<4月になれば>

pressココロ上




 毎年のことですが、今年もお花見に行ってきました。しかし、お天気がどんよりとしていて肌寒さも感じるくらいだったのが残念です。いつもは公園の中かもしくは公園近くの広場に座ってお弁当を広げるのですが、今年は車の中でお弁当を食べました。
 もちろん、ただ車の中でお弁当を食べるのではお花見になりません。ですからサクラが見えるところに車を停めそれを見ながらのお弁当です。これなられっきとしたお花見です。記憶が定かではありませんが、妻とは知り合ってからずっとお花見に行っているように思います。妻はお掃除は嫌いですが、お弁当を作るのは好きなのでいつも楽しそうに作っています。妻は性格はあまりよくないですが、料理を作るのがうまいのが救いです。
 4月は多くの人が新しい環境になる季節です。日本は新年度が4月からですのでいろいろな場面で新しく始まっているはずです。近所の子供は新一年生になったようで真新しいランドセルを背中にしょって笑顔で登校して行きました。学校が楽しいところになることを願うばかります。
 それにしてもイジメがいつになってもなくなりません。僕が小学生の頃もありましたから世の中が全く進歩していないことになります。大人の怠慢と言っても過言ではありません。僕は、教育関係者が本気でイジメをなくしたいならいくらでも方法はあるように思えてなりません。
 イジメが起きる原因の大本は集団生活にあります。イジメは集団があるから起きるのです。そうであるならば集団をなくせばいいではないですか。このような発想は文部科学省の官僚は思わないのでしょうか。一時期「ゆとり教育」という指導のやり方が実施され、そして批判され、現在は少し元に戻ったそうです。
 昔からイジメ問題はあったのですから「ゆとり教育」などに視点を向けるのではなく「イジメ問題」の解決に注力していたなら今頃はイジメで命を失うような事件は起きなくなっているのではないでしょうか。
 イジメの報道を見るたびに僕が不思議でならないのは周りの大人、すなわち教師の人たちが「どのような気持ちで日々の仕事を行っていたのか」ということです。これだけイジメが報じられている中で自分の身の周りで起きている異変やイジメの兆候を感じないことが不思議でなりません。子供の気持ちを慮れない人が教師という職業に就いてはほしくありません。単に公務員という身分が安定していることを理由に教師の道を選ぶことがないことを願っています。
 最も簡単にイジメをなくす方法は学級という単位をなくすことです。選択の自由を生徒に与えることです。イジメが起きる最大の原因は「自分とは合わない人が近くいること」です。大人の世界でもイジメはあるのですから子供の世界で起きないはずはありません。世界を見渡せば「異質な人を排斥したり攻撃する人」は必ず存在します。それが人間が生きている世界です。こればかりはおそらく永遠に続くのでしょう。そうした人間の業を「どのようにして抑えて平和な世界を構築するのか」を神様はお試しになっているのでしょう。僕は宗教を信じていませんが、そんな気がしています。
 大人でさえ自分と合わない人を排斥しようとするのですから、まだきちんとした分別ができない子供がイジメをするのも当然です。そうした実状を前提にして学校教育を行うことを考える必要があります。
 そのような状況でイジメをなくすために必要なことは生徒の選択の幅を広げることです。つまり、自分が苦しく感じる環境から逃れる選択肢を生徒に与えることでイジメは解消されるはずです。基本的にイジメに遭うのは学級の中なのですから学級を選べるようにするならイジメから逃れることができます。もし、学年全体からイジメに遭うのでしたら学校を変えればいいのです。自分に合わない環境を変えるのは決して間違った行動ではありません。
 もちろんこの方法には教師の人数も必要になるでしょうが、少子化が進んでいる今なら教師の人数も余裕があるように思います。ある意味、少子化を逆手にとって生徒たちが楽しく学校生活を送れるような環境を作る努力をするべきです。せっかく生まれてきたのに苦しいことや辛いことばかりでは生まれてきた意味がありません。大人は子供が「学校は楽しい」と思えるような環境にする義務があります。
 4月になると思い出すのは高校3年生のときに同級生になったツチヤ君です。僕の高校時代はバレーボール部で明け暮れていましたが、3年生の6月くらいの試合を最後に引退するのが恒例でした。ですから、暇になるのです。しかも3年生ですから受験に備えて勉強するための自習時間というのがありました。
 自習時間というのは真面目な人には勉強する時間ですが、そうでない人には「遊び時間」です。僕は後者に属していましたので自習時間にいつも野球の試合をしていました。僕はバレーボール部でしたが、野球も得意だったのです。しかもある程度早いスピードの球を投げられたのでピッチャーをやっていました。ですから、自習時間になると僕と同じ人種の3年生が集まり、近くのグランドで試合をしていました。ちゃんとしたグラウンドで試合をしていましたのでかなり本気モードだったのです。
 そんな高校3年生を送っていた僕に比べ、ツチヤ君はいつも教室の後ろの席で勉強をしていた真面目な生徒でした。実は、ツチヤ君とは1年生のときも同じクラスだったのですが、特段親しくなるようなことはありませんでした。ですから3年で同じクラスになっても単なる同級生という間柄でした。
 あるとき席替えがありツチヤ君が近くの席になったことがありました。そのときに初めて親しく言葉を交わすようになったのですが、たまたま音楽の話になったときにツチヤ君がサイモン&ガーファンクルというアメリカのフォークデュオの話をしてきました。僕には無縁の世界でした。サイモン&ガーファンクルで最も有名なのは「明日に架ける橋」です。「♪♪ライカ~ ブリッジ オーバー トラブル ウォーラー♪♪」 聴いたことがある人もいるでしょう。あのデュオです。しかし、ツチヤ君は「4月になれば彼女は」が一番好きだと言っていました。別に性格が合わないとか雰囲気が苦手というわけではなく、どちらかといいますと話しやすい同級生でしたが、それ以上親しくなることもなく卒業しました。
 ですが、なぜか4月になるとツチヤ君を思い出すのです。
 それから20年くらい経った頃、僕はラーメン屋さんをやっていました。そこになんとツチヤ君がフラッとお店に入ってきたのです。見た瞬間、僕は「あ、ツチヤ君」と声をかけていました。ツチヤ君もすぐに僕のことをわかりました。
 なんと、ツチヤ君は外科のお医者さんになっていました。ツチヤ君の話によりますと、お父上が開業医でそのときは大学病院で修行中とのことでした。その大学病院に通勤する途中にたまたま僕のお店に寄ったのでした。
 4月になると思い出す僕のお話でした。
 じゃ、また。




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