<競争と平和>

pressココロ上




 全般的にスポーツが好きな僕ですので専門外ではありますが、今回の日本ラグビーの活躍にはやはり心躍らされました。つまり最近日本で増えている「俄かファン」のひとりですが、今回の快挙がきっかけでラグビーの人気が上がることを期待しています。世の中はやはり現金なもので「勝つこと」「結果を残すこと」が注目を集める最も効果的な方法です。その証拠にW杯大会への出発時にはマスコミで大々的に報じられることはありませんでしたが、帰国時には比べ物にならないくらいファンやマスコミの方々がたくさん駆けつけていました。
 僕の年代でラグビーといいますと、ともに7連覇を成し遂げた新日鉄釜石と神戸製鋼が思い浮かびます。新日鉄釜石には松尾雄治さん、神戸製鋼には平尾誠二さんという名選手がいました。僕の中では松尾さんはネアンデール原人、平尾さんはエリートというイメージがありますが、僕的にはネアンデール原人のほうが好きです。
 このように対照的なお二人ですが、チームの雰囲気も対照的でした。漢字で表すなら新日鉄釜石は「無骨」、神戸製鋼は「洗練」といったところでしょうか。実際、新日鉄釜石には学生時代に実績のある選手が少なくほとんどは松尾さんが一から育てた選手たちでした。それに対して神戸製鋼は学生時代から有名な選手たちが集っていたチームでした。
 このように対照的なチームですが、神戸製鋼がほかのチームに比べて最も異なっていたのは練習方法でした。昔、なにかのビジネス雑誌で読んだのですが、「集合して練習する時間は約2時間と極端に短かった」と平尾さんが語っていました。一般的には、スポーツの練習といいますと朝から晩まで泥にまみれて身体がクタクタになるまで肉体を追い込むものと思われています。それが、わずか2時間ではいくらプロではないとはいえ少なすぎる感じがします。
 しかし、平尾さんは「大切なのは個人個人が自分をコントロールすること」だと説明していました。つまり、チームが集まって練習するときには個人としては完璧になっていることを求めているのでした。個人としての自立を求めているのです。
 僕は以前コラムでラグビーでよくいわれる「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」という言葉を紹介したことがあります。「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」という意味で紹介したのですが、今回コラムを書くにあたりそれが間違っていることを知りました。
 それを指摘していたのが平尾さんです。本来は「ひとりはみんなのために、みんなは勝利のために」が正しい意味だそうです。はじめの「ワン」は「ひとり」ですが、あとの「ワン」は「ひとり」ではなく「勝利」のことを指しているそうです。よく考えて見ますと、この意味のほうがラグビーというチームスポーツには理に適っています。ラグビーというよりもチームでプレイするすべてのスポーツに適っています。
 その平尾さんは日本代表の監督も経験していますが、就任時には期待どおりの結果を残すことはできませんでした。平尾さんのやり方では世界に通用しないことになります。
 今回日本代表は価値ある結果を残したのですが、その快挙を成し遂げたのはエディ・ジョーンズヘッドコーチの指導が大きく貢献しているそうです。確かに昨年あたりから国際試合で結果を残していたのは報じられていました。スポーツ面の小さな扱いではありましたが、僕も「少しずつ強くなってるなぁ」という印象は持っていました。
 そのジョーンズヘッドコーチがどのように日本代表を指導したかといいますと、徹底的に選手たちを肉体的に追い込む手法でした。早朝の5時から練習をしていたそうですから、その猛烈ぶりが想像できます。もちろん早朝だけで練習が終わるのではありません。朝、昼、晩と続くのでした。ジョーンズヘッドコーチに言わせますと、体格的に外国選手に劣るのですから、世界のどこのチームよりもタフな体力を作ることが必要だったそうです。ジョーンズコーチ曰く「選手に嫌われる」ほど追い込んだそうです。
 こうした指導法が結果を出したのですが、しかし、この指導法は平尾氏のように選手の自立を求める方法とは正反対のやり方です。「にわかファン」のひとりである僕ですので詳しいところまではわかりませんが、もしかすると歴代の、特に日本人の代表監督とは異なった指導法なのかもしれません。つまり、これまでの監督たちではここまで厳しく選手たちに接することはできなかったということになります。
 この光景はかつて見たことがあります。サッカーの代表監督を務めたイビチャ・オシム氏です。オシムさんの指導法も選手たちに世界のサッカーの厳しさを感じさせることでした。病気のため短期間ではありましたが、選手たちに世界的サッカーの厳しさを植えつけようとしていたように思います。
 また、厳しい練習を課すという点では男子バレーボール監督だった松平康隆氏も同じような指導法でした。つい先日も書きましたが、190センチを越す大男が号泣するくらい厳しい練習を課していました。そして、そのことで結果を出せたのでした。
 スポーツという世界では常に競争に勝利することが求められています。レクリエーションとしてのスポーツ以外で「負けてもいい」というスポーツはありません。いえいえスポーツに限りません。競技というものはすべてです。そして、その相手は常に世界でなければなりません。日本だけでは井の中の蛙で終わってしまいます。世界にはもっと強い人やチームが存在することを知ることが前提になっています。そういえば、大リーグに渡ったダルビッシュ選手ももっと強い相手と闘いたいと話していました。野球に限らず海を渡る選手たちは全員そのような価値観を持っているのでしょう。そして、それが自らの能力を高める原動力になっています。
 僕は今、はまっているテレビ番組があります。もうかれこれ一年近く見ているのでしょうか。毎週日曜の午後7時半からNHKで放映している「ダーウィンが来た!」という番組です。内容は動物の世界をドキュメンタリーで撮ったものですが、毎週自然界の厳しさを教えられ、そして子供に対する親の愛を勉強させられます。
 人間の世界では親による子への虐待やネグレクト(育児放棄)がたびたび報じられますが、動物の世界ではそのようなことはほとんどありません。たぶん割合でいいますと、悲しいことに人間界のほうが高いのではないでしょうか。
 このように親の愛に溢れている動物の世界ですが、それでもきっちりとしているのは子の自立を促すことです。ある期間が過ぎたら親は子を「自立へと追いやる」のです。まるで敵であるかのように「追いやり」ます。そこにはひとりで生きていくことを子に言い聞かせる親の強い愛情があるのかもしれません。なぜなら、親は必ず子より先にいなくなるからです。
 ジョーンズヘッドコーチが選手たちに厳しい要求を課していたのも同じです。世界のレベルに通用するチームにするために過酷な練習を求めていました。世界の頂点を目指すにはそれは必要なことです。こうした発想は動物の世界の厳しさとつながるものがあります。
 世界に通用するチームになるには過酷な練習が必要です。そして、日本代表にはその過酷な練習に打ち勝った者だけがなれます。そこには競争があります。そして競争には常に敗者がいます。
 動物の世界では敗者には過酷な現実が待っています。下手をしますと、生存を脅かされることさえあります。その点が人間界とは違う点です。勝者にならなくとも生存権が脅かされることがないのが人間界の一番の長所です。また、そうした社会になるように工夫することが人間の人間たる意味があるように思います。
 世の中の人全員が競争に勝利することだけを目指す考えの人だけだったならギスギスした生きづらい社会になるでしょう。世の中には勝利を目指す人とそうでない人の両方が存在してこそ平和が成し遂げられます。
 日本ラグビーの活躍を見てそんなことを考えた僕です。
 じゃ、また。




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