<金曜の夜に…>

pressココロ上




 僕は今、向田邦子さんの本を読んでいます。僕のコラムの読者の中で、向田邦子さんをご存知の方はどれくらいいるのでしょう。中高年以上の方でないとご存じないとは思いますので、どれくらいの人が知っているか想像がつきません。向田さんは脚本家としても小説家としても有名な方で、直木賞などいろいろな賞を獲得していた才能溢れる方でした。しかし、飛行機事故で52才という若さで急逝してしまいました。1981年のことです。
 僕が向田さんを知ったのはいろいろなことが重なりあってのことです。話せば長いのですが、話します。
 最初のきっかけは20代で見たテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」に感動したときです。このドラマは三流大学に通う3人の若者(敬称略:中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾 )の青春物語で、落ちこぼれゆえに遭遇する社会の不条理に思い悩み迷いながら生きる3人の友情を映し出したドラマです。
 僕はこの頃ちょうどTBSの青春ドラマにハマっていた頃で「青が散る」もこの頃に感動して見ていた頃です。僕自身は、既に結婚して子どもがいましたが…。
 話はそれますが、僕のブログを検索で訪問してくださる方の上位キーワードに「青が散る」が入っているのをいつもうれしく思っています。
 さて、「ふぞろいの林檎たち」に感動して脚本家という職業と人に興味を持つようになり、そして山田太一氏や倉本 聰氏の存在を知り、その延長線に向田氏を知りました。山田氏や倉本氏の魅力を知るようになってからドラマを脚本という基準で選ぶようになりました。大分あとになりますが「北の国から」もそのひとつでした。しかし、その時点ではまだ向田氏にはあまり関心はなく「脚本家で偉い人」というイメージしかありませんでした。ですから、向田氏が脚本家として一番活躍していた時期もはっきりとは知らないでいました。そんな感覚ですから向田氏が脚本を書いたドラマを観たことはありませんでした。 と、ごく最近まで思っていたのですが、今回向田氏の本を読んでそれが間違いであることがわかりました。なんと僕が毎週観ていた「寺内貫太郎一家」の脚本を書いていたのでした。寺内貫太郎一家は僕が高校生の頃に放映していた作曲家・小林亜星さんを主人公にしたホームドラマです。その脚本家が向田氏でした。番組の演出家は久世光彦氏ですが、後年久世氏がTBS内で天皇といわれるほど権力を持っていることを週刊誌などの情報で知ることになります。その久世氏と向田氏が仲がよかったのも今回本を読んだことで知りました。
 向田氏の脚本家としての代表作に「あ、うん」というドラマがあります。映画化もされていますのでご存知の方も多いでしょう。僕が今読んでいる本は向田氏の作品を振り返りながら向田氏の脚本の本質を考える内容ですが、その中には僕が名前だけを知っている作品がたくさん出てきます。例えば、「だいこんの花」とか「冬の運動会」とか「阿修羅のごとく」などです。これらは名作という評判だけは見聞きしたことはありますが、実際にはどれも見たことがありません。
 さて、僕がちょうど今、読んでいるところで取り上げている作品は「隣りの女」というドラマです。このドラマは平凡に結婚した女性と同じアパートの隣の部屋に住む水商売の女性(どちらも30才過ぎくらいのようです)のそれぞれが相手に対して持っている羨望を対比させることで女性たちの心に潜む欲望を顕にしている作品です。そのドラマに登場している俳優が水商売の女性の恋人という役で出演している若き日の根津甚八さんでした。
 僕は、根津さんにはいろいろな思い出があります。僕は学生時代にPHPという松下電気産業(現パナソニック)の創業者松下幸之助氏が作った本を愛読していました。宗教とまではいいませんが、松下氏の人生観や考えを広く世間に知らしめることを目的に作られた本です。その中に印象に残る根津さんの言葉が載っていました。
「チャンスというのは、道を歩いているときに落ちている葉っぱの裏にもある。ただ、ほとんどの人が葉っぱを裏返すことなく葉っぱの上を通り過ぎて行く」
