<師弟関係>

pressココロ上




 僕の年代で先週、一番印象に残った出来事といいますと、やはり長嶋元監督の国民栄誉賞受賞です。松井選手も同時受賞でしたが、僕としては長嶋元監督の受賞に感激しました。
 思い起こせば、昭和49年、僕は現役引退のセレモニーを感動しながら見ていました。球場内をタオルで涙をぬぐいつつ歩いていた姿が忘れられません。
 ファンとの触れあいを惜しむように、ときに立ち止まり観客席に手を振り、また少し歩き、そしてまた立ち止まり…とそれをくり返しながら球場を一周していました。僕は、ずっと涙を流しながら見ていました。
 このように書きつつ、実は、僕は長嶋元監督の熱烈なファンというほどでもありません。僕はスポーツ全般が好きですので、あくまでその一環の中での長嶋ファンです。
 そのレベルの長嶋ファンですが、長嶋氏の映像で僕が記憶しているのは、先ほどの球場を涙ながらに一周していたときに観客席に手を振っていた姿と、最初の監督を辞任する会見をしたときの潔い姿と、川上元監督と和解する番組に出席したときの戸惑っている姿と、世界陸上大会でカールルイスに呼びかけたときのドヤ顔をしたときでした。
 その映像に今回の国民栄誉賞でのスピーチが加わりました。2~3年前にも書いた記憶がありますが、僕は長嶋氏を尊敬します。本当のスターとはこのような人のことをいうのではないでしょうか。
 自分が煌いているときに、一般の人たちの羨望の対象としてスターの位置にいるのは心地よい気分のはずです。そうしたときのスターは一般人よりも優れた部分を持っていることを自負しています。言葉は悪いですが、そこにはいい意味でも悪い意味でも優越感が潜んでいるものです。
 ですが、長嶋氏は不自由な身体でありながら、堂々と公の場所に出てきています。そこが凄いところです。普通の人の感覚では、自分の不自由な身体を人に見せることに対して躊躇するのが当然です。普通の人ならば、できるだけ隠そうとするでしょう。僕は、長嶋氏を尊敬してやみません。
 長嶋氏には逸話が幾つもあります。逸話というよりも伝説に近いものですが、どちらにしても、「長嶋氏ならありそう」という気分にさせるところが長嶋氏たるゆえんです。
 では、僕がこれまでに一番面白かった逸話をひとつ…。
 今は、電車の改札は自動改札になっていて駅員の人はいませんが、昔は改札は駅員さんが立っていました。駅員さんが切符や定期を見て、駅に入って行くのを確認していました。その頃のことです。
 長嶋氏は改札を通過するときに、片手を軽く上げて、ただ一言こう言っていたそうです。
「どうもぉ~、長嶋です~」
 この逸話の真偽は定かではありませんが、都市伝説にはなりそうな気がします。僕はこの逸話を思い出すときに、同時に思い出す人がいます。それは長嶋氏の個人秘書の方です。今回、長嶋氏は国民栄誉賞の授賞式のあとにセレモニーのひとつとして始球式に臨みました。そのときにバッターボックスに向かう長嶋氏を気遣う短髪の男性がいたのを僕は見ました。
 この男性は、僕の記憶に間違いがなければ長嶋氏の個人秘書です。いつから個人秘書をやっているのかはわかりませんが、大分前にテレビ番組で取り上げているのを見たことがあります。その記憶がありますので、長嶋氏が改札を「長嶋です~」と通り過ぎる逸話を聞いたとき、「たぶん、そのあとを必ず個人秘書の人がフォローしているだろう」と勝手に想像していました。
 それはともかく、監督を引退したあとに週刊誌で家族間の軋轢や奥様のご不幸などいろいろな問題がありました。そうした中で、この個人秘書の方がまだ秘書として仕えているのを見て少し安心した次第です。
 夫婦の間で考え方や感じ方に相違があるのは当然です。元々は他人なのですから、同じになるほうが不思議です。それに比べて親子というのは血のつながりがあることで、それはつまり、同じ遺伝子を持っていることです。それなのに、関係がうまくいかない例は山ほどあります。いったい人間関係を決める要因はなんなのでしょう。
