<一流スポーツ選手としての自覚>

pressココロ上




 今週はスポーツの話題です。まずは残念なニュースからはじめますが、バドミントンの五輪代表の2選手が闇賭博を行っていたことが発覚しました。報道ではこの2選手が所属するバドミントン部のほかの選手たちも手を染めていたようで、この会社のバドミントン部の廃部にまで発展しそうです。
 この事件の主犯である田児賢一選手と桃田賢斗選手が謝罪記者会見を行いましたが、田児選手に重い責任があるようです。理由は、田児選手が桃田選手や周りの選手を誘ったからですが、田児選手はほかの部員から多額の借金もしていたそうで悪質といわれても仕方のない面があります。
 メディアでは桃田選手のそれまでのチャラチャラしたキャラクターや派手な言動などを上げ連ねて人格的な面にまで批判が及んでいたように思います。マスコミにありがちな糾弾の嵐のようで僕には不快に感じました。僕としては、桃田選手にそこまで悪意があったようには思えません。この年代にありがちなほんの軽い気持ちでの悪い世界をのぞき見ただけのように思います。もちろん、日本を代表する選手として許される行為ではないのは言うまでもありません。
 しかし、最も批判されるべきはバドミントン協会や周りのコーチなど大人の指導姿勢であり体制です。日本を代表する選手になるということの意味をきちんと教える必要がありました。それが大人の責任、義務というものです。バドミントン協会の幹部が今回の事件に関してインタビューを受け涙混じりにコメントを話していましたが、協会としての自らの責任に無自覚であることをさらけだしているようにしか僕には映りませんでした。
 バドミントンに限らずほとんどのスポーツは選手としてのピークを20才代に迎えます。先週から行われていました水泳の五輪選考会で代表に選ばれたのは二十歳前後の若い選手たちが中心でした。驚くべきことに中学生までいました。このような若いというより子供の範疇に入る選手たちが社会人として成熟していなくて当然です。ただでさえ競技に取り組むことに時間を費やしているのですから、社会人としての常識やマナーを身につけているはずがありません。それを指導するのが協会やコーチの責任であり義務です。
 相撲の世界でもここ1~2年、横綱白鵬に対して悪役のイメージがついていますが、横綱といえどもまだ30才を過ぎたばかりです。人間として成熟していなくても当然とは言いませんが、不思議ではありません。一般社会でいいますと、やっと係長になったばかり早くても課長になる年齢です。そのような若さで人間として完璧になれるほど人生は甘くはないはずです。相撲に関しては秀でていたとしても人間としてはまだ発展途上です。人間性を育てる責任が親方や協会にあります。
 今回の事件に際して桃田選手のこれまでのインタビューが放映されていましたが、ひとつ気になることがありました。それは言葉です。
 桃田選手は東日本大震災で被害を受けた福島県の高校を卒業していることから、被災地に対して思いやる言葉をインタビューなどで発していました。それは
「自分が活躍することで被災者を勇気づける」
 
 という内容ですが、似たような言葉をこれまでに幾度もいろいろなスポーツ選手から聞いてきました。僕はその言葉が気になるのですが、スポーツ選手が被災に関連してカメラに向かって話すときに最も無難な言葉として用いられているように思います。なぜ気になるかといいますち、心がこもっていないからです。
「まぁ、こんなふうに言っておけば好感を与え、非難されないだろうな」
 心の底にあるそんな思いが伝わってくるのです。ステレオタイプと言ってもいいかもしれません。せっかく実技で感動を与えているのに残念です。
 しかし、中には言葉に心がこもっている、というより魂が込められている言葉を発する選手もいます。五輪で2種目2連覇という偉業を成し遂げた北島選手です。
「チョー気持ちいい」
「なんも言えねぇ」
 そのときに心の中にある純粋な気持ちがまっすぐに伝わってきます。やっぱり言葉というものは計算されたものより純粋なほうが聞いている人の心を打ちます。その北島選手が現役引退を発表しました…。
 実は、僕は北島選手について以前このコラムで書いています。北島選手からは感じることがたくさんあるからです。…燃え尽き症候群、コーチとの関係性とアイデンティティ etc…。
 五輪で2連覇をしたあと、北島選手は一時期燃え尽きてしまいました。そして、平井コーチとの関係性についても考え始めたようです。その際の北島選手の一連の行動は、多くの人にとって人生を生きるうえでの道しるべになるように思います。普通の人が一生をかけて体験することを北島選手は十数年で体験しています。
 北島選手ほどでなくても普通の人でもなにかに打ち込み熱中することはあります。そしてなにかのきっかけで冷めることがあります。そういうときは方向を見失うものです。たぶん北島選手はそんな心理状況になったのでしょう。それで平井コーチの元を離れ米国に留学したのだと思います。
 そして同時に自分のこれまでの水泳人生を振り返ったのだと思います。
「自分はコーチのロボットにすぎないのではないだろうか」
 そんな葛藤もあったでしょう。米国での選手とコーチの関係に新鮮さや理想の姿を見出したこともあったと思います。「バカの壁」の養老氏は「自分探しなどする必要はない」と喝破していますが、燃え尽きた北島選手はまさに自分探しをしていたように思います。
 北島選手は今回の五輪選考会のあとにインタビューを受けています。本来なら五輪出場がかなわなかった負けた選手ですのでインタビューはないはずですが、全国民から注目されている北島選手ですのでインタビューがありました。
 北島選手は平泳ぎ200メートルの準決勝のあとにもインタビューを受けていますが、そのときの「レベルが高ぇ」も印象的でした。そして決勝で5着に負けたあとのインタビューでも実に清々しく心がこもった敗戦の弁でした。
 僕が敗戦の弁を聞きながら頭の中に思い浮かんだのは「巨人の星」の星飛雄馬とオズマでした。両者とも周りの大人たちの管理の下で一流の選手になるのですが、成長するに従って自分の生きかたに対して悩みを持ち始めます。
 北島選手もまさに同じような境遇でした。中学生で平井コーチと出会い、ふたりで金メダルを取ることを目指します。そして成し遂げたのですが、そのあとに心にぽっかりと穴が開いたのかもしれません。ただひたすらタイムを縮めることだけに熱中していたときは問題はありませんでした。ですが、燃え尽きたあとに飛雄馬やオズマと同じ迷いを感じたのです。
 北島選手の敗戦の弁で僕が感激したのは最後に平井コーチに感謝の言葉を述べていることです。米国に留学し、日本とは違った選手とコーチの関係も体験しながら、それでも最後の挑戦を平井コーチの下で過ごしたこともうれしかったですし、最後に声を詰まらせながら感謝の言葉を発したことが感動でした。
 そして同じくらい感動なのが平井コーチです。一時期は自分の下から去った選手が最後に戻ってくることをなんのこだわりもなく快く受け入れたからです。僕の中では平井コーチは指導者の鏡だと思っています。
 「指導にマニュアルはない」
 平井コーチがよく口にする言葉だそうです。
 じゃ、また。




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