<職人技>

pressココロ上




 毎回、このコラムのテーマを考えるのは苦労しています。前にも書きましたが、結構な割合でテーマを思いつくのは自転車を漕いでいるときです。自分でも理由はわかりませんが自転車を漕いでいると不思議なことに「フイッ」と頭に浮かんでくることが多いのです。今週のテーマ「職人技」も自転車を漕いでいるときに浮かんできたものです。
 自転車に乗りながらたまたま通りがかった新築中の家の前で思い浮かびました。そこでは職人さんが見事な腕捌きでタイルを貼っていました。
 さて、コラムを書こうとしてあることが気になりました。それは「職人技」という単語はあるのか? ということです。
 自分の中ではどこかで見たり聞いたりしたような感じはあるのですが、確信は持てませんでした。早速辞書で調べてみますと、やはりありませんでした。「職人」の項目では「職人芸」や「職人気質(カタギ)」などはありましたが、「職人技」という単語はありませんでした。「職人技」という単語は正しい日本語ではないのかもしれません。
 調べついでに「職人」の意味をご紹介しますと、「手先の技術によって物を製作することを職業とする人」とあり、例として大工・左官と書いてありました。もう一丁ついでに「職人気質」についてご紹介しますと、「自分の技術に自信を持ち頑固だが実直であるような気質」とありました。
 これから見てもわかりますように「職人」という単語の持つイメージは概して好印象を与えます。「頑固」という言葉さえいい意味に感じられてしまいます。
 以前、新聞で「職人展」と命名した催事広告を見たことがあります。確か大手デパートの広告だったと思いますが、技能に優れた職人が時間をかけて丁寧に作り上げた家具を販売する催事のようでした。価格を見ますと一般の普通の人では手が届かないような高額な数字が並んでいました。チェーン店などで販売している家具とは比べ物にならない代物のようでした。
 価格の数字だけを見ますと驚きますが、それも当然かもしれません。大量生産されていない代物だからです。大量生産されていないのですから希少価値があります。またその他に職人さんの収入の面でも高額な数字は仕方ないとも言えます。
 仮に、ある職人さんがタンスを作るとして、完成までに3ヶ月を要するならそのタンスは3か月分の報酬に見合う価格がつけられないなら割りに合いません。1ヶ月に少なくとも30万円の報酬を得たいなら3か月分として90万円です。つまりタンスは90万円以上の価格となるわけです。職人技のタンスが高額になる所以です。そして職人技のタンスを購入できるのは一般の多くの人ではなく一部のお金持ちだけとなってしまいます。
 僕はどんな商品であれ多くの人に使用・利用されてこそその商品の価値・意義があると考えています。どんなに優れた商品であろうと一部の人しか使用・利用できないのであればその商品の価値・意義はないのと同じです。多くの人に使用・利用されてこそ商品の存在価値・意義はあります。
 先日、読んだ本に次のようなことが書いてありました。
 日本が先の戦争で負けた大きな要因は大量生産できるノウハウがなかったからである。
 当時の日本はゼロ戦など優れた戦闘機を作る才覚はあったのですが、それを大量生産するノウハウがなかったそうです。戦後の日本経済を思い返しますと不思議な気がします。日本は大量生産には優れたノウハウを持っているが、ゼロから考える創造力に欠けているから経済戦争に負けた、と言われてきました。大量生産は日本のお家芸だったのですが、それは戦争に負けた反省から生まれたものだったようです。
 大量生産というとマイナスのイメージがありますが、大量生産はコストを下げるメリットがあります。つまり商品の価格を下げる効果があります。これは決して悪いことではありません。
 職人技は尊敬され賞賛されるべきものですが、その技が一部のお金持ちだけが使用・利用されるものでしかないならなんの価値・意義もありません。本当に職人技に価値を見出したいのなら一般の多くの人にも使用・利用されるようにすることが大切な要件です。そのためには作られる商品の価格を一般の多くの人でも手が届く範囲に設定する必要があります。大量生産はその1つの方法ですが、それ以外でもなにかしら方法を考えるべきです。
 職人技を自負している方々は職人技を自分の内だけに納めているのではなくさらに進めて職人技の商品でも価格をリーズナブルにできるように工夫することを考えるべきです。それでこそ真の職人技といえます。
 「職人の後継者がいない」などとマスコミに出ることがありますが、この問題も職人技の商品をリーズナブルな価格にして一般の多くに人に使用・利用されるようにすることが問題解決の糸口になるのではないでしょうか。
 飲食業の世界でも職人技と言われる技術を持った鉄人たちが雑誌などで紹介されています。そしてその鉄人たちが作った料理は高額な価格が設定されています。一般の多くの人はなかなか食べる機会を持てません。一部のお金持ちだけが食べる機会に接している料理となっています。しかしそれでは料理の価値・意義はないのと同じです。せっかくの職人技の料理も意味のないものとなってしまいます。
 ファミリーレストランというと鉄人たちの店に比べていろいろな面でマイナスのイメージがありますが、僕はファミレスを評価しています。それは一般の多くの人が利用できる価格に設定しているからです。それを可能にしている理由は大量生産とは少し違いますが、規模の拡大によりコストの削減を実現しているからです。もしファミレスがなかったなら一般の多くの人が外食をする場所が限られてしまいます。達人たちの料理も一般の多くの人が気軽に食べられる価格に設定してこそ本当の意味での職人技の料理と言えます。星が1つあろうが3つあろうが一般の多くの人が食べる機会があってこそ職人技の料理です。もしそれができないならいつしか星は流れ星になってしまうでしょう。
 僕はいわゆる高級料理店と言われるお店に懐疑心を持っています。高級料理店の高価格はマスメディアが力を貸しているように感じるからです。マスメディアの影響力がなければ高価格は維持できない、とさえ思っています。また、マスメディアにとっても高級料理店を紹介することはメリットがあります。例えば雑誌などは高級料理店の特集を組むことによって部数を伸ばすことができます。また、テレビでは高視聴率を稼ぐことができます。マスメディアと高級料理店は持ちつ持たれつの関係です。そうなのです。高級料理店とマスメディアは結託しているのです。そういう関係にある両業界を見て僕は思います。あいつら…
「グルめ!」
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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