<モハメッド・アリ>

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ボクシングに興味がある人でなければ若い人で知っている人は少ないと思います。モハメッド・アリさんは元ヘビー級の世界チャンピオンでした。ただのチャンピオンではなくレジェンドといわれるほどのチャンピオンでした。そのアリさんが亡くなりました。
「チョウのように舞い、ハチのように刺す」という形容がぴったり当てはまるような華麗なフットワークで相手を翻弄し完膚なきまでに叩きのめす戦い方はそれまでのヘビー級ではなかった戦い方でした。大きな身体で華麗なフットワークをできることがあり得ないことだったからです。
 今の若い人でもマイク・タイソンさんは知っているでしょうが、タイソンさんはまさに「なぎ倒す」という表現がピッタリのファイティングトスタイルでした。しかし、アリさんのリング上で雄姿は華麗という表現がぴったりの戦い方でした。
アリさんが注目を集めたのはそのボクサーとしての強さと同時にその生き様に信念があったからです。アリさんはベトナム戦争の徴兵を拒否したのです。「良心的拒否」という名称を世の中に知らしめたのもアリさんだろうと僕は思っています。
兵役拒否と関係があるのですが、アリさんは人種差別とも戦っていました。アリさんがオリンピックで金メダルを獲得した1960年代は米国ではまだ人種差別が堂々とまかり通っていた時代です。今でもときたま米国から人種差別関連のニュースが届きますが、60年代は人種差別が普通の時代だったのです。今の若い人には想像がつかないかもしれませんが、それが現実でした。
アリさんは兵役を拒否したためにチャンピオンベルトを剥奪されるのですが、復帰を果たすまで講演活動をするなどして収入を確保しつつ裁判で戦い続けました。最終的には無罪を勝ち取るのですが、そうした生き様がボクサーとしての価値も高めたと思います。
またアリさんは試合前の言動が派手なことでもマスコミに注目されていました。アリさんは試合前の会見でわざと大ぼらを吹いたりして相手を挑発するのですが、それらはすべて試合が盛り上がるためにやったことでした。マスコミにとってはありがたい存在であったことは間違いありません。日本でも亀田興毅さんがマスコミを意識した言動をしていましたが、アリさんを参考にしていたと想像します。
アリさんは裁判で無罪を勝ち取ったあとボクシング界に復帰するのですが、当時世界世最強と言われていたジョージ・フォアマンさんとの世界戦は間違いなく後世に残る名勝負のひとつです。
ジョージ・フォアマンさんも数奇な人生を生きており、1994年に45歳にして実に20年ぶりに世界ヘビー級王者に返り咲いています。45歳ですよ!それまでのボクシング界の常識を覆す出来事です。さらに驚かされるのは、そのときは教会で牧師さんをしていたそうです。
フォアマンさんの全盛時代はすごいものでした。なにしろ「象をも倒すパンチ」と異名をとっていたのですからそのパンチ力がわかろうというものです。ディズニー映画で「象を森の創造主」としてひれ伏す場面がありますが、象は動物の世界でも最強の部類に入る動物です。その象を倒すのですからなんともすごいパンチ力です。
そのすごさは当時チャンピオンだったジョー・フレイザーさんとの世界戦で世の中を驚かせました。ジョー・フレイザーさんも強打者で鳴らした世界チャンピオンでした。アリさんとも名勝負を繰り広げていたパンチ力に定評のあるチャンピオンです。
そのチャンピオンをものの見事にフックの連打で戦意喪失に追い込んだのです。普通、挑戦者がチャンピオンと相対するとき、やはり臆する気持ちが出るものです。緊張感がさせることもありますし、相手のパンチ力を警戒する気持ちも働くからです。しかし、フォアマンさんはフレイザーさんをまるで眼中にないかのごとく打ちのめしました。どちらがチャンピオンかわからないほどでした。
モハメッド・アリさんはそのフォアマンさんと死闘を繰り広げ、そして勝利を納めたのでした。当然、兵役拒否よるブランクもありましたし年齢的にもピークを過ぎていましたので前評判は圧倒的に不利な状況でした。
しかし、アリさんは勝利を納めました。その戦い方もそれまでの世界戦では見たこともない戦法でした。この試合をマスコミは「キンシャサの奇跡」と報じました。
試合がはじまるとアリさんはフットワークと使うことなく常にロープを背にしながらリングをゆっくりと左回りに動きました。その間、ずっとフォアマンさんのパンチを受けながらです。しかし、クリンチをしたりロープワークなどで微妙にフォアマンさんのパンチ力を削いでいました。
3Rあたりになりますと、フォアマンさんがアリさんのパンチを警戒するようになっているのがわかります。画面を通して思うよりもフォアマンさんには少しずつアリさんのパンチが蓄積していたようです。
のちにフォアマンさんが述懐していますが、フォアマンさんは「あとさき考えずにパンチを出しすぎた」そうです。確かに、勝負が決した8Rはフォアマンさんは疲れきっていたように見えます。その状態のときにものの見事にアリさんのストレートがあごに決まり、フォアマンさんはよろけ倒れこみました。たぶん、一番驚いたのはフォアマンさんだったのではないでしょうか。
このようにボクシング界に輝かしい業績を残していたレジェンド=モハメッド・アリさんが亡くなりました。後年はパーキンス病を患っていたそうですが、きちんと身の回りを世話をする人はいたようです。
米国でボクシングで成功しますと、莫大なお金を手に入れることができます。ですから、お金目当てに近づいてくる人もたくさんいます。気がつけばお金を全部むしりとられていたということも珍しくはありません。その意味でいいますと、アリさんはきちんとした後見人がいたようでとても安堵しています。成功した人の晩年が悲しいのはあまりにかわいそうです。
 舛添さんのあの醜態はあまりに見苦しく悲しいです。
 じゃ、また。




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