務があります。世の中で人を拘束する権力を持っているのは警察だけです。その権力の大きさには常に敏感になっていなければなりません。
 あとひとつ責任感について考えさせられる報道がありました。それはAIJ基金に関する事件です。この事件はAIJという企業が企業から委託されて運営している年金基金の運用の失敗により企業に大きな損害を与えた事件です。この事件は一見すると悪いのはAIJということで落着しそうですが、ほかにも大きな問題が隠されているように思います。それは運用担当者の責任問題です。企業は従業員から年金の資源となるお金を徴収しそれを集めて運用する会社に委託しています。AIJという企業のそこのつけこんで利回りが高いことを誘い文句に企業から委託を受けてきました。結局、その運用が嘘だったことになりますが、それを見抜けなかった担当者の責任を見逃すわけにはいきません。従業員から集めた資金を運用企業各社に適切に振り分ける責任があったはずです。新聞の報道を読みますと、「AIJに騙されて悔しい」というコメントがありましたが、僕にはその言葉は自分を被害者にする目的のコメントのように感じました。そこには無責任という言葉しか浮かんできません。
 資金を振り分ける役職にいた人は振り分ける先の企業の業績や実績をきちんと調査し把握する義務が求められます。それなくして担当者が仕事をしたことにはなりません。そうしたことを棚に上げて被害者の立場を強調するような発言は保身以外のなにものでもありません。
 どんな些細な仕事にも責任はあるはずです。自動車の運転でさえ人身事故を起こしたなら業務上過失責任を問われます。責任の伴わない仕事はあってはならないはずです。責任という裏づけが報酬という見返りをもらう根拠になります。報酬と責任はセットになっていることを働いている人が全員自覚をするなら世の中はもっとスムーズに進むのではないでしょうか。
 ところで…。
 ここ2週間ばかし更新が遅れています。これは僕のスケジュールの関係で遅れてしまうのですが、日にちは遅れつつもなんとか更新だけは続けていく所存でごまいます。それがブログを書いている僕の責任と考えておりやんす。
 じゃ、また。




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