<ハラスメント>

pressココロ上




 なにげなく2月のカレンダーを眺めていましたら18日が月曜日であることに気がつきました。そして、今年の確定申告の受付がはじまるのが「18日から」ということを思い出しました。僕の記憶では確定申告は毎年2月15日からはじまっていたはずです。しかし、今年は「18日から」と毎月送付されてくる青色申告会からの定期便に書いてありました。僕は単純に「今年は、開始日が変わったんだなぁ」と漠然と考えていました。
 しかし、カレンダーを見ていて思ったんです。15日が金曜日ですので受付がはじまってすぐに連休になることに対する対応ではないかと…。でも、いったいどんな意味合いがあるのでしょう。それが疑問です。開始日が伸びたのですから終了日も伸ばすのであれば納得もできますが、終了日はいつもと同じ3月15日です。これはサービスの後退を意味します。そこからはお役所の「お上意識」と「怠慢」の二文字が思い浮かびます。…真相が知りたいものです。
 てなイチャモンおじさんぶりを発揮している僕ですが、この前読み終わった本がとても面白くて、読み終わるのが残念でなりませんでした。そんな気持ちになる本に出会ったのは久しぶりで本当に感激した次第です。その本を今週は本コーナーで紹介していますが米原万里さんの対談集です。
 米原さんの本はずっと前にも読んだ記憶があり、そのときも面白かったのですが、今回の本はそのとき以上の痛快さで、米原さんの才能を改めて認識しました。
 実は、読みながら同じような才能と感性を持っている女性を思い出していました。向田邦子さんと池田晶子さんです。向田さんは脚本家であり作家で、池田さんは哲学者であり文筆家したが、残念ながら米原氏も含めて全員がすでにお亡くなりになっています。僕が好きになる人はみなさん早世の宿命を持っているようです。生きつづけているのは僕の妻くらいでしょうか。
 この方たちに共通しているのは並外れた才能は当然ですが、それとともに独立心が強いことです。会社という組織に属することなく独立独歩で世の中をそしてビジネス界を生きていました。もちろん男性に負けないだけのエネルギーと根性を持ち合わせていなければ独立を貫くことはできません。
 今でこそ「男女共同参画社会を目指す」などといわれていますが、この方たちが活躍していた時代はそんな社会思想が世の中に浸透する前の時代です。そんな時代にも男性に負けないで頭角を現していたのですからその才能の凄まじさと意志の強さに驚かされるばかりです。
 実際、男性社会の中で女性が世の中に出るのは容易ではありません。必ずヤキモチや妬みで反発したり反抗したり、中には足を引っ張ったりする男がいるものです。そうした障害を乗り越えて世の中に出たのですから尊敬されるに値します。
 それに比べますと、AKB48の峯岸ちゃんの弱さが際立ちます。なんの弱さかといいますと自主性であり独立心の弱さです。僕からしますと、彼女は総合プロデューサーを中心とした大人の男たちに完璧にコントロールされているように見えます。大人たちは彼女のプライベートや素の部分までをマスコミに売ることで儲けを得ようとしているように僕には感じられます。今の峯岸さんと同じ年頃に同じようにアイドルとして有名になり、そして同じプロデューサーに育てられたオニャンコの人たちは、大人になった今、どのような感想を持っているのか知りたいものです。
 女子柔道の日本代表監督がパワハラで社会を騒がせ、奇しくも元柔道金メダリストがセクハラ裁判で判決を受けました。「パワ」にしろ「セク」にしろハラスメントがこれだけ社会を揺るがせている中で旧態依然とした感覚した持ち合わせていないスポーツ界は時代遅れの感が否めません。「ハラスメント」を辞書で調べますと「優位な立場を悪用し相手に不愉快を与えること」と説明してあります。
 考えてみますと、税務署が自分たちの都合から確定申告開始日を15日から18日に勝手に延ばし申告期間を短くしたのもお役所の納税者に対するハラスメントといえなくもありません。
 それはともかくどんな組織や集団にしろ上下関係が明確な状況なとき、上位の者が下位の者に指示を与えるときは「伝える力」が求められます。「伝える力」がないときはひとつ間違えるとそれがハラスメントになります。今回の日本女子代表監督の問題はそれを教えてくれました。
 米原さんはロシア語の通訳から出発して作家の道に進みましたが、通訳の道を選択したのは単にほかに進む道がなかったからでした。父親が共産党の幹部で名前が知られていたのですから普通の企業に就職できるわけがありません。
 そして通訳の仕事は個人の能力だけが頼りの仕事でした。米原さんによりますと、通訳として有能であれば次の仕事がもらえるしそうでなければ仕事がこないだけのことだそうです。まさに独立心がなければできない仕事です。
 対談集で米原さんは「伝えることの重要性について」語っています。通訳は、例えばロシア語を日本語に変えるわけですから両者に話している内容を伝えることが仕事です。米原さんによりますと政治家の世界でも意味不明もしくはその場に相応しくない言葉を発することがあり、そのときは米原さんが勝手に言葉を付け足したり、反対に削ったりして関係を良好にしたこともあるようでした。詳しくは米田さんの本を読んでいただくとして、僕はこの本の中で実力者同士が対談をすると、例えいい人同士であっても並び立たないことがあることを感しました。
 対談相手が作家の林真理子さんとの会話がまさにそれを象徴していました。林さんも米原さんに負けず劣らず優れた才能の持ち主です。そしてものごとの核心を見抜くことも、そしてそれを口にする度胸も同じように持っています。さらに公平公正に対する感覚も同じくらい持っているように僕には感じられます。
 しかし、そのふたりが対談をすると「しっくりこない」のです。それはそれは不思議な印象でした。
 普通なら才能も感性も感覚も同じなのですから、相性が合って、もしくは話が合って会話が弾むように思います。ですが、対談を読むかぎりそのような話の展開または弾み方になっていませんでした。不思議です。
 同じことが糸井重里さんとの対談でも感じられました。糸井さんは男性ですが性別で接し方を変えるようなタイプの人ではありません。それでもふたりの会話にぎこちなさが漂っていました。糸井さんも世の中の不条理をなくそうと考えるタイプの人だと思いますので、感性も米原さんと共通している部分が多いように思えます。それでも、どこか核心では気持ちがつながっていない印象を受けました。
 このような例を考えながら世の中を見渡しますと、「両雄並び立たず」の格言が思い起こされます。どんなに能力的にも人間性においても素晴らしい人がいたとしてもみんながみんな集団のトップに立つことはできません。もし両方がトップに立つことを画策するならそのときは間違いなく諍いが起きます。そしてそうした集団もしくは社会はそれらを構成している普通の人々にとって生活しやすい環境ではなくなっています。
 世の中には集団の大将となるべき優れた人がたくさんいますが、みんながみんなトップなることばかりを考えているなら世の中は決してよい社会にはなりません。誰かがトップになったなら自らはうしろに一歩下がる謙虚な心を持っていることも大切です。しかし、だからと言って自らの考えを収める必要はありません。意見や主張を発信しつづけることは大切です。そしてトップに立った人は
「真に平等な社会とは主義主張の異なる人が意見をいう自由を保障する社会だ」
 を実践する懐の深さを持っていることが重要です。完璧でない人間が社会を作っていくのですから完璧な社会ができるはずはありません。両雄は並び立ちませんが、いつでも交替できる環境を作っておくことが大切です。
 もし、片方だけがいつもトップにいることを無理やりつづけるなら虐げられた立場にいる人たちは必ずこう思っているはずです。
 恨みをハラスメント。
 じゃ、また。




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