<普通の人>

pressココロ上




 広告代理店の電通が女性新入社員が自殺した問題で注目を集めています。そして、その事件に関連してある大学教授が投稿したfacebookに非難が集中し炎上したそうです。この教授は「100時間くらいで過労死は情けない」 と書いていたのですが、もしかすると教授は新入社員に対して発したつもりはなかったのかもしれません。しかし、発信したタイミングと全体の流れからして炎上しても仕方なかったように思います。結局、教授はすぐに謝罪し削除したそうですが、SNSを利用する際の難しさを思い致されます。
 似たような出来事がほかにもありました。作家でもあり僧侶でもある瀬戸内寂聴さんが日弁連が開催した死刑制度に関するシンポジウムへのビデオメッセージの発言がやはり批判を浴びました。寂聴さんは死刑制度に反対の立場の人ですが、ついつい気持ちが強くなりすぎて勢い余って刺激的な言葉になってしまったのだと思います。
 寂聴さんは「人を殺したがる馬鹿どもと戦ってください」とメッセージを出していました。このメッセージに対して全国犯罪被害者の会(あすの会)のメンバーや支援する弁護士の方々が「被害者の気持ちを踏みにじる言葉だ」と反発したことが全体の流れです。
 結局、寂聴さんが「言葉足らず」と自らの非を認め、謝罪したことで問題は収束しそうです。寂聴さんの弁によりますと、もちろん被害者の遺族を「馬鹿呼ばわり」するつもりなど毛頭なく、政府や制度に対しての「馬鹿」発言だったそうです。この騒動が収束に向かっているのは寂聴さんが作家のプライドに固執せず、謙虚な姿勢で対応したことが大きいように思います。謙虚は大切です。
 話は戻りますが、実は僕は大学教授の意見もわからないではありません。もちろん新入社員を追い詰めた上司や電通には真摯に責任に向かい合ってほしいですが、仕事に対する姿勢という点では真っ当な意見のように思います。
 大リーグで活躍しているイチロー選手はすでにレジェンドの地位にまで上りつめていますが、そこに行くまでには日々のたゆまぬ努力があったはずです。インタビューなどで「誰よりも練習していることを自負している」と語っていますが、イチロー選手の野球に取り組む姿勢はビジネス書の自己啓発本などでも取り上げられているほどです。
 簡単に言ってしまうと、「ほかの誰よりも練習、努力することが成功を導く」ということに尽きます。以前、イチロー選手の3000本安打達成にヤンキースのジーター選手が称賛するメッセージを発していました。そこにはほかの選手が休んでいるときにさえ球場でひとり黙々と練習していたイチロー選手の姿を綴っていました。やはりイチロー選手はどのチームに行っても誰よりも練習していたようです。
 イチロー選手の野球に対する姿勢や考え方について解説している書籍はたくさんあります。それらの本に共通しているのは「努力」です。単なる「努力」ではなく、ほかの誰よりも多くしている「努力」です。その言葉は大学教授が書いていた「100時間くらいで過労死は情けない」という考え方に通底しているように思います。
 もし、イチロー選手が「100時間くらいで過労死は情けない」と語っていたなら、世の中の人はどのように反応するのでしょう。
 電通の新入女性社員は自殺に追い込まれたのですが、親御さんの気持ちを思うとやりきれない気持ちになります。新聞報道では決行する1週間前にお母さまと電話でお話していたそうです。たぶんお母さまは自分を責めて責めて責めているはずです。
「なぜ、あのとき…」
 繰り返しになりますが、上司や電通の責任は重いものがあります。特に直接の上司の責任は免れません。人ひとりの命が亡くなったことを重く受け止めてほしいと思います。しかし、先ほどの大学教授ではありませんが、たぶん大企業に勤める多くのビジネスマンは同じような発想を持っているではないでしょうか。
 因みに、先の大学教授は教授になる前は東芝の要職に就いており、その後も経営の立場で幾つかの企業を経験しています。つまり、エリート層に属する人です。エリートの人たちはイチローの発想が頭と身体に染みついています。
「並外れた努力をできない者は仕事をする資格がない」。
 
 僕が学生時代にヒットした映画のひとつに「愛と青春の旅立ち」という映画がありました。リチャード・ギアの出世作ですが、主人公が海軍士官養成学校で奮闘する姿に恋を絡めた感動する映画でしたが、映画の中で僕が最も印象に残っているのは幹部を選抜する士官養成学校の厳しさでした。
 「厳しい」を通り越した過酷な訓練に耐え抜いた者だけが卒業できるというシステムです。映画ではその辛く苦しい訓練場面を映画いていましたが、同時に過酷な訓練に耐え抜いた者に対する尊敬の念も描いていました。訓練中はボロクソに接していた上官が卒業式の最後に元訓練生に対して直立姿勢をとり、士官として敬意を示す態度がそれを表していました。卒業した瞬間に立場が入れ替わるのです。しかも、上官はそれを当然のように受け入れている姿になんともいえない心地よさを感じました。僕は基本的に運動大好き人間で、運動部によくある上下関係が嫌いではないという資質も大きく影響していると思います。
 最近僕が好感しているビジネス関連の本を書いている方に常見陽平さんという方がいます。以前、本を紹介したことがありますし、今週も紹介していますが、この方は元リクルートの方です。以前このコラムで起業する人の多くに元リクルートの社員とIBMの社員が多いと紹介したことがあります。これらの方に共通する人はとにかく桁外れに働くということです。
 基本的に起業をするような人たちはそれこそ「100時間くらいで過労死は情けない」という考えの持ち主が多いのが実際のところです。反対に言いますと、そのくらいの気概を持っていませんと、起業など成功できません。正直に告白しますと、僕も脱サラを決行した人間ですので、40代くらいまで同じような発想でいました。
 僕の場合は実力が伴わず途中で挫折しましたのでこの考えに疑問を持つようになりましたが、もし、僕に実力があって成功が続いていたならまだ「100時間くらいで過労死は情けない」と考えていたかもしれません。
 常見さんに僕が好感したのはこの方が「世の中は普通の人で動いている」と指摘していたからです。そうなんです。イチロー選手の功績は素晴らしくその野球に取り組む姿勢や考え方や努力する様は称賛されるべきです。ですが、忘れてならないのはイチロー選手が活躍する姿を見て喜び、感動し、応援しているのは「普通の人々」だということです。
 「普通の人」をないがしろにしたり、追い詰めたりする社会にイチロー選手のようなスーパースターは存在することはできません。なぜなら、観客がいなくなるからです。エリートの人たちはエリートだけでは社会が成り立たないことを忘れないでください。
 じゃ、また。




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