 今回の長嶋氏の国民栄誉賞受賞は松井氏との師弟関係も含んでいるように思います。その前に、国民栄誉賞の決まり方について少し苦言を呈したいと思います。
 国民に勇気を与えた人を褒め称えるという意味で国民栄誉賞を授与することに異論はありません。ですが、政治的利用の側面はできるだけ避けるべきです。もっとシンプルに真の意味で栄誉賞が授与されるようなシステムができることを望んでいます。長嶋氏と松井氏がそうだとはいいませんが、少し安易に授与しすぎのように感じるのは僕だけではないでしょう。
 さて、長嶋氏と松井氏の師弟関係は理想の関係のように映ります。厳しく育てた師匠とその期待に見事応えた弟子との間には、ほかの人では入り込めない強い絆があるように思います。でも、変わり者の僕としてはそこで考えて込んでしまいます。
 それほど強く親密な関係があったとき、血のつながった親子はどのような位置づけになるのか…。
 僕は、長嶋氏と松井氏の師弟関係が賞賛されればされるほど、松井氏のお父様はどのような気持ちになっているのだろう…、と考えました。大事な息子を長嶋氏に取られてような気分になっているのではないか、と心配していました。師弟関係が賞賛されれればされるほどふたりの絆が確固したもののように感じられ、親子の関係さえ凌駕してしまうのではないか、と。
 本当は、人生の師弟関係は親と子であるのが理想です。しかし、そうでないほうが多いのが現実です。
 子どもは親を選べません。同じように親も子どもを選べません。親と子の関係に選択肢はありません。神様に与えられてなるものです。このように選べない者同士が出合った親子ですから、その親子ができることは理想の師弟関係に育てるようにお互いが努力することです。
 平均的に、親になるのは30才前後です。しかし、その年代で立派な師匠になれる人は稀です。いやいや、ゼロです。30才で師匠になれるほど悟れるはずがありません。人生は、それほど簡単でも甘くもないはずです。
 だからこそ、親子関係を育てる努力が必要です。もちろん、子どもよりは親のほうに強く求められます。子どもよりは30年くらい長く生きているのですから…。
 子どもにとって、一番の幸せは自分の親が人生の師匠であることです。しかし、師匠であったことに気づくのが、かなり年をとってからという可能性があるのも人間の哀しさです。
 ところで…。
 先月、ヒョンなことから僕のサイトの訪問者が激増するという出来事がありました。それ以来、大道芸人方式に則って寄付をしてくださる方が幾人かいらっしゃいます。本当に、うれしいことで文章を書いた甲斐があるというものです。先週も、ひとりの方が寄付をしてくださり頭の下がる思いです。ありがとうございました。
 それまではほとんどいませんでしたので、悩む必要もありませんでしたが、実際に寄付をしてくださる方が現れますと、少し気になることがあります。
 それは感謝の気持ちの伝え方です。これまで僕はこのコラム上で感謝の気持ちを伝えていましたが、実は少し躊躇する気持ちがありました。それは、自慢をしているようでもありますし、寄付を強制しているようにも思われる可能性があるからです。
 だからといって、なにも反応をしないのも、僕の気持ち的に許せないものがあります。また、寄付をしてくださった方にしましても、本当に届いているのかどうか不安な気持ちになっているのではないか、とも思っています。
 そこで、考えました。次回より、新たに「寄付確認コーナー」を設けることにしました。そこで寄付をしてくださった方に感謝の気持ちを伝えることにしました。そこでは、寄付をしてくださった「日にち」と「イニシャル」を記する予定です。
 これで、もっとたくさんの方が気軽にたくさんのお金を振り込んでくれるでしょう。
 じゃ、また。




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