<安全保障関連法案>

pressココロ上




 今の若い人たちがどれくらい関心を持っているかわかりませんが、国会では安全保障関連法案について激論が闘わされています。激論の発端になったのは今月4日の衆院憲法審査会で参考人として出席していた3人の憲法学者全員が安全保障関連法案を「違憲」と断じたことです。それまでにも新聞やテレビ、ラジオなどでは疑義を呈する報道がありましたが、憲法学者全員が「違憲」と述べたことが大きな反響となりました。
 この審査会での憲法学者の発言が大きな波紋を呼ん理由は、なんと言っても政府自民党が推薦した学者までもが「違憲」と述べたことでした。本来なら「合憲」と考えている自民党が推薦する学者は「合憲」と陳述するはずです。このときの船田元憲法改正推進本部長の「驚いた」ような「苦虫をつぶした」ような表情がテレビ画面に映し出されていました。
 このときの学者さんのひとりである小林節教授がそのあとにラジオ番組に出演していました。小林教授の話によりますと、審査会であのような発言に流れていったのは民主党議員の質問がきっかけになったそうです。船田氏をはじめとした自民党の方々はそのような展開になることは想定していなかったようです。
 いずれにしても今回の出来事で憲法学者の方々の真の考えが聴けたことは大きな意味があります。この発言を機に一気にマスコミの報じ方が変わった印象があります。また、憲法学者の方々に限らずいわゆる知識人に属する人たちがいっせいに声を上げ、行動を起こすきっかけにもなりました。
 僕は常々、社会に大きな影響を与える知識人や専門家、そしてジャーナリストを含めたマスコミ関係者の人たちの姿勢が不思議でなりませんでした。それは、こうした人たちが政府を批判する姿を新聞やテレビ、ラジオなどで見聞きしていましたが、その批判が効果を出していなかったからです。これでは単なる外野の、もしくは野次馬の戯言と同じになってしまいます。仕事帰りのサラリーマンが居酒屋で管を巻いているのと変わりありません。
 そして、効果を出せていない責任は特にマスコミにあると思っています。敢えていいますが、僕は世論を作り動かすのはマスコミだと思っています。一般に世の中で生きている人たちは、それほど真剣に政治について考えているわけではありません。日々の生活を過ごすことで一日を終えるのが普通です。そうした人たちの「表には出さない」けど、心の中に感じているまたは持っている気持ちや考えを表面化させ行動を後押しするのがマスコミです。
 先週の終わりころになり、「合憲」と考えている学者の方が記者会見を行っていましたが、「いかにも」という感じで反対の効果しか出していないように感じました。先のラジオ番組に出演していた小林教授によりますと、憲法学者の90%以上が「違憲」と考えているそうです。今回の件で小林教授は注目されるようになりましたが、「自分は昔から違憲と表明していて、単にマスコミが取り上げなかっただけ」とも話していました。やはりマスコミの責任には大きなものがあります。
 マスコミにはかつてのような力はなくなってしまったのでしょうか。「力」とは世の中を動かす「力」です。一昔前とはいいませんが、二昔前…これも違うか。三昔前…、いやいやもっと前だな。
 四昔前ですと、政権が国民にとって厳しい施策をとろうとすると世論が動きました。例えば、79年の大平首相は国民の大きな反発を受けて消費税を導入できずに退陣のきっかけになりましたし、その後の中曽根さんも断念に追い込まれました。結局、消費税を導入できたのは10年後の竹下首相のときです。それほど政府が重要な政策を決めるときは大変な労力が必要でした。そして、その労力を強いていたのが知識人や専門家などとともにマスコミの力でした。
 しかし、最近のマスコミからはそうした「力」が見えません。そのことを象徴しているのが一昨年に成立した特定秘密保護法です。それこそほぼ全員のマスコミ関係者が反対していたにも関わらず世論はあまり動きませんでした。僕はそれが不思議で不思議でなりませんでした。確かに著名なジャーナリストの方々が記者会見を開いたり、意見表明をしていましたが、大きなうねりにはならず結局は成立してしまいました。これでは政府は国民を顧みることなく自分たちが政権運営をしやすいようにすることだけに注力することになってしまいます。
 先週は選挙権の年齢が18才となる法律が成立しましたが、実は僕は反対でした。なぜなら18才ではまだ投票するだけの知見を持っていないと思うからです。当時の自分を振り返ってみても、楽しく時間を過ごすことだけを考えていたように思います。ときには真面目に社会のことや政治のことなど堅苦しいことを考えることもありましたが、基本的に知見に足りないのですから正しい考察などできるはずもありません。そんな若者が一票を投じるのは危険です。
 審議の過程ににおける報道の仕方についても違和感を持っています。それは国会で審議していたときと成立したときでは見出しがあまりに違っていたからです。まるで「成立するまでは静かに報道しよう」という意図があったかのようでした。18才選挙権についてマスコミはもっと喚起をするべきだったように思います。
 18才選挙権は成立してしまいましたが、安全保障関連法案はこれからです。政府はなんとしてでも成立させるべく国会を延長させるようですが、これから先がマスコミの力が試されるときです。
 人によって考えが違うのは当然ですので「違憲」が正しいとは限りません。しかし、できるだけ多くの国民が関心を持つようにマスコミの人たちには報道してほしいと思っています。四昔前と比べますと情報の量は格段に増えています。国民が関心を持ちさえするなら自ずと正しい答えが導かれるはずです。
 ごくごく普通に考えて海外に出かけていって殺されたり殺したりするのは気持ちのいいものではありません。そのリスクをできるだけ低くするように考えるなら答えは明白です。
 それにしても、昔は法制局が引き止め役になっていたはずなのになぁ…。
 じゃ、また。




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