 もう30年以上前のことですので定かではありませんが、このような内容だったように記憶しています。僕が根津さんの言葉に興味を持ったのはそれ以前に読んだ雑誌かなにかのインタビュー記事を読んでいたからです。
 根津さんの人気の素はあの強面で不良のような風貌にありました。女性たちは根津さんの優しくない男らしさに魅力を感じていたようです。根津さんが芸能の世界に足を踏み入れた第一歩は唐十郎さんの状況劇場に入団したことです。インタビュー記事ではその入団試験のときのことを話していました。
 根津さんは試験を受けるに際して、ほかの人より目立つために「わざとなん日も徹夜をして試験を受けた」そうです。理由は、睡眠をとらないことで目を血走らせるためでした。僕はそのインタビューがやけに印象に残り、そうしたことがありましたので根津さんのPHPでの記事にも興味を持った次第です。
 さて、先週の金曜の夜のことです。その日はなぜか寝つきが悪く布団に入っても中々寝られずにいました。右に寝返りをうち、左に寝返りをうち、布団が暑いからかと思い布団の枚数を減らしてみたり、そして寝返りを幾度もうち…。そうしたことを繰り返しても、それでも中々睡眠に落ちることができませんでした。僕は仕方なくテレビのスイッチを入れました。時刻は2時くらいでしょうか。
 別に見たくてスイッチを入れたテレビではありません。適当にチャンネルを変えていると、NHKでドラマらしきものを放映していました。少し暗い映像で地味~な感じのするドラマでした。でも、数秒観ていますと俳優の顔がわかりました。吉田栄作さんが市電の運転手の役で出ていました。
 僕は吉田さんにも思い出があります。もう20年以上前だと思いますが、吉田さんはモデル上がりのイケメン俳優兼歌手で人気を博していました。しかし、プライドの高い性格が問題視されることも多々ありました。僕が一番覚えているのは、歌番組のインタビューを受けた際に「同年代ではもうライバルはいない!」とタンカを切った場面です。質問した司会者が唖然とした表情で固まっていたのを思い出します。
 そうしたことが影響したのかはわかりませんが、その後表舞台から消え、アメリカへ役者修行に行ったという噂を耳にしました。それから数年後、再び吉田さんを見たのは「マネーの虎」というビジネス関連の番組です。吉田さんは番組で番組進行係とでもいえそうな地味な司会をしていました。そこで見た吉田さんはかつての生意気で傲慢でプライドの高い性格はなくなっていました。時間が吉田さんを変えたのでしょう。
 金曜日の深夜のドラマにその吉田さんが出演していました。番組制作は北海道の放送局となっていました。ドラマの内容を簡単に説明しますと、吉田さんは市電の運転手の役で運転していた市電の座席に若い母親が赤ん坊を置き去りにしていくところからドラマは始まります。吉田さんはその赤ん坊の世話を妻に頼み、自分は母親を探すのですが、その中で自分と妻の関係を見つめなおす様子が映し出されます。また赤ん坊を置き去りにした若い母親と歌手を夢見る浮ついた夫の心模様も重ね合わせながらドラマは進んでいきました。結局、最後は二組の夫婦に笑顔が戻るという短いドラマでしたが、そんな地味な地方局の制作のドラマに吉田さんが出演していたのが興味深かったのです。
 さて、僕はドラマに出ている吉田さんを見ながら、なぜか昼間読んでいた本に登場していた根津さんのことを思い出していました。記憶にある方も多いでしょうが、後年根津さんは被害者を死亡させるという交通事故を起こしています。当時、マスコミはこぞって根津さんを取り上げていましたが、僕が印象に残っているのは被害者宅を訪れて謝罪しているときの姿です。泣き崩れ、立っていることさえ困難なようすで打ちひしがれている姿がそこにはありました。僕は、根津さんのあまりに変わり果てた姿にショックを受けた記憶があります。
 その後、消息を聞くことはありませんでしたが、先日訃報に接しました。根津さんは人生の後半を、難病を患ったりうつ病になったりなど若い頃とは違った人生を送っていたようです。人生、いつなんどきなにが自分に降りかかってくるかわかりません。そんなことを考えた金曜の夜でした…。
 じゃ、また。